野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第三章 活元運動を通して啓かれた潜在意識 一1

 これまで、指導例の中でも本人が書いた部分は掲載してきませんでしたが、今回から掲載していくことにしました。それは本人が寄せてくださった部分であっても金井先生との対話を経て書かれていること、相当に金井先生が手を入れ文章のやり取りをした経緯があるということが理由です。

 また、この章の内容は「個人指導の中での活元運動」が中心となっており、活元会などで活元運動を実践している方には共感できない部分もあるかもしれませんが、活元運動の潜在力、可能性の例としてお読みいただけたらと思います。

2 『病むことは力』に出会い、自身の成育歴を振り返る― 体調不良に悩んでいたYさん

(金井)Yさんは、『病むことは力』に出会うまでの経緯について次のように述べています。

 私は、以前から腰痛や生理痛に悩まされており、鍼灸、整体(一般的な)、西野式呼吸法、気で治す中国の先生(テレビ出演で知った)等に通いました。

 また、他人に治してもらうのではなく「自分でなんとかしなければ!」と思い、ヨーガ、太極拳、ジムでのトレーニングなど、いろいろなことをしたのですが、体質は改善されませんでした。

 エドガー・ケーシー、シャーリー・マクレーンニューエイジ自己啓発のHOW TO本も読みましたが、これという内容に出会うことはありませんでした。

 また、身体が疲れやすいので体力をつけようと、ジョギングの本や靴まで買いましたが、走ったら腰が痛くなり、やめてしまいました。腰にも首にも、しこりがあり、揉んでも、温めてもなくなりません。

 2010年夏頃より、寝返りをすると目が覚めるほどの腰痛が続きました。2011年の春には、痛くて立ち止まると、腰が固まってしまい、足が出せなくなることがありました。いろいろな病院(整形外科・婦人科など)で検査をしましたが、筋肉、骨、内臓も全く問題はありませんでした。

 病院でもらった痛み止めを服用したり、湿布を貼ったり、鍼灸やヨーガに通う回数を増やしても改善しませんでした。 

(金井)このような経緯を持つYさんは『病むことは力』を読んで、自分の身体が良くならないことと、自身の心の問題との関係について、次のように思ったとのことです。

読み進めながら、自分自身で身体の問題を作っていると再認識しました。

「自分が考えているよりも、もっと深い部分に何かあるのではないか?身体だけではなくて、生き方そのものを変えたい!」と思いました。「もっと肝が据わった人間になりたい。人目を気にせず、自分に自信がもてる人間になりたい。もっと楽に生きたい。生き直したい!なんとかしたい!」と渇望していました。

 私は粘着体質で、何かあると、いろいろと考え込んでしまい、眠れず、食べられず、ひとつのことにぎゅーっと行ってしまうのですが、そういうことと関係があるのかな、こういう性格は過去の問題が絡んでいるのかな、と思いました。

 なぜなら、それまでの私は、何かきっかけがあると、昔のことをいろいろと思い出してしまい、泣いてばかりいたのです。

 昔の我が家は二歳上の兄と私との「扱いの差」が大きく、母は公言するほど兄が自慢で大好きでした。母にとっては兄がすべてだったのです。

 私がどんなに良い成績をとっても褒められることはありませんでした。「私のこと好きじゃないの?」と聞くと、「母親は男の子がかわいいの。あなたはパパのところへいきなさい。」と言われていました。洋服や勉強机、裁縫道具や自転車等々、新品を買ってもらったことがほとんどなく、いつもお下がりでした。鏡台も親戚のお下がりで、成人式もありませんでした。

 兄が、大学を獣医学部(六年制)へ進んだことで、兄から「獣医はお金がかかるからお前は公立の短大に行ってくれ」と言われました。大学は一校受けるのにお金がかかるので、受験料が五千円ですむ公立短大一校のみ受験しました。

 短大時代から付き合っていた人と結婚しようという時、相手の両親に「四年制大学を出ていないから」という理由で断られ、ますます自分が誰にとっても価値のない、だめな人間のように思えて自信がなくなってしまいました。その後誰かとお付き合いすることになっても、「私、短大しか出ていないんですけど、そんな私でいいのですか?」と尻込みしてしまうのです。

 そもそも勉強したくても塾に行かせてもらえなかったし、大学の選択も「我慢して」と言われたから我慢しちゃったし、でも本当に四年制大学に行きたかったら奨学金でも貰えばよかったじゃんと思う自分もいるし、そうは言ってもあの時は我慢するしかなかったという思いもあるし…このように、自分でも本当のところは、何がしたいのかわからなくなってしまうことがよくありました。