野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第三章 一4 失われていた「本来の自己」を取り戻す― 易行道としての活元運動

 Yさんは、活元運動の体験と、活元運動が激しく動くようになってからのことを次のように述べています。

 個人指導を受け始めてから8ヶ月目ほど、活元会に参加するようになって半年くらい経った頃、T先生にご指導いただく中で、突然笑いがこみ上げてきました。その後、そういう自分に出会わせていただいたことが有難くて泣けてきました。

 活元運動では、泣いたり笑ったりの繰り返しとなり、自分でも止められなくて、何がなんだかわかりませんでした。

 その2週間後に受けた金井先生の個人指導から、激しい運動が出るようになったと記憶しています。指導中、活元運動を誘導されると、身体が自分の意思とは無関係に、ゴロンゴロンと大きく転がり始めました。

 腰痛がひどくなってからは、腰を回したり腹筋運動をしたりできなかったのに、縦横無尽に転がりはじめたので驚きました。先生には「あなたが自分で転がっているんだよ。」と言われましたが、信じられませんでした。

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 指導を受け始めの頃は、帰りに駅まで送っていただく車の中で、お弟子さんから「弛みましたね」と言われても意味がわからず、帰りの電車の中での爆睡も「朝が早かったからかな…」くらいに思っていましたが、この頃から、弛むということや、弛んだまま、身体が自然に動き出したくなるということを実感するようになりました。

 指導の帰りは、弛んでふわふわした眠い状態なのに、熱海の駅まで歩きたくなることがあります。道場から少し歩くと海がキレイに見渡せる場所があるのですが、その景色を見ると身体の芯から喜びが湧きあがってきて、走り出したくなります。

 このままどこまでも走って行かれそうな気持ちになり、スキップというか小走りの状態で熱海駅まで帰ることもありました。また、帰宅してから、庭の手入れを始めることもあります。そして、家族に対して、とても柔らかい優しい気持ちになります。

 最初に個人指導申込メールを送った後、T田先生からいただいた返信メールに、「個人指導を受けながら活元指導の会にも参加して、活元運動が、それらしくなることが大切です。」と書かれていました。人が集まるところが苦手な私は個人指導だけでいいと考えていましたが、今では個人指導と活元指導の会の両面が必要だと実感しています。

 活元運動は、古神道に伝わる「霊動法」を体験した師野口晴哉により、近代的な思想が付与され新たに命名されたもので、「動く禅」とも呼ばれる瞑想法です。そして密教的易行道と名付けた人もあり、健康法であることのみならず、仏性の発現、また神人合一の境地を目指すという、宗教行となるものです。

 Yさんにおいては、失われていた「本来の自己」を取り戻す(これが仏性の発現)、という「身体行」となりました。

 身体行とは、各種「道」や仏教などの修行法を意味しますが、修行と聞くと、難行・苦行が想われる中で、この活元運動は、他力門(浄土教)同様、易行道(だれにでも容易(たやす)く行える修行の道)なのです。そして修行とは、身心の諸能力を訓練することで、新しい自己を目覚めさせることなのです。

 師は、錐体外路系の体育・活元運動について「生きるための教養」と題し、次のように語りました(1972.5整体指導法中等講習会『月刊全生』)。

生きるための教養

 私も大勢の人を治してきました。けれども、治す者がいるから弱くなるんだと、治す者がいるから本当の健康になれないんだということに気がつきまして、治療というものを捨てました。そして自分の力で健康を保っていくために、自分の持っている能力を自覚し、それを活用するように誘導する、または教育することが一番大事だと考えて、活元運動を普及することを始めたのであります。

 私が本書で活元運動について著すのは、師のこのような教養を流布せんとする志を受け継ぐものです。

補足(文責・近藤)

 文中に、活元会で「泣いたり笑ったりの繰り返しとなり、自分でも止められなくて…」という記述がありますが、活元会の場でこういう状態が発生した時は指導者が止めるのが一般的です(この場ではそうしなかったようです)。