野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第四章 一2 西洋医学では「肉体」を見る 野口整体では〔身体〕を観る

 心と一体としての〔身体〕=気の体

 私は『野口整体 病むことは力』(終章 日本の身体文化を取り戻す)で、次のように述べました。

野口整体の源流は日本の身体文化(266頁)
このように私たちの祖先が何百年何千年、連綿と培ってきた、完成された文化がありました。それが、日本の身体文化です。ところが、残念なことに、日本人はこれを明文化するということが少なかったために、そして大きくは、戦争に負けてしまったために、戦後、安直に手放してしまった。それが、今の日本人の体の状況、ひいては心や生き方につながっているのです。
 齋藤孝さんは、前著(『身体感覚を取り戻す』)のなかで、日本の伝統的な身体文化を「腰肚文化」と名づけ、戦後、急速にすたれたことに警鐘を鳴らしています。
 このことを、私自身も、日々人の体を観るなかで痛感してきました。私が整体指導のなかでやっていることは、野口整体の専売特許ではなく、日本人が連綿と受け継いできた「足・腰・肚の文化」であり、長い間の民族の知恵なのです。野口先生が始められた整体だけれども、もっと奥の流れがあると思えてきたのです。
 だから、私は、日本の伝統的な身体文化を現代においてより洗練されたかたちで復興し、広く一般に知らしめ、先人たちの体の智慧を受け継いでいくこと、各々の生活のなかに活かしていくこと(これらを次の世代に伝えること)を自らの使命と考えました。

 こうした主旨をこめて、2014年3月には、当会「野口整体 気・自然健康保持会」を一般社団法人としたのです。
 野口整体の整体指導では、相手の〔身体〕を気を集めて観察します。この時、その〔身体〕に心や感情を観察することができます。しかし、「気」を集めることができないと、それ(心や感情)はよく観ることができません。ですから、「科学」とはなり得ません(客観性・普遍性がない)。

 しかし、科学的に進んだ医学における医療機器CT、MRIにおいては、病理学的な変化はよく観察できるのですが、「こころ」は写りません。このことを、西洋医学では「肉体」を見る、野口整体では〔身体〕を観ると、私は論を展開しています。
 それは「日本の身体文化」という言葉を通じて、西洋人が捉えている「体 (Body)」と、かつて日本人が捉えていた「からだ(身)」、その違いを「肉体」と〔身体〕という言葉で定義したことから始まりました(ここでは〔身体〕と書いてキッコウカッコシンタイと読む)。
 25年ほど前になりますが、江戸っ子育ちの元芸者さんで年輩の女性を観たときのことです。
 彼女は背中を痛めて指導を受けに来たのですが、数日後にもう一度来たところ、「おかげで腹黒いのが取れました」と礼を言うのです(腹黒いとは「心に何か悪だくみを持っている」こと)。
 彼女はかつて胃潰瘍になったことがあり、「腹黒い」のが溜まると病気になることを自身で実感していたのです。
 仮に自身の病気体験がないにしろ、この世代の人たちは「腹黒い」という言葉をよく使っており、「腹黒い」ことが悪想念を抱くことだと了解していたわけです。
それに留まらず、この世代までの人々は「腹黒い人」というのを、「気」で見抜く能力さえ有していたのです。
 このように日本人は、野口整体が生まれる以前から「からだことば」を通して、自分も他の人も「身心」を一体として捉えてきました。ここにも「野口整体の源流は日本の身体文化」というべきものがあるのです。
 西洋近代医学以外の癒しの伝統においては、「多様な身体性」が扱われており、私は、科学的に高度に発達した西洋医学一辺倒の現状に対して、こうした心と一体としての〔身体〕=気の体、というものを知らしめたいのです。

 

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第四章 一 気で捉える身体=〔身体〕

1 体を拠り所として生きた日本人―〔身体〕の喪失がもたらした宗教の喪失

 太古の昔から、どの民族においても、人は生きる上での「心の拠り所」を何らかの宗教に求めてきましたが、日本の文化では歴史的・伝統的に、教義に依らず「身(み)」という考え方(身体性)に依拠してきました(私の「心」と不可分な身体という意味が「身体性」という言葉の基本)。

 これは、江戸時代以来の「気の医学・養生」に見られる、「心身一如」の感じ方であり、「不立文字(もんじをたてず)」である禅に通ずるものです。「生き方」を求めるに、教義に依らず身体性に依拠するとは、理性的理解ではなく身体と心(魂)に聴く、というあり方です。

 師野口晴哉は「生命に対する礼としての整体操法」と言われ、操法の「型」を示されましたが、日本型仏教の影響を強く受けた武道や芸道における型と根において同じものです。

 湯浅泰雄氏は東京自由大学のコラム「型と礼儀」の中で、

 型を習得するということは、身体の技の訓練という意味だけでなく、その技の伝統の中に流れている心を受け継ぐ、という意味がこめられているのではないだろうか。つまり、身体と心の関係を「身体から心へ」という方向でとらえているわけである。西洋近代の哲学のように、常に心(この場合の心は自我意識)を先立てる態度とは反対である。

と述べていますが、西洋化したことでの現代における日本人の〔身体〕の喪失は、日本人にとっての「宗教」が失われたことに等しいのです(野口整体の身体は「心身」というもので、これを私は〔身体〕と表現する)。

「日本人は無宗教である」という言葉を聞かれたことがあると思いますが、正確には無の宗教なのです。

 その教えは「型」という身体性に依拠していました。神道にも禅にも取り立てて「教義」というものはありません(キリスト教には明確に言語化された教えがある)。

宗教において西洋が言語的であるなら、日本は身体的というべきです(頭で考えた心を先立てるのが西洋的な宗教)。

 欧米では無宗教と言うと「無神論者」という意味で、人間として不信感を持たれるそうで、日本人が外国を旅行する際の入国許可証には「ブッディスト」と書くことが多いようです。しばらく前までの日本の家庭では神棚があり、仏壇があって、元旦は神社に初詣でをし、お盆には坊さんに供養をしてもらうという程度の宗教との関わり方が一般的でした。

 おまけにおそらく戦後の風潮でしょうが、クリスマスには「ケーキ」を食べ、女性の社会進出に伴って、バレンタインデーには男性に「チョコレート」を贈ったりする、ということまで入ってきましたが、これらは「万教帰一?」とも言える日本人の「無」の精神が、通俗化したものです(クリスマスやバレンタインデーは商業主義でもある)。

 このように「無」というものは、何でも受容できるのです。また神道では八百万の神と言って、「多神教」であることが日本人の伝統的コスモロジー(宇宙観)なのです。

 敬虔なキリスト教徒の人たちが毎週教会に出向き、「祈り」を捧げるという姿からは何とものんびりしたものに見えるものです。しかしこういった宗教との目に見える直接的な関わりでない、「内なる神」との向き合い方があったのです。

 これが「道」でした。

 

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第三章 二7 吾がままに生きる

 駄目出し人生と別れ「全生」を宣言する 

 他にもこんなことがありました。なんと、ある個人指導の二日後、大切な会議を忘れて退社してしまったのです。帰宅途中に上司から電話で呼び出されたのでした。

 このようなことは初めてで、以前の私だったら、周りの目を気にして委縮してしまい、自分をすごく責めたと思うのですが、その日は走って会社に戻り、会議室に入るときに深々と頭を下げ、それでお終い。

 逆に、周りの同僚が「会議って一声かけなくてごめんね」と声をかけてくれ、次の日からは「今日は帰ってもいいですよ」と言われ、笑い話に変わりました。以前の私のように、余分に何度も周りに謝っていたら、このように笑い話にはならなかったと思います。

 今までの私は、○○はできない、○○はしちゃいけない、やっぱり私はダメなんだと、頭でいろいろと考えて、自分で限界を作り、可能性の芽を摘み、生きにくくしていたのだと思います。

 頭でごちゃごちゃ考えて、自分で限界を作るのではなく、スッと感じるものが本質であり、その感覚に素直に従うことが大切なのではと思います(これが整体)。

 本質を正しく捉えられるように、また、他人によく思われたいという我欲に囚われないようになる(主体性発揮)ためには、日々の活元運動を通して自分を磨くことが大切なのではと思っています。

 金井先生に教えていただいた「吾がまま(我儘ではない)に生きる」ということは、「天心で生きる」ということかもしれません。私の野口整体はまだまだ始まったばかりです。これから自分の身心がどのように変わっていくのか、活元運動がどう変化するのか、どんな自分に出会うのか、怖くもあり、楽しみでもあります。

 この度、このように自分を見つめる機会をいただきましたことを大変感謝しております。このような機会がなかったら、ここまで明確に自分の変化(本来の自己)を自覚できなかったと思います。

 長い間、思いもよらなかった兄の一言が発端となり、無自覚に自分が囚われていた「人に嫌われたくない」という思いや、そのことから派生した様々な思いに、がんじがらめになっていたことに気づかせていただきました。

 この一年で、自分が変わることで周りも変わり、自分には見えていなかったものが見えるようになった気がします。

「嫌だ」という感情を持つことを肯定することで、その嫌だという思いに囚われなくなった気がします。今までは、楽しむことや幸せになることをどこかで避けていたのかもしれません。現在は日々の暮らしの中で、素直に「楽しい、嬉しい」と実感できることが新鮮です。

 野口先生の「現実とは 心の反映に他ならぬ。…希望はいつも実現する。実現するまで希望をもちつづけること。(『風声明語Ⅱ』「息する欣び」九四頁)」という言葉を支えに生きて行きたいと思います。

 今後は、自己を信じて、思う存分「全生(人生を全う)」していきたいと思います。

(金井)感受性を開拓し、生きる領域を広げていくことこそが人間にとっての自然なのです(野口晴哉の説く「自然」とは心の鍛錬)。

 体を育てることで感受性を高度にし、自己の可能性を遺憾なく発揮することこそ「整体」の道です。

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第三章 二6「自分で作った自分」を超える― 要求を実現する生き方

 

 今までの私は、何か失敗すると、何日も引きずってしまい、全く関係ない過去の嫌な体験までもいろいろと思い出し、くよくよして落ち込んでいました。

 また、これまでの二十年近い会社生活の中では、仕事が増やされるのも減らされるのも、一切なんの文句も意見も言わずに、ただ上司から言われるままに受け入れてきました。

 ですが、今回は今までとは違い、「私は、自分の意思で外国語に携わる仕事を継続したい!」と、はっきり自覚しました。

「上司に私の思いを伝える」という決意について、金井先生にお話をした日の指導の後で思い出したのですが、小さい頃の私は、電車内で見かけた外国人に全く臆せず話しかけたり、当時は数少ない英語番組を誰に強要されることなく見たりしていました。

 また海外旅行先でも、言葉が不確かながらも、現地の人と楽しくコミュニケーションをとることができました。いつからかははっきりしませんが漠然と外国に住んでみたいな、外国語を扱う仕事ができたらいいなと幾度となく考えたことがありました。

 とは言っても、なかなか勉強も進まず、会社での試験の成績も良い結果が出ず、「外国語を使う仕事や海外に関わる仕事がしたい」などと自分から言う資格がないと考え、与えられた仕事だけを静かにこなしていたのです。

 長い会社生活の中で、現在の部署で初めて外国語に携わる仕事につけたのですが、これも自分から希望したのではなく、担当にされたからというあくまでも受身な態度でした。好きな仕事なのに、「この仕事がやりたい」と言うことは分不相応だと考えていました。

 それまでの私は、100%完璧にできる自信がなければ、自分から「やりたい!やらせてください!」と言ってはいけないと思っていました。「自分から言い出すからには失敗は許されない。やりたいなんて言ったら、周りからなんていわれるかわからない。やっぱり私には無理。出来やしない。」とやる前から自分で自分の枠を作っていたのです。

 失敗が怖くて逃げていたのかもしれません。また実際にやってみても、「絶対にうまくいくわけない。ほらっ、やっぱり出来ないじゃん」と、失敗するように、無意識に心が動いていた気がします。そうしているうちに、本当に自分がやりたいことにも気づけなくなっていたのかもしれません。

 金井先生のご指導から数日後、上司に「今回の対応はうまくできませんでしたが、このまま海外に関わる仕事を続けたいです」と伝えたところ、「あなたのことは信頼しています」とあっけなく会話は終了しました。

 仕事に対して“やりたい” 、“楽しい” 、“好きだ ”という気持ちが湧いてきたことに驚き、自分の気持ちを正直に口にできたことが嬉しく、そんな自分の変化が面白いと思いました。また今まで、周りの人からの評価や、相手が考えていることと違うことを自分が勝手に想像して悩んだり、心配していたことを実感しました。今回は、あれこれ考えずにストレートに自分の思いを上司に伝え、爽快な感じすらしました。

 それまでは、何か嫌なことがあると、会社を辞めたいとすぐに考えてしまった私ですが、活元会で次の文章に触れたことで、そのような思いが自然になくなっていきました。

「生きることの欣び」

働くことは人の裡なる要求であり、人間は絶えず働きたく、力を出しきって生きたいのであります。

「語録」(『月刊全生』1981年2月号2頁)

めしは旨いし、働くのは快いし、眠るのも糞をするのも、気持ちがよいものだ。

 

 野口先生や金井先生が仰るとおり、失敗を避けず、「失敗しても立ち止まらずに進んでいけばいいのだ」「失敗しながら進んで行きたい!」と考えるようになりました。

 

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第三章 二 5 仕事上のトラブルがやる気を呼び起こす

 個人指導に伺う時、熱海までの往復で『病むことは力』や『「気」の身心一元論』を読むことがあるのですが、たまたま開く頁がその日の指導と関連していることが何度もありました。

 また読むたびに違う気づきがあります。

 先日、個人指導に向かう電車の中で、ふっと「私は海外の人や物に関わる仕事が好きだ!誰に何と言われようとやり続けたい!上司に言ってみようかな…」という思いが浮かびました。

 そのことを頭の片隅に置きながら、『「気」の身心一元論』(二三一頁)を読んでいたところ、偶然次の文章が目に飛び込んできて、「これだっ!」と気づいたのです(「潜在意識教育 意識以前にある自分」『月刊全生』)。

自分で作った自分

 私たちが今「自分」と考えているもの、あるいは自分はこういうことができる、これこれこういう人間であるというように、自分が理解している自分はほんとうの自分の全部ではない。生まれてから、意識し経験し、体験してきたことの総合が自分だと、皆思っている。つまり考えようによっては、それは生まれてから自分で作り上げた自分である。

…意識して作られた自分、あるいは他人の言葉によって「そうだ」と思い込んだり、自分の都合で「そうだ」と思い込んだり、自分自身で「俺にはこれ位の力しかない」とか、「俺にはこれだけしか力が発揮できない」とか言うように、いつの間にか自分に限界をつけて、これこれこういうものが自分というものの実体だと、自分で思い込んでいる。…

 今までに何度もこの本にある「自分で作った自分」の文章は読んでいたはずなのですが、それまでは特に感じることはありませんでした。しかしこの日、指導のため、来宮駅で迎えの車を待っていた時に、ストンと腑に落ち、迷いがなくなりました。個人指導が始まると直ぐに、金井先生に自分の決意を話していました。それは、次のようなことを経験したからです。

 私は、2009年春にお客様対応部門に配属され、2011年秋頃より海外からの電話と手紙対応を担当することになりました。

 主にメール対応で電話対応は年に5本程度、通常は売り込み連絡なのですが、指導に伺う三日前に受けた電話(英語)はそれまでとは全く違うものでした。それは、関係会社A社の社長を装い、グループ会社B社の社長の携帯電話の番号を聞き出そうとするものでした。

 その時の電話は「現在、成田空港にいる。B社の社長と会う約束をしているが、飛行機遅延でスケジュールが変更になった。だからどうしてもB社の社長と連絡を取る必要がある。この後すぐに飛行機に乗るから急いでいる。いま、この電話で彼の電話番号を教えて欲しい」という内容でした。

 威圧的でせっぱつまった物言いにすっかり動転してしまい、相手の名前を呼び捨てにしたり、丁寧な言葉を使わなかったり、散々な対応でした。

 切電後、念のためにA社、B社に確認したところ、そんな約束はそもそもなく、 “A社の社長になりすました電話”と判明しました。ですが、今度はA社から「うちの会社の社長の名前を騙るなど許せん!録音テープがあったら聞かせて欲しい」と言ってきたのです。

 録音テープはありますが、聞かせてひどい対応だと思われたら大変だと思い、上司に「私の応対がきちんとできていなかったので、米国人に録音を聞かせるなんてできません」と、完全に気が頭に上がった状態で訴えてしまいました。

 録音を文字におこすことでなんとかテープは出さずにすみましたが、上司と話す際にも、とても動揺し声も上ずってしまいました。もう何もかもが惨憺たる有り様でした。

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第三章 二4 自分の要求に目覚める

 つい数ヶ月前(2013年初め)、旅行(パリ)に行った際、毎日五時間以上は歩きまわっていたのですが、活元運動を寝る前にしたためか、翌日に疲れが全く残らないのです。

 旅行では時間がたっぷりあったので、朝もゆっくり活元運動を行ったのですが、湧き上がる喜びに包まれ、毎日心地よく過ごすことができました。活元運動の気持ちのまま出掛けるので、ニヤニヤ、ふわふわ、周りの人は怪訝だったかもしれません。

旅行中は、野口先生が書かれた

 自分の欲する方向に心を向けさえすれば、欲する如く移り変わる。

 人生は素晴らしい。いつも新鮮だ。活き活きしている。

 大きな息をしよう。背骨を伸ばそう。

(自分が変われば世界が変わる『風声明語』)

という文章を読み返しながら、金井先生から教えていただいた「腰を立て脊髄に息を通す」ことを意識し、「生きることの欣び(『月刊全生』」を何度も読むことで、今まででしたら、我慢や尻込みしてしまうようなことも臆することなくできました。

 まず、パリの空港に着いた時のことです。予約してあった迎えの車が一時間遅れてようやく来たのですが、悪びれない運転手に対して咄嗟に「何時だと思ってるの!」と、苦情をはっきり言っていました。

 また、恥ずかしながら、私は三十代位まで、一人では喫茶店に入れなかったのです。お店に入れても、緊張してしまい、味わえないのです。

 ましてや海外で、一人できちんとしたレストランで食事などしたことがなかったのですが、今回は「行ってみたいな。やってみよう!」と思い立ったのです。

 行く道すがらや、開店前にお店の前で待つ間、「やっぱりやめよう。帰ろう」と何度も思いました。その都度、手帳に挟んだ野口先生の言葉を読み返すうちに、「なんだか大丈夫」と思いはじめ、いつしか緊張も解け、その状態を楽しむ自分がいました。

 お料理の味はまぁまぁでしたが、ウエイターとのやりとりを楽しめたことや、今まで絶対にできなかったことをやり遂げた満足感がありました。

 ほかにも、野口整体を始めてからこの一年で、今まで感じなかったような充足感に包まれる時間が増えました。周りの評価があまり気にならなくなり、自分が何をしたいのか、何が嫌なのかがわかるようになってきました(それまで人に付き合うことを無理していた)。

 身体の変化もあります。汗をよくかくようになり、毎年夏になると出ていた湿疹が出なくなり、身体が疲れにくくなり、毎朝ランニングをするようになりました。走ってももう腰は痛くなりません。

 週末ごとに悩まされていた頭痛もめったにおきず、頭痛になったとしても薬を飲まずに経過できるようになりました。

 爪も驚くほどよく伸びます。週に一回は爪を切っています。以前体調が悪い時は、ひと月以上爪を切らないことは普通でした。

 この年齢で新しい世界に出会えたことは大変ありがたく、嬉しいことです。二十代で出逢えていたら、人生また違っていたのかもしれませんが、今までいろいろなことがあっての現在の出会いだからこそ、学ぶこと得ることが多いのだと考えています。

 時には、以前のように、どうしようもないほどの孤独を感じて身体が緊張のため固まってしまうことがありますが、活元運動で気持ちが切り換えられることを知ったので、前ほど心も身体も粘着・停滞しなくなりました。

 野口整体は、ああしなさい、こうしなさいという縛りがなく、とても自由です。だからこそ、奥が深く、自ら体験することでしか気づけない、身に付かないものだと思っています。

 よく自己啓発系のセミナーや感動する映画や本を読んだ時に一瞬気持ちが盛り上がることがありますが、そういうものとは違い、確実に、着実に身心に根付いていく、身体で覚えていくという感じがしています。

 最近、時間がある時に父の背中に愉気をします。始めるまでは拒絶されるのではないかと、言い出すまでに勇気が要りましたが、父がすんなり受け入れたので驚きました。

 父の背中に触れていると、自分の身体が活元運動をしているように揺れ始め、とても気持ちがよくなります。母にも愉気をすることがあります。その後では、家の中が優しい気に包まれます。このことも、ものすごく大きな変化だと思います。

 活元運動の訓練が進むと、病気を必要としない心身が育ってきます。要らなくなるというところに本質がありますが、病気の不要な身体の育成ということは、生命に対してまだまだ消極的な態度と言えましょう。

 病気になって医薬を頼るだけでは真の健康人とはなりえません。また、個人指導への依頼心も同様で、自分自身の内側にある力を自覚し、生きる主体は自分自身だという気構えを築くことが修養としての道です。

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第三章 二3 現在が変わると過去が変わる

 やはり一 1で、私は次のように書きました。

「ここで、私がこの話を取り上げるのは、Yさんは、ここ数カ月「生き方」に目覚め、「生き直し」の意志を持って、来始めとは全く違うYさんとなっており、こういう中で、四十年にもなるという、その時の「兄の言葉」を明瞭に憶(おも)い出したからです。

 Yさんにおいては、「兄の言葉」が潜在意識に入り、とにかく人に迷惑をかけないよう、感情を抑え、人に気に入られようとして生きるようになったようです。

 右肘に触れながら、先のように語りかけることで、Yさんはその時(四十年前)の心象風景を、深々と思い出していたのです。」

 意識できなかった潜在意識の「感情の固まり(コンプレックス)」が自分を支配し、意識の働く方向ともなっているのです。この固まりが、活元運動によって(個人指導を通じて)溶け始めることと、気づくことは一つなのです。

 その後、Yさんは以前の自分を次のように語っています。

 

 以前は、誰でもいいから自分のことを認めて欲しい、私を必要として欲しい、独りでいたくないという気持ちが強く、私がどんなに嫌悪感を抱く人にでさえ、「私のこと嫌いにならないで!否定しないで!」と、“良い人”になる努力をしていました。

 全ての人に優しくしなければ、親切にしなければ罰が当たる、幸せになれないと考え、自分の些細な一言や態度で嫌われてしまったのではないか、嫌な思いをさせてしまったのではないかと、夜も眠れないほど悩んだり、相手が誰でも、自分に非がなくても、先ずは謝っていました。

 誰かを嫌だと思うことや、怒ることはいけないことだと思っていました。自分が何か嫌な思いをしても、自分が悪いからだと考えていました。

 そんな私が、個人指導を始めてそろそろ一年となる今年の5月に、会社で大変失礼な態度をとった後輩に「貴女、失礼よ!」と、言い放ったのです。あまりにも自然に言葉が出たので自分でも大変驚きました。この長い人生の中で、初めての出来事でした。

 現在でも、周りから良い評価を受けたいという気持ちがありますが、「何と思われても、まっ、いいか。」と、流せることが増えてきました。過去のことをいろいろと思い出し、メソメソ、クヨクヨ、一日の大半をあれこれ考え、ぐずぐず悩むことが多かった私ですが、気づいたら不思議なくらいさらっとした私になっていました。

 最近では漠としたうれしい気持ち、幸せな気持ちに包まれることが多くなり、今までなぜあんなに泣いていたのかが分からないほどです。

 先日、久しぶりに幼い頃の写真を見たのですが、自分が思い込んでいたほど哀しい日々ではなかったのではないかと気づきました。そこには、母に抱かれとても楽しそうに笑っている私がいました。「現在が変わると過去が変わる」とは、こういうことなのかもしれません。

 母からも「あなた、変わったわね!」と言われます。自分でも言いたいことが口から出るようになってきたと思います。

 金井先生からご指導いただく際に、それまで意識していない言葉が口から出ることが多々あるのですが、それが潜在意識に降りていくということなのかもしれません。自分の意思とは無関係に、言葉や思いが潜在意識に入り込み、コンプレックスとなって長い間自分が支配されてしまう、ということを知り驚きました。

 動的瞑想法(動く禅)である活元運動の訓練は、ふつう意志の自由が及ばないと考えられている自律系の生理機能にまで影響を及ぼすものです。

 自律神経の作用は、情動(喜び・愛・平安・また、怒り・悲しみ・憎しみなど、といったプラスとマイナス、つまり快・不快の感情)と深く連関しています。

 マイナスの情動がいつも強くなれば病的な状態になりますし、プラスの情動がいつも強くなれば心身の健康の発達に結びつき、より成熟した心理特性(心の癖としての情動パターン)を育てていくことができるわけです。

 個人指導において、活元運動は情動の歪みを取り除き、より深い無意識の層にあるエネルギーのはたらきを意識のはたらきと統合していくことを意味します。

 それは、無意識すなわち心のより深い未知の層にまで分け入り、その力をコントロールしていくことによって、心身の潜在的機能を次第に高めていく(無意識(=身体)を制御することで潜在能力を意識化する)ことであると言えるのです。

 個人指導を通じて学んでいく情動のコントロールは、心の動きと身体の動きの相関性の度合いを高め、心と身体の間によりいっそう緊密な結合関係をつくり出すとともに、究極的には、人格の円熟した発達という精神的目的を追求するものです。

 人格の発達は、人間関係を広め深めるもので、これにより自身の「自己実現」が可能となるものです。