野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

整体の道51年で亡くなった整体指導者の説く「野口整体」とは

野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)一1

一 西洋と東洋の世界観の相違を知る― 石川光男氏の思想との出会い

 今回から第一章一 1に入ります。石川光男先生は熱海の道場にいらっしゃったことがありました。その時にこの1の文章を読んでいただいたのですが、石川先生は非常に良いとほめて下さり、金井先生は本当に喜んでいました。

 私も、明快で先生らしさがあふれた、名文だと思います。それでは今回の内容に入ります。

 1 病症観には文化的背景がある― 金井流思想展開「病症をどう観るか」

  世界各地には、様々な伝統的療法や健康法があります。

 これらは、各地域で育まれた自然観や生命観の上に成り立っており、生命・病症に対する「考え方・理論の相違」は、各地域の文化に拠っているのです。

 そこから生ずる「病症の解釈の相違」によって、異なった姿がそこに出現することになるわけです(=「病症の捉え方」は、文化・教育によって育まれた意識により、認識に相違がある)。

 病症に対する捉え方、また向き合い方が異なるということは、同じ症状であっても「別の実体」をそこに観ているということなのです。 

 例えば、先日Tさんが個人指導で「数日前に、肩の痛みが起き、病院に行き検査をしました」と訴えました。レントゲンでは、頚椎六・七番の間が狭くなっているとのことですが、「痛み止め」を処方されたそうです。

 このように、痛んでいる肩の痛みに対する対症療法(註)を行ったのは、西洋医学では「部分の故障」と見ているのです。本人の都合(仕事をする上での支障)もありますが、痛みを悪いものとして排除しようというわけです。

(註)対症療法 病気の原因に対してではなく、その時の症状を軽減するために行われる治療法。これに対するのが原因療法で、症状や疾患の原因を取り除く(例・胃潰瘍における「ピロリ菌」の除去)。

 こういう時、私は肩のみならず、体の全体を観察した上で、どうしてこのような「偏り疲労」が起きたのかと考えるのです(野口整体では身体の歪みを「偏り疲労」と呼ぶ)。

 偏りは、必ずというほどに、何らかの「情動」に因っており、内に起きた「感情の動き」が身体上に歪み(偏り)を起こすのです。この時も、本人との対話を通じ、この事情が確認できました。

 Tさんの場合、仕事上で不快感を味わって、数時間後の痛みの発症でした。体の鈍い人は情動が起きても、凝りや張り、また痛みとして感じないものですが、Tさんは体が敏感ゆえに、素早く異常が出たのです(註)。

(註)朝起きた時、肩の凝りや背中の張りなどを感じて、「寝て疲れた」と言う人があるが、寝ることで疲労が回復し、凝り・張りを感じるようになったというのが本当である。整体の道の目標は「感情制御」だが、現状の制御力を超えた興奮(乱れ)を調整するはたらきが症状(病症)。

  この場合、痛みは「偏り・歪み」が元に戻ろうとするはたらき「自然治癒力」と観ることができます。

 本人との対話を通じ、痛みが起きた事情を確認できたことで、彼の生活全体(職業的立場と本人の感受性)をより理解でき、私は、Tさんの「肩の痛み」を、「体の偏りが回復に向かうはたらき」として観ることができました。

 ここには、症状(病症)を「故障」と見るか、「生命のはたらき・自然治癒力」と観るかという、大きな視点の相違があります(生理学では一過性とされる「情動」を捉えることで、このような理論が確立する)。

部分を見る西洋医学、全体を観る野口整体

心身分離の西洋医学、身心一如の野口整体

 これまで西洋医学しか知らない、また科学的思考・科学的世界観によって教育された人にとっては、先ず、ものの見方・考え方により「身体」が違った姿に見えてくる、ということに気付くことが、野口整体を理解するための第一歩である、と説くのが金井流思想展開です。

 これは、同じ風景を見て絵を描いても、人によって違う絵になるということに似ているのです。風景をどのような感覚で捉えているかという、感性の違いということです。

 師野口晴哉は、「いのちの真相」という文章の中で「…この世の中は、相対の世界と申しまして、自分の感覚によつて、その感覚を眺めている世界なのです。」(野口晴哉著作全集第一巻 昭和八年 七三頁)と述べています。

(この場合の感覚とは一般的な五感を意味するのではなく、「対象をどう認識するか」を意味する)

 西と東の世界観(本書で言う「近代科学と東洋宗教」)の相違が基となり、西洋医学野口整体の病症観の相違(註)となったのです。

 この世界に入って一年未満の時だと記憶していますが、師野口晴哉の講義を通じて「人が病気になるとはこういうことか!」と、私の病症観に革命が起きた、あの時の感慨が蘇ります。

 師亡き後、私はどのようなことをしていくのかと考え続けて来ましたが、これを表現するため、本章では先ず時代の常識となっている科学のものの見方の枠組みを述べていきます。なぜなら、西洋医学は、近代科学の「ものの見方(思考の枠組み=パラダイム)」を基盤としているからです。

(註)西洋医学野口整体の病症観の相違 西洋思想は二分法による「正常と異常」という捉え方をするのに対し、東洋思想は『易経』の象徴・太極図に表されている「陰が極まれば、陽に変じ、陽が極まれば陰に変ず」)という捉え方を本とする。野口整体の「病症を経過する」というあり方はこの東洋思想に基づく。

(補)中国の伝統医学は、心身を有機的総体として捉えることに特徴がある。この方法論は身体を部分に分けず、身体全体を連続的に捉え、また病気と健康、異常と正常すらも連続的にとらえるという思想である。

野口整体と科学 第一部 教養編(理論・思想)科学を相対化し「禅文化としての野口整体」を思想的に理解する

 今回から第一部に入ります。今日の内容は第一部の序で、金井先生が個人指導の場で捉えた現代の私たちの問題、それが科学的な見方とどのような関連があるかについて述べ、そこから一部の主題をまとめています。

 現代では、社会的に求められる自我のあり方として「客観性」が重要視されるようになり、社会的適応のため、主観的感情を排した教育が行われるようになりました。その影響で、親子の間でも感情を交えた心のやり取り、対話が難しくなってきています。

  家族間で笑いあったり、楽しさを共有したりということはあっても、悲しみややり場のない怒り、辛さを訴えたり、分かち合い、見守ってもらうという経験がない人が増えていて、そういうものは一人で何とかするしかない、人に見せてはいけない、と思うようになったのです。

 それが私たちの健康と生き方にどのような影響を与えているのかは、まだ真剣に取りざたされているとは言えない状況にありますが、金井先生はここに注目していました。

 それでは今回の内容に入ります。 

「科学の知」は心身分離(二元論)「禅の智」は身心一如(一元論)― 金井流整体指導の「心身医学」的解説

  現代の科学的教育によって発達した「理性」に偏った意識は、自我と身体に分裂をもたらしています。

 その理由は、現代人は「感情を理性で抑制できる(感情は合理的に処理可能)」と思い込んでおり、日常的に(裡で)体験する「陰性感情」を鬱滞させることで、後にこの感情エネルギーに自我が支配されるからです。

 科学は理性を至上とし、感情を価値のないものとしたことで、自我から感情が排除されたのです。

 こうして発達したのが現代人の自我意識で、敗戦後の科学至上主義教育では、感情をどのように扱うか、育てるかが考えられていないからです。敗戦によって喪失した、日本の伝統的な「道」は、身体性を高めることで感情制御を身に付けるものであったのです。

  私たちの体と心(感情)は密接な関係にあり、喜びや楽しさ、あるいは不安や恐怖といった「喜怒哀楽」の感情は、身体的変化を起こす情動と呼ばれます。

 問題となるのは、意識下となった(=潜在意識化した)不快情動による交感神経の緊張持続です。

 明瞭に自覚できる不快情動としては、怒ると顔が真っ赤になったり、恐怖に襲われ不安になると心臓がドキドキし声が上ずったりすることです。

 これが、真に一過性であれば良いのですが、発生時に自覚はあったが潜在意識化した、または(発生時)、意識しにくい不快情動は、後に、頭痛・肩凝り・息苦しさ・眠りが浅くなる・食べ過ぎなどの身体的不調として表れます。

 整体指導で観察されるのは、このような(不快情動体験による身心の)硬張りで、指導の焦点となります(「偏り疲労」(身体の歪み)として観察される)。

 身体に硬張りが生じた時、自然治癒力である「恒常性維持機能(ホメオスタシス)」が活発にはたらくかどうかは、身体の弾力にかかっているのです。そして、それは身体感覚の敏・鈍そのものである、と言うことができます。

(異常感に敏感であり、さらには、調和感に敏感であることが「整体」を保つ上で望ましい)

 身体感覚が鈍いことは情動に気づくことも鈍く、それで感情が滞り易く、身心が刷新されないのです(負のエネルギー持続による「恒常性維持機能」の停滞)。

 異常感に敏感であり、さらには、調和感に敏感であることが「整体を保つ」上で望ましい状態です。

 人は、主に人間関係によって、絶えず喜怒哀楽の感情が発生するものですが、不快情動が内向し積み重なると、その負のエネルギーによって自分自身(心と体)を内攻する(=内部を冒す)ことになるのです(強い不快情動によって、運動調整機能が低下し、思わぬ怪我をすることがある。この状態は錐体外路系(註)運動が本来的に機能していない)。

(註)錐体外路系 大脳皮質から脊髄に向って下行する運動経路のうち、錐体路以外のものをいう。骨格筋の緊張と運動を反射的、不随意的に支配する働きをし、随意運動を支配する錐体路と協調して働く。錐体外路性運動系とも言う。

 自覚できない不快情動が累積し、精神面に現れるのが抑うつ症で、身体面に現れるのが心身症です。この状態が、最初に述べた自我と身体の分裂「意識と無意識の不統合」です。

 現代人の理性に偏った意識というあり方が、様々な「心(感情)に起因する病症」が増加している背景にあるのです(このため、現代では心身医学(深層心理学と生理学の結合)の発達が必要となり、心療内科が普及した)。

「科学の知」は「心身分離(心身二元論)」、「禅の智」は「身心一如(身心一元論)」と相対的に理解する(註)、こうした思想的理解(教養)を通じて活元運動を行ずることは、真の禅的な修養となり、さらなる身体性の向上によって、自己の「感情制御」をも可能ならしめるものです(活元運動の実践については第二部修養編にて詳述)。

 このような身心に至る(導く)ことが、私が提唱する「禅文化としての野口整体」です。

(註)「心身分離(二元論)」の心とは理性であり、「身心一如(一元論)」

の心とは身体性という相違がある。第三章三 1・3で詳述。

  第一部は、石川光男氏の説く東西の「世界観」の相違と、湯浅泰雄氏の説く東西の「心身論」の相違を基盤として書き表したものです。

 その論拠は、両氏が説く東西の相違は、私が良く理解できるものであり、その上、私が考える「野口整体と西洋医学」の相違を良く表現しているからに他なりません。

 二氏の思想による「近代科学文明と東洋宗教文化」の相違を以って、西洋医学の「思想と方法」と、野口整体の「思想と行法」を考えるのが第一部第一~三章です。

このような二氏の思想に力を得て、第一部の内容を表すことができました。

石川光男(1933年~)

北海道札幌市生まれ。理学博士。専門分野は生物物理学。1959年、北海道大学大学院 理学研究科 修士課程修了。同年、国際基督教大学 理学科 物理学教室 助手。1974年、同大学 理学科教授。1987年、同大学大学院 理学研究科教授兼任。

1999年、退職、国際基督教大学名誉教授。

湯浅泰雄(1925年~2005年)

福岡県福岡市生まれ。哲学者、文学博士。身体論、気の思想、超心理学ユング心理学等に関心を持った。東京大学文学部倫理学科、同経済学部卒業。経済学修士の学位を持ち、山梨大学教授・大阪大学教授・筑波大学教授・桜美林大学教授(同大名誉教授)を歴任。2005年没。

野口整体と科学 序章 二6

 今回の内容は、序章二の括りとしてちょっと納まりが悪いのですが、そのまま掲載します。見田宗介氏は活元運動をゼミで実践したり、体癖論を基に思想展開したりという実験的な試みで知られる方です。 

6 科学の境界を超えた師野口晴哉― 科学の外部に働く全体的・包括的な合理性

  2004年4月、朝日新聞社会学者・見田宗介氏(東京大学名誉教授)の評論「私の野口晴哉」(①~⑤)が、五週に亘り連載されました。これは、私の野口整体の歴史の中で画期的なことで、こういう時代が、ようやく来たのだと思いました。

私の野口晴哉 ② 椎骨百万

「包括的な合理性」の方へ

 合理性と非合理性、ということを考える時に、仙椎二番の話は面白い。

 人間の脊椎の基底は骨盤と癒着して仙椎となる。この仙椎の二番目の穴を刺激すると、火傷の痕が残らない。関節炎も治る。十二指腸潰瘍もなくなるという。

また妊娠初期の状態が判る。このようなことを、第二次大戦前に野口晴哉が見いだして活用していたら、同じ所(処)で妊娠と火傷と関節炎とどう関係するのか、非合理な新興宗教みたいだと非難された。

 事実の発見から数十年後にアメリカで、妊娠初期に分泌するホルモンを火傷に塗ると治る、関節炎も治癒することが発見された。十二指腸潰瘍はまだ分からないが、妊娠と火傷と関節炎がどう関係するのだろうか。このような推理が成り立つとわたしは思う。

妊娠出産は、平常では考えられない荒々しい力を以て個体の自己完結性を突破する経験であるから、哺乳動物はこれに備えて個体を再編成すべく、よほど強力な表皮、粘膜、関節等の修復力をもつ物質を妊娠当初から合成し分泌する方向に進化してきたはずである。

こう考えるなら、十二指腸の潰瘍の修復も説明の可能性がある。このことは「科学万能」の合理主義への批判であるが、返す刀で、神秘万能の非合理主義への批判でもある。

現在の科学の説明だけが宇宙の真理ではない。けれども科学の外部にも、より全体的、包括的な合理性は働いている。

…三十年間治療に専念する日々に野口晴哉は、百万を超える椎骨に触れてきたという。あらゆる科学と宗教による説明を一旦外してこの百万の身体感応の現象に依拠して立つという、〈間身体の現象学〉(註)ともいうべきものが、野口晴哉の方法である。

「説明は三十年後に誰かがしてくれる」と、野口はいう。目前の、というよりは身間の、事実に常に新鮮に驚きながら、そこからいつも新しく人間世界の理論を立ち上げてゆくという方法である。

 (註)現象学 

 学問・認識の根拠を個々人の主観における妥当(確信)に求めるもの。フッサール(1859年生 ドイツ)に始まる。「物事を観る」ことにおいては、様々な立場があり、立場によって変わること、変わらないことがある、という、その個別性・普遍性を考えるのが現象学

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二つの赤い点のある位置が仙椎二番で、穴が二つある。変動を起こしやすい場所なので、一般の人は押さえるなどの強い刺激を加えてはいけない。

 

野口整体と科学 序章 二5

5 「五氏の思想」を通じて解った「私がなぜ科学に取り組んだのか」

  井深氏が説いた「戦後教育の問題点」に対する私の認識は、自らの高校時代の体験(中巻巻頭参照)に基づくものですが、「近代科学の問題点」については、その種が、師野口晴哉の講義を通じて私の潜在意識に入っていました。

 師の三男である裕介氏は、父である師より聞いた話として、次のように述べています(『月刊全生』 1999年10月号)。 

…晩年よくこういう話をしてくれたことがあります。「自分が若い頃からやってきた中で一番の敵は何だったかと言うと、常識だ。常識ほど強いものはなく、その時代の常識と闘うということが一番大変なことだった」と。

…熱のこと、病気のことなど、皆それぞれ理解してもらうまでに時間がかかりました。熱というものの意味をいかに説いても、なかなか理解してもらえなかったと話しておられました。

   裕介氏が語っている「熱のこと、病気のこと…熱というものの意味」というのは、「病症は体の抵抗力の表れであり、発熱は自然良能である(=生命の合目的性)」ということです。

 また、師は次のように述べています(『月刊全生』対話の要求 9 2003年3月号)。

1972年一月正月潜在意識教育法講座(二頁)

 私が五十年間やってきたことは、社会通念ということに対する戦いでした。ちょっと前までは、薬を飲み過ぎるなと言っただけで非難轟々と受ける。薬を飲んだら体が弱くなるのではないかと言うと、もっとみんな腹を立てる。

 病気でも手を当てて愉気すれば良くなるというと、変わった思想のように思われて非難される。子供の自由を大事にしなくてはいけないと説けば、子供は鍛えなければいけないと反発される、という具合でした。

 それが三十年経つと、私の説いてきたことが常識になってくる。…どんなに常識が変わっていこうとも、人間の心の働きというものは変わらないのです。ですから私はその人間の心を見定めるということに力を注いできたのです。そして私は心を見定めるために、体の動きを丁寧に観察してきたのです。 

  私の潜在意識に刷り込まれていたものは、師野口晴哉のこの精神であったと思います。師が若き時より抱いた「近代医療への疑問」を通じて講義されたもの(師の心)が、対外活動(本章一 3で詳述)を通じて呼び覚まされ「科学とは何か」に向っていきました。

 なぜなら、師の言う「時代の常識」「社会通念」とは、明治以来の「近代医学」による医療のあり方(=科学的生命観)であり、その基盤には「近代科学」があるからです。

 従って、現代における「時代の常識」の根拠とは「科学的根拠」というものなのです。

 では、なぜ科学が「身体性の喪失(科学は身体性から離れる)」や現代医療の問題(部分を見、対症的であること)をもたらす要因となったのか?それを探究するため、石川光男氏の著作から「科学とは何か」を学ぶことになりました(第一部第一・二章で詳述)。

 私は、長年の野口整体の行により深めてきたものについて、井深氏と、ここ数年の四氏の著作内容による学びを通じて思考を拡げることができました。

その他、鈴木大拙(仏教哲学者)、池見酉次郎)(内科・心身医学者)氏(そして中村雄二郎(哲学者)、村上陽一郎科学史・科学哲学者)氏)の思想を学ぶことになりました。

 これら、主なる七氏(前述の五氏と二氏)に私淑する(直接に教えは受けないが、その人を師とし学ぶ)ことで、「科学の知・禅の智」シリーズを著すに至りました。

 これらの人々は、現代の日本における問題を、それぞれの立場・視点より説いておられますが、共に「近代科学とは何か?」「科学による近代社会の成り立ち」「近代科学の利点と限界・問題点」について明らかにされています。

 私は、現代人が野口整体という「思想と行法」を身につけていないから、「心と体」に問題を抱えているのだと長い間思ってきましたが、五氏等の思想を学ぶことで、これは、「戦後の科学的教育」、そして、明治以来導入された「近代科学」により発展した現代社会に要因があったと、良く理解できたのです。

野口整体と科学 序章 二4

 井深家は会津の名家であり、井深大氏の曽祖父は会津藩の家老で漢学に優れ藩校・日新館館長を務めたこともあり、幕末に会津での籠城戦に参加、親戚には白虎隊で自刃した方もいます。

井深氏は2歳の時、父の死去に伴い、愛知県安城市に住む祖父のもとに引き取られました。母と共に5歳から8歳まで東京に転居、その後は再び愛知県へ戻り、のちに再婚した母に従い、母の嫁ぎ先の神戸市に転居、早稲田大学理工学部を卒業しました。

 葬儀の際、江崎玲於奈氏は「温故知新、という言葉があるが、井深さんは違った。未来を考え、見ることで、現在を、明日を知るひとだった」と言ったそうです。それでは今回の内容に入ります。 

4 科学万能(理性至上)主義を批判した井深氏の精神の基盤を成す東洋宗教(儒教

  井深氏は『論語』などの漢文の素養のある方で、氏の思想は東洋宗教の一つである「儒教」に原点があるようです。「人とのつながり」を大切にする儒教は、「気」を中心とする易経(註)の世界観から生まれ、全体性を尊ぶ教えです。

 企業人でこのような活動(幼児教育)をした人は稀有な存在ですが、その基には東洋宗教があり、会津藩士を曽祖父に持つという武士道精神が受け継がれていたのです。

 氏は先に紹介した『胎児から』で、戦後教育の原動力となった「科学=欧米的な合理主義というイデオロギー」の問題点について、次のように述べています(五章 なぜいま「胎児」なのか)。 

驕れる科学万能主義を排す

 私は科学者ではないし、私の本は科学書ではありません。本書もそうですが、それは経験と知識と考察によって著された書であって、いわば旧弊な思想からの意識革命を意図するものです。

コペルニクスの「地動説」やダーウィンの「進化論」を持ち出すまでもなく、いつの時代にも、時代を揺るがす真実を真実と認めようとしない風潮はあります。もっとも「地動説」や「進化論」が直面した批判や非難は、当時の西欧社会を支配していた神学の側から投げつけられたものでした。いってみれば「科学」と「非科学」との闘争です。

周知のようにこの闘争は、その後、圧倒的な科学の勝利に終わり、西欧社会は神学の時代から科学万能の時代へと変貌していきました。「科学」という新しい宗教が、西欧社会を支配するようになったのです。

 近代西欧の科学主義を根底で支えてきたのは、デカルトの哲学とニュートンの理論です。彼らはともに、世界は「機械仕掛け」で動いているということを立証した。デカルトは人間の心と肉体を分離すること(二元論)によって、人間は完全な機械であると唱え、ニュートンは運動の法則によって宇宙全体が大掛かりな機械であることを示しました。

 確かに近代の発展の相当大きな部分は、彼らの「科学」に負っています。それは確かにそうなのだけれど、一方において世界は、過去も現在も、従来の科学では処理できない問題を山ほど抱えています。

にもかかわらず、ここ一世紀半ばかりの科学の勢いに目を奪われて、あたかも科学が万能であるかのような錯覚に陥っている。科学にあらざれば学問にあらずといった風潮が、欧米のみならずわが国にも及んでいる。

 かつて「地動説」を糾弾してやまなかった神学と同じ愚を、現在の科学は繰り返しているのです。 

  そして、井深氏の著作が直接のきっかけとなり、「戦後教育」「科学教育」というものの問題点について、認識を深めるようになりました。氏は、戦後教育により「理性」以外の心の機能が未発達である問題を指摘され、「感性の教育=あと半分の教育」の必要性を説きました。

 井深氏の著作は、私が「科学が置き忘れた人間の心」という問題に取り組む発端となりましたが、その後、井深氏と同様「近代科学と心の問題」に取り組んだ、湯浅泰雄・石川光男・河合隼雄立川昭二(医療史)氏の思想を学ぶことにつながっていったのです。

(註)易経 儒教の経典である「四書五経」の筆頭(五経第一)にあげられる中国古典で、宇宙・人生の森羅万象を陰陽の変化によって説明し予言する書。エジプトのパピルス文書と肩を並べる東洋最古の書物で、東洋思想の根幹をなす哲学書

野口整体と科学 序章 二3

 今回の内容には、現代の女性と出産・育児についての記述があります。全体的に、野口整体の出産・育児観というのは、一般的な感覚から言うとかなり女性に対する要求水準が高く、女性の責任が重く感じる方も多いかと思います。

 井深大氏の幼児教育に対する考え方も「三才神話」などと言われ、母親を追い込んでいるという批判がされたこともありました。

 でも、そこで、大人の自分ではなく、子どもだった時の自分のことを思い出してほしいのです。お母さんは、自分の太陽、宇宙の中心だったのではありませんか?

野口晴哉井深大の言葉が母親に厳しく受け取られるのだとしたら、それは「男だから」というよりも、子どもを中心にした見方をしているからなのです。それでは今回の内容に入ります。

 科学が置き忘れた人間の心― 対象化して認識する科学的知性=「理性」 

 井深氏は『胎児から』で、新生児に対する見方に表れている西洋医学の「科学性」について次のように述べています。 

はじめに

 生まれたばかりの赤ちゃんは、眠っているか、泣いているか、お乳を飲んでいるかだけで、目も見えなければ、知能もなく、悲しいとか嬉しいとかいった心理的機能も備えていない ――永い間、私たちはそう教えられてきました。それが、私たちが長年にわたって信奉してきた近代西洋医学の考え方だったからです。

 しかし近年では、生まれたばかりの赤ちゃんが母親の声に特別の反応を示すことは、広く知られています。それどころか、お腹の中にいる時から、赤ちゃんはお母さんの声はもとより、子宮内外の音を聞いていることが、学問的に明らかにされています。

   合理的思考を旨とする、これまで(私が若い頃まで)の科学的知性=「理性」というものは、「赤ちゃんは…知能もなく、…心理的機能も備えていない」という判断をし、他の可能性を顧みることがないものでした。

 高等教育を受けた女性に「子育てが難しく感じられる」傾向がある原因は、赤ちゃんの「心」を感じ取るための感性がはたらかないことにあるのです。理性に偏ると感性は隠れてしまうのです。

 さらに、私が若い頃は「女が大学に行くとお産が重くなる」とまで言われており、年配者は、西洋学問をする(=理性・客観的思考が発達する)ことの弊害をこのように表現していました。

 理性という現在意識が活発な女性(=高学歴の女性)に子育てが難しいのは、子どもの内面を感じる心(感性・潜在意識)がはたらかないからです。潜在意識がはたらくには現在意識のはたらきを弱めることが肝要です。

(現代では、潜在意識を自覚するという意識的訓練が必要で、その上で潜在意識を使うことで発達する)

 働く女性が妊娠し、出産前まで長く働き、頭を多く使うことは、胎教や出産、その後の育児に影響があるものです。特に妊娠早期において頭が働かなくなる時期を自然(じねん)に経過することは、潜在意識のはたらきを養う上で重要な意味があると考えています。

(女性は妊娠期間を通じて母性が発達する=女子が母親となる)

 科学的・客観的思考とは「切断する」はたらきでもあるのです。現代での「子育ての難しさ」の要因はここにあるのです。

 野口整体の指導において必要とされる、人間を扱う「感性」というものは、このような理性・現在意識というものとは対極にあると言えます。

 近代科学の頭にある心(理性)に比し、野口整体の心(感性)は体にあるのです。

 東洋宗教の基にある身心一元論では、精神(霊魂)とは「肚」であり、「身体性」を重視し「人間の中心(心)は丹田にある」としています。これに基づく野口整体では「心と体は同じもの」であり、この「心」は近代科学(心身二元論)が定義した心とは大きな相違があるのです。

 井深氏は、戦後の教育の問題と関連付けて、西洋医学は「部分を取り上げ、全体との関係を無視している」と、西洋医学と教育の問題が持つ共通点について次のように述べています(『心の教育』()内は金井による)。 

教育の“対症療法”では、子どもの心は育たない

 熱が出たら熱を下げる薬を与える、血が出たら血を止める薬を塗る。こうした対症療法の考え方に基づく治療法は、じつは人間の心と体が形づくる全体的なシステムを無視し、局部的な症状、部分的な現象しか見ていないことになるのです。

教育の問題にしても、ここで述べたこととまったく同じ誤った扱いがなされているのが現状です。それはおそらく、西洋医学も戦後の教育も、その根本では西欧的な合理主義というイデオロギー(主義・思想)によって支えられているからでしょう。

「対症療法だけでは教育は変わらない」といったとき、その意味するところは、たいへんに深いところでフィロソフィー(哲学)の問題につながっていると思います。

  西洋医学の治療法が、このように「対症的」であるのは、近代科学の心身二元論と機械論的世界観が基にあるからです。

(註)漢方医学では外感熱病(感染による熱病)を邪気(発病因子)と正気(抵抗力)の闘争ととらえる。ここでは発熱の状態を否定せず、発熱もまた邪正闘争に伴う病理反応とみる。

神戸大学耳鼻咽喉科 木村 照「漢方医学からみた小児ウイルス疾患」(pdf論文)より

野口整体と科学 序章 二2

井深 大から始まった「近代科学」についての学び

 私は団塊の世代(1948年2月生)で、東京オリンピック(1964年10月10日開催)前後に高校生活を送りました。

 当時は、戦後の高度経済成長下に大学受験競争が激化し、それは、その後の時代にも続く受験戦争の幕開けとも言えるものでした。受験勉強は、その後の競争社会への適応度を測るものなのでしょう(受験勉強は、競争をすることであって学問をすることではない)。

 良い大学の後には、良い会社や、役人という出世コースが約束されているという、戦後の「金銭至上」という風が強く吹いていたのです。

 敗戦後の高度経済成長によって、硬貨の表が「科学至上」ならば、裏が「金銭至上」という時代がもたらされていました(このような時代に高校生活を送った私は、競争を煽る学校の体制に強く反発を感じていた。中巻『野口整体ユング心理学 心療整体』巻頭で詳述)。

 私の身の周りでは、学校の先生もその他の大人も「良い成績を取って良い大学に行けばいい」ということしか言わず、将来の方向を相談できるような、「感性」に対する理解を示す人は皆無でした(高校時、私は「どのような方向に進んだら良いのだろう」と悩んでいた)。

 そして、私のこのような思春期の体験が「近代科学」につながっていることを教えてくれたのが井深大(1908~1997年)氏でした。

「知育・徳育・体育」という言葉がありますが、井深氏は『あと半分の教育』(ごま書房 1985年)の中で「徳育」についてとくに触れ、

「今ある教育学というものが、知的に理論的に物事を解釈することだけが目的や方法になってしまっていて、感性といったものを受け止める受け皿が全然ない状態にある」

と、戦後日本の教育についての問題点を指摘しています。

 井深氏は晩年の書で、「戦後民主主義」と呼ばれる教育がどのようなものであったかについて、次のように述べています(『胎児から』)。 

「胎児を考える」とは地球の将来を考えること

 思えば日本の教育は、明治以来、欧米に、追いつき追い越すことを最大の目標に掲げてきました。敗戦という大きな挫折の後もこうした目標に変わりはなく、むしろアメリカの合理主義的教育に範をとった戦後の教育改革が、それに拍車をかけたといえます。その結果、知識を詰め込む知育最優先という偏った教育体制ができあがってしまいました。

確かに戦後の荒廃から日本が立ち直るためには、知的人材の育成こそ急務だったというやむを得ない事情もありました。だがその反面、日本人としての「心を育てる」「人柄を築きあげる」という教育(これが東洋宗教文化「道」の教育)のいま一つの重要な部分が置き去りにされてしまったことも事実です。

…拝金主義に毒された社会のひずみから、情緒障害やいじめといった子供たちの心の荒廃にいたるまで、私たちは、今、知育に偏りすぎた戦後教育のツケを、さまざまなかたちで支払わされているのですから。

つまり私が突き当たった疑問は、戦後日本の教育が抱えてきた病根そのものであったわけです。そして私は、いわゆる秀才や英才を育てる以前に、戦後教育が見捨ててきた「心を育てる」教育こそが、いま最も必要とされていることではないかと考えるに到りました。

まずは人間としての「心」が先であって、知識を中心とした能力を養うことなど、その後でも十分間に合う。「心」が育まれてこそ知恵や知識がついてくるのであって、その逆ではない。そうした考え方に変わってきたのでした。

  敗戦後、科学技術を日本人の生活に活かすことに始まり、ソニーを世界的な企業に育てた井深大氏は、いち早く「科学文明」の問題点を感じ取った人でもあり、戦後日本の知育偏重教育の弊害による「心の問題」に早くから気づいておられました。

(井深氏は教育活動に熱心に取り組み、1969年、幼児開発協会を設立)