野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第四章 一2 西洋医学では「肉体」を見る 野口整体では〔身体〕を観る

 心と一体としての〔身体〕=気の体

 私は『野口整体 病むことは力』(終章 日本の身体文化を取り戻す)で、次のように述べました。

野口整体の源流は日本の身体文化(266頁)
このように私たちの祖先が何百年何千年、連綿と培ってきた、完成された文化がありました。それが、日本の身体文化です。ところが、残念なことに、日本人はこれを明文化するということが少なかったために、そして大きくは、戦争に負けてしまったために、戦後、安直に手放してしまった。それが、今の日本人の体の状況、ひいては心や生き方につながっているのです。
 齋藤孝さんは、前著(『身体感覚を取り戻す』)のなかで、日本の伝統的な身体文化を「腰肚文化」と名づけ、戦後、急速にすたれたことに警鐘を鳴らしています。
 このことを、私自身も、日々人の体を観るなかで痛感してきました。私が整体指導のなかでやっていることは、野口整体の専売特許ではなく、日本人が連綿と受け継いできた「足・腰・肚の文化」であり、長い間の民族の知恵なのです。野口先生が始められた整体だけれども、もっと奥の流れがあると思えてきたのです。
 だから、私は、日本の伝統的な身体文化を現代においてより洗練されたかたちで復興し、広く一般に知らしめ、先人たちの体の智慧を受け継いでいくこと、各々の生活のなかに活かしていくこと(これらを次の世代に伝えること)を自らの使命と考えました。

 こうした主旨をこめて、2014年3月には、当会「野口整体 気・自然健康保持会」を一般社団法人としたのです。
 野口整体の整体指導では、相手の〔身体〕を気を集めて観察します。この時、その〔身体〕に心や感情を観察することができます。しかし、「気」を集めることができないと、それ(心や感情)はよく観ることができません。ですから、「科学」とはなり得ません(客観性・普遍性がない)。

 しかし、科学的に進んだ医学における医療機器CT、MRIにおいては、病理学的な変化はよく観察できるのですが、「こころ」は写りません。このことを、西洋医学では「肉体」を見る、野口整体では〔身体〕を観ると、私は論を展開しています。
 それは「日本の身体文化」という言葉を通じて、西洋人が捉えている「体 (Body)」と、かつて日本人が捉えていた「からだ(身)」、その違いを「肉体」と〔身体〕という言葉で定義したことから始まりました(ここでは〔身体〕と書いてキッコウカッコシンタイと読む)。
 25年ほど前になりますが、江戸っ子育ちの元芸者さんで年輩の女性を観たときのことです。
 彼女は背中を痛めて指導を受けに来たのですが、数日後にもう一度来たところ、「おかげで腹黒いのが取れました」と礼を言うのです(腹黒いとは「心に何か悪だくみを持っている」こと)。
 彼女はかつて胃潰瘍になったことがあり、「腹黒い」のが溜まると病気になることを自身で実感していたのです。
 仮に自身の病気体験がないにしろ、この世代の人たちは「腹黒い」という言葉をよく使っており、「腹黒い」ことが悪想念を抱くことだと了解していたわけです。
それに留まらず、この世代までの人々は「腹黒い人」というのを、「気」で見抜く能力さえ有していたのです。
 このように日本人は、野口整体が生まれる以前から「からだことば」を通して、自分も他の人も「身心」を一体として捉えてきました。ここにも「野口整体の源流は日本の身体文化」というべきものがあるのです。
 西洋近代医学以外の癒しの伝統においては、「多様な身体性」が扱われており、私は、科学的に高度に発達した西洋医学一辺倒の現状に対して、こうした心と一体としての〔身体〕=気の体、というものを知らしめたいのです。