野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第三章 二7 吾がままに生きる

 駄目出し人生と別れ「全生」を宣言する 

 他にもこんなことがありました。なんと、ある個人指導の二日後、大切な会議を忘れて退社してしまったのです。帰宅途中に上司から電話で呼び出されたのでした。

 このようなことは初めてで、以前の私だったら、周りの目を気にして委縮してしまい、自分をすごく責めたと思うのですが、その日は走って会社に戻り、会議室に入るときに深々と頭を下げ、それでお終い。

 逆に、周りの同僚が「会議って一声かけなくてごめんね」と声をかけてくれ、次の日からは「今日は帰ってもいいですよ」と言われ、笑い話に変わりました。以前の私のように、余分に何度も周りに謝っていたら、このように笑い話にはならなかったと思います。

 今までの私は、○○はできない、○○はしちゃいけない、やっぱり私はダメなんだと、頭でいろいろと考えて、自分で限界を作り、可能性の芽を摘み、生きにくくしていたのだと思います。

 頭でごちゃごちゃ考えて、自分で限界を作るのではなく、スッと感じるものが本質であり、その感覚に素直に従うことが大切なのではと思います(これが整体)。

 本質を正しく捉えられるように、また、他人によく思われたいという我欲に囚われないようになる(主体性発揮)ためには、日々の活元運動を通して自分を磨くことが大切なのではと思っています。

 金井先生に教えていただいた「吾がまま(我儘ではない)に生きる」ということは、「天心で生きる」ということかもしれません。私の野口整体はまだまだ始まったばかりです。これから自分の身心がどのように変わっていくのか、活元運動がどう変化するのか、どんな自分に出会うのか、怖くもあり、楽しみでもあります。

 この度、このように自分を見つめる機会をいただきましたことを大変感謝しております。このような機会がなかったら、ここまで明確に自分の変化(本来の自己)を自覚できなかったと思います。

 長い間、思いもよらなかった兄の一言が発端となり、無自覚に自分が囚われていた「人に嫌われたくない」という思いや、そのことから派生した様々な思いに、がんじがらめになっていたことに気づかせていただきました。

 この一年で、自分が変わることで周りも変わり、自分には見えていなかったものが見えるようになった気がします。

「嫌だ」という感情を持つことを肯定することで、その嫌だという思いに囚われなくなった気がします。今までは、楽しむことや幸せになることをどこかで避けていたのかもしれません。現在は日々の暮らしの中で、素直に「楽しい、嬉しい」と実感できることが新鮮です。

 野口先生の「現実とは 心の反映に他ならぬ。…希望はいつも実現する。実現するまで希望をもちつづけること。(『風声明語Ⅱ』「息する欣び」九四頁)」という言葉を支えに生きて行きたいと思います。

 今後は、自己を信じて、思う存分「全生(人生を全う)」していきたいと思います。

(金井)感受性を開拓し、生きる領域を広げていくことこそが人間にとっての自然なのです(野口晴哉の説く「自然」とは心の鍛錬)。

 体を育てることで感受性を高度にし、自己の可能性を遺憾なく発揮することこそ「整体」の道です。