野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第三章 二3 現在が変わると過去が変わる

 やはり一 1で、私は次のように書きました。

「ここで、私がこの話を取り上げるのは、Yさんは、ここ数カ月「生き方」に目覚め、「生き直し」の意志を持って、来始めとは全く違うYさんとなっており、こういう中で、四十年にもなるという、その時の「兄の言葉」を明瞭に憶(おも)い出したからです。

 Yさんにおいては、「兄の言葉」が潜在意識に入り、とにかく人に迷惑をかけないよう、感情を抑え、人に気に入られようとして生きるようになったようです。

 右肘に触れながら、先のように語りかけることで、Yさんはその時(四十年前)の心象風景を、深々と思い出していたのです。」

 意識できなかった潜在意識の「感情の固まり(コンプレックス)」が自分を支配し、意識の働く方向ともなっているのです。この固まりが、活元運動によって(個人指導を通じて)溶け始めることと、気づくことは一つなのです。

 その後、Yさんは以前の自分を次のように語っています。

 

 以前は、誰でもいいから自分のことを認めて欲しい、私を必要として欲しい、独りでいたくないという気持ちが強く、私がどんなに嫌悪感を抱く人にでさえ、「私のこと嫌いにならないで!否定しないで!」と、“良い人”になる努力をしていました。

 全ての人に優しくしなければ、親切にしなければ罰が当たる、幸せになれないと考え、自分の些細な一言や態度で嫌われてしまったのではないか、嫌な思いをさせてしまったのではないかと、夜も眠れないほど悩んだり、相手が誰でも、自分に非がなくても、先ずは謝っていました。

 誰かを嫌だと思うことや、怒ることはいけないことだと思っていました。自分が何か嫌な思いをしても、自分が悪いからだと考えていました。

 そんな私が、個人指導を始めてそろそろ一年となる今年の5月に、会社で大変失礼な態度をとった後輩に「貴女、失礼よ!」と、言い放ったのです。あまりにも自然に言葉が出たので自分でも大変驚きました。この長い人生の中で、初めての出来事でした。

 現在でも、周りから良い評価を受けたいという気持ちがありますが、「何と思われても、まっ、いいか。」と、流せることが増えてきました。過去のことをいろいろと思い出し、メソメソ、クヨクヨ、一日の大半をあれこれ考え、ぐずぐず悩むことが多かった私ですが、気づいたら不思議なくらいさらっとした私になっていました。

 最近では漠としたうれしい気持ち、幸せな気持ちに包まれることが多くなり、今までなぜあんなに泣いていたのかが分からないほどです。

 先日、久しぶりに幼い頃の写真を見たのですが、自分が思い込んでいたほど哀しい日々ではなかったのではないかと気づきました。そこには、母に抱かれとても楽しそうに笑っている私がいました。「現在が変わると過去が変わる」とは、こういうことなのかもしれません。

 母からも「あなた、変わったわね!」と言われます。自分でも言いたいことが口から出るようになってきたと思います。

 金井先生からご指導いただく際に、それまで意識していない言葉が口から出ることが多々あるのですが、それが潜在意識に降りていくということなのかもしれません。自分の意思とは無関係に、言葉や思いが潜在意識に入り込み、コンプレックスとなって長い間自分が支配されてしまう、ということを知り驚きました。

 動的瞑想法(動く禅)である活元運動の訓練は、ふつう意志の自由が及ばないと考えられている自律系の生理機能にまで影響を及ぼすものです。

 自律神経の作用は、情動(喜び・愛・平安・また、怒り・悲しみ・憎しみなど、といったプラスとマイナス、つまり快・不快の感情)と深く連関しています。

 マイナスの情動がいつも強くなれば病的な状態になりますし、プラスの情動がいつも強くなれば心身の健康の発達に結びつき、より成熟した心理特性(心の癖としての情動パターン)を育てていくことができるわけです。

 個人指導において、活元運動は情動の歪みを取り除き、より深い無意識の層にあるエネルギーのはたらきを意識のはたらきと統合していくことを意味します。

 それは、無意識すなわち心のより深い未知の層にまで分け入り、その力をコントロールしていくことによって、心身の潜在的機能を次第に高めていく(無意識(=身体)を制御することで潜在能力を意識化する)ことであると言えるのです。

 個人指導を通じて学んでいく情動のコントロールは、心の動きと身体の動きの相関性の度合いを高め、心と身体の間によりいっそう緊密な結合関係をつくり出すとともに、究極的には、人格の円熟した発達という精神的目的を追求するものです。

 人格の発達は、人間関係を広め深めるもので、これにより自身の「自己実現」が可能となるものです。