野口晴哉
ヒポクラテスの言葉 野口晴哉(昭和18年)
年頭所感 人はその精力を集中することによって、平素出来ないことをやりとげることがしばしばある。事をおこし、事を運び、この世に新しいものが生まれるということの背後には、人の精力集注があることは見逃せない。 しかも人は精力を集中して事を為すとい…
今回から序章に入ります。初回は「正座再考」の原文と現代語訳を紹介します。この文章が書かれた昭和六年という時代は、日本が軍国主義化を強めていく時代でした。 一見、国粋主義的にも受け取れる表現がありますが、掛け声だけ勇ましくて、日本人の長所や美…
『「気」の身心一元論』で使用された全生訓を紹介します。 全生 全生とは死ぬこと也 死ぬということ 生ききって初めてあり 生ききらぬ人は死ねず 自ら殺し 又他に殺されている也 生ききらず 生きんとしてあがき 自ら殺している人多し ハッキリ知る可し 全生…
野口整体で云う「整体」とは、全力を発揮して生きるための「身心」のあり方です。 この「心」を説くのが「全生」思想です。 全生思想 師野口晴哉は十五歳で道場を開き、治療家として本格的に出発しましたが、その当初からの「全生」思想を通じ、人が全生する…
骨盤の前後運動の重要性 これまで、運動系の問題を自律神経が支配する領域と関連付けた観方というのは、学問的にはあまりされてきませんでした。 しかし近年、ヒラメ筋というふくらはぎの内部にあって重力を受け止めている筋肉が緊張すると、感覚神経ととも…
2015年、熱海道場で行われた講義で。掛け軸は野口晴哉先生の揮毫。 雲の中にも蒼き空はある也 陽はいつも輝いている也 怒りの中 悲しみの中 煩いの中に喜怒哀楽を見ず 輝しき光を見 人の生くるはたらき悟るは 養生といふこと知る人也 野口晴哉 (金井省蒼『…
現在の如く、世界中騒然としている時でも、 心を静めれば静かなる時を得ることもできる。 世界が平穏な時でも、 心が騒げば蚤一匹いただけでも騒げる。 人間とはこの如く自由に生きるはたらきを持っている。 このことに気づき、いつも楽々悠々生きたい人はそ…
はじめに の途中ですが、『野口整体とユング心理学』に入るにあたり、内容全体を象徴する野口晴哉先生の語録を紹介します。 「それ」と「これ」 人間生活は外の条件によってだけで行われるのでは無い。同じ食物を同じ量食べても栄養度も元気も異る。その内部…
補足として、野口先生の要求と体癖についての文章を紹介します。 要求の現れ方は体癖によって異なる 今迄、体癖とは体運動の無意的偏り習性であると説いておりましたがそれは説明の便宜の為であって偏り運動習性そのものが体癖ではない。…体癖とは何かという…
(金井) 野口晴哉先生は、昭和元年頃(当時一五歳)道場を開きました。その数年後、「健康と心の関係」について次のように述べています。 (註)『野口晴哉著作全集 第一巻』(養生編 昭和5~6年)より。原文は旧仮名遣い 全生論 全生について 全生――生を全…
補足として、『偶感集』(全生社)から、野口先生の説く「自然」についての文章を紹介します。 それ以前 天衣無縫は美ではない。そこに自然の秩序が現われることによって美を感じる。 美は秩序であって、抛ってあるところにあるのではない。 一片の花にも美…
野口整体で健康を説くのは、病気にならないようにするためではありません。そのことについての文章を紹介します(原文旧仮名遣い『野口晴哉著作全集 第一巻』)。 全生のおしへ 二 生命は決して凭りかかりたがらない。 健康は勇気だ。思うことを行える。考え…
全生の詞 野口昭子夫人の回想録『朴葉の下駄』によると、「当時(野口先生20代初め)、活元運動をする人々の中には、それを暗唱していた人もあったと聞く」とのことです。 全生の詞 我あり、我は宇宙の中心なり。我にいのち宿る。 いのちは無始より来りて無…
臨済録を読みまして一番面白かったのは、生まれたままの自然の心の状態で、つまり赤ん坊と同じ心でというが、赤ん坊の心では役に立たないのだ・・・。と。 いろいろ迷い迷って、くだらない妄想などを描いて、そういうものを通してなお、生まれたての赤ん坊の心…
意識以前にある自分 野口晴哉先生による、「意識した自分」と「意識以前にある自分」についての文章を紹介します。この「意識した自分」=意識・自我、「意識以前にある自分」=無意識、として読むと、『禅と精神分析』とのつながりがより感じられると思いま…
(補足) 野口先生は「大人の天心」について次のように述べています(『月刊全生』)。 大人の天心 人間は智恵があれば智恵を鍛えて、万全に逞しく生ききり得れば、それが自然です。私が無心とか天心とか言っていますが、赤ちゃんにそんなものは求めないので…