禅文化としての野口整体Ⅰ
無目的で行う活元運動 五 2には「無所得(何かを得ようとしない)・無所悟(悟りを得ようとしない)」という、無目的で行う坐禅と、何もしていない安静状態の脳に、DMN(デフォルトモードネットワーク)という神経活動を調和させるはたらきがあることについ…
心の力は身体にある 今回は、禅文化としての野口整体Ⅰ 四 2(35頁)からです。 少し戻って、三 1のKさんの指導例の冒頭には、Kさんのレポートの抜粋で指導前から「意識している」ストレスの内容が紹介されています。 Kさんは何とか「打開策」を見出そう…
(補足) 野口先生は「大人の天心」について次のように述べています(『月刊全生』)。 大人の天心 人間は智恵があれば智恵を鍛えて、万全に逞しく生ききり得れば、それが自然です。私が無心とか天心とか言っていますが、赤ちゃんにそんなものは求めないので…
脱力による無心 今回は禅文化としての野口整体Ⅰの最後、四から始めます。今回もKさんという男性が登場します。 が、その前に、本教材の一1に戻ってみましょう。ここでは野口晴哉先生の「本来の体育」(『月刊全生』)からの引用に、金井先生が以下のような…
整体指導で観察する〔身体〕 今回は、三 隠れたものを観る 2(26頁)から始めます。今回も指導例で、Kさんという50代の中学校教師の男性のお話です。 この指導例の前半のポイントは、Kさんは最初に、学習意欲のないSさんという女生徒と「話し合い」をし…
「私の体は、私の頭より賢い」 今回は、禅文化としての野口整体Ⅰの二 3(19頁)から始めます。 「私の体は、私の頭より賢い」という見出しは、金井先生が個人指導を受けていたNさんの話を聞き非常に喜んだことからつけられました。 小さな時から優等生だっ…
随所作主、立処皆真 今回は、禅文化としての野口整体Ⅰ 16頁から始めます。 金井先生は見出しにつけた禅語「随所作主、立処皆真」という言葉が好きでした。 個人指導の中で、不快情動が起きた時から気が転換せず、その状態がずっと続いていることが焦点になる…
思想を通じて身につける活元運動 現在、気・自然健康保持会HPには、2015年5月13日に朝日カルチャーで行われた講座の教材を補足した「禅文化としての野口整体Ⅰ補修講義」(補修講義は熱海道場で行われた)、「禅文化としての野口整体Ⅱ」という二つの教材(…