野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

2021年12月18日 活元運動の会

活元運動の会のお知らせ

以下の通り、活元運動の会を開催いたします。

参加お申し込みの方は、メールで

soryu0516@gmail.com

までお申し込みください。

2021年12月18日(土)
午前9:15~30 開場 揃い次第開始
場所 小田急相模原駅近くの和室(申込後にご案内します)
会費 3000円

※薄手のゆったり長袖Tシャツと、薄手のゆったりパンツをご用意ください。

近藤佐和子

第二部 第四章 二4 身体の可能性とは― 理性の世界から身体性の世界へ

 2008年3月、真田さんは中国雲南省少数民族出身のヤン・リーピンという舞踊家が来日し、その公演を鑑賞した。舞踊は生命の躍動とも言えるほどで、その美しさに感動した。身体の動きに感動するというのは真田さんにとって初めての体験だった。

 その後真田さんは、身体とは、身体の「可能性」とは、について考え始めるようになり、できるだけ身体の変化に目を向けて、その変化の原因はどのような感情からきたのかと、情動に注意を向けるようにした。

 しかし整体指導を受けてみると、自分が思ったことの多くは、表層的な意識による観察で捉えたに過ぎなかった。金井先生から身体の観察から「何かがありましたね」と問いかけられ、自分なりに思い起こして「これだ」と思っても、指導が進むと別のことに原因があったことに気づかされることが何度もあったのだった。

 そして、この真の気づき(=悟り)が訪れると、重心が下がり身体が落ち着く、という体験を重ねていった。「腑に落ちる」という言葉の意味を、この頃、初めて身体で実感することができた。

(金井)

 このように指導が進む理由は、指導の最初に「張りや痛み」を本人の身体感覚によって確認し、これを私が共有しているということがあります。また、後から思い出したことが真の原因というのはよくあることで、体の硬張りとなっている主原因の抑圧感情は、心のより下層にあるものです。

 愉気によって、「張りや痛み」と「意識下の感情」がつながり、さらに、本人の意識の全体(感覚・思考・感情)が明瞭になるほどに、真の原因とつながり易くなります。

「腑に落ちる」が、身体が落ち着くことだと感じられることは、身体感覚と同時に「気」の感覚が涵養されたのです(気は心と体をつなぐもの)。

第二部 第四章 二3 身体感覚の涵養を通じ、自己認識を深めようと努める

 真田さんは、身体の変動に心の動きが表れることに気づく意味と大切さを個人指導を通じて学んでいたが、忙しい毎日の中でこのことを意識化することはなかなかできなかった。

 個人指導では気づきを得ることができても、日常に戻ると気づくのが難しくなるのだ。整体を通じて十全に生きることを目指していたものの、この課題はあった。

 真田さんは振り返ってみると、知識として理解していたと言う。これは身体感覚が十分に養われていなかったことで、身を以て、感覚的に理解することができなかったということだ。

(金井)

 感情と分離していた(理性を主とした)意識は、身体感覚が涵養されることで、自身の感情とつながるのです。

(やがて、感情を自我に統合し、さらに、主体的自己把持(意識と無意識の統合)へと進む。第一部の始まりに「現代の科学的教育によって発達した「理性に偏った意識」は、自我と身体に分裂をもたらしています。」と述べたが、こうして「感情を自我に統合する」ことが可能となる)

 

 それでも、整体指導の積み重ねによって身体的な気づきを促され、真田さんは自分についての理解を深めていった。

 真田さんは整体指導の中で、子どもの頃の出来事を突然思い出すと言う体験を度々していたのだが、この経験を通じて子どもの頃の様々な心の抑圧が今でも影響を与えており、今の自分のありようにつながっていることを理解しはじめていた。

 個人指導の中で、体の使い方も少しずつ学んでいったが、中でも「正しい正坐」は指導の中で度々教わった。この正しい正坐を自分でやって見ると、きちんと坐ることが非常に難しいことが分かる。下半身に力が入るので、この坐を保つのは意外にきついものだが、腰が入っている時は快感がある。こういう時は、仕事のことで頭が混乱している時も、指導で腰が据わると落ちついて考えることができるのだった。

 その他にも、指導の中で仰向けに寝て、左右の脚踵を交互に突き出しアキレス腱を伸ばす運動や、側腹を伸ばす運動を誘導された。これらの運動をすると、頭がすっきりして、腰が落ち着く感覚が出てきて「正しい正坐」をやり易くなった。

 こうした身体的な指導を通じて、快い身体の状態を体感することができた。これは、自身の内に、立ち返る場所を見つけたとも言える。

 この頃の私は、もはや人に好かれよう、慕われようとして体裁を繕うことはしなくなり、大義を通すためであれば、嫌われること、疎まれること、恨まれることを恐れたり、厭うこともなくなっていた。また、地位と力を行使し、志を遂げたいという強い欲求を感じるようになっていた。

 これはかつて管理職にはなりたくないと思っていた自分とは正反対の境地で、整体指導を通じ、身体との対話を通して深まった「自分」に対する理解と自己イメージの変容によるものだった。こうした自己認識の深まりが、真田さんに主体性を育んでいったのだった。

第二部 第四章 二2 感情と身体感覚に気づく

 真田さんは個人指導を受けるようになってから、「私のそれまでの「自己認識」は、金井先生の一言によってコペルニクス的に転回した。いや、それは、元来私の内にあったものが、パンドラの箱が開かれた時の様に、あふれ出てきたかのような体験である。」と述べている。

 真田さんは中学生時代、キューバ革命の立役者チェ=ゲバラカストロに憧れ、革命家を夢見ていた時があり、大学時代にも学生運動に関わったことがある。

 しかし実際に参加してみると、幼稚で感情的な運動や組織の在り方に違和感があり、そこに自分を賭けるというほどの気にはなれなかったので、「社会を変革したい」という若者らしい情熱は不完全燃焼のまま社会人になった。

 真田さんはそのまま40代後半になったのだが、個人指導を受け始めて、中高生時代にサッカーやラグビー自転車競技に打ち込んでいた頃が甦ってきたようだった。

 そして真田さんは、真に人を育てるための教育を行う場を創り出すことで、将来の日本社会に大きな変革をもたらすという志を持ち、そのための闘士であろうと決意するようになったのだった。

 2007年4月初め、真田さんが打ち出す新しい体制に反発する職員が、職員研修で「以前に提案したことを経営陣が反故にした」と不信を表明した。

この職員は「これでは何のために働いているのかわからない」と訴えたが、真田さんは「これほど長く勤めていて、何のために働いているのかもわからないのであれば、お辞めになったらどうですか。」と応じ、職員が狼狽して泣き出すという出来事があった。

 この時を境に、真田さんは組織再編、人事などに権限を行使して改革を進めた。私の打ち出したことがすべてうまくいったわけではなく、その都度悩み、あれこれ考えては道筋を見失うこともあった。自分の判断は正しかったのかと自信が揺らぐこともあった。真田さんはこうした毎日が続く中、個人指導に通った。

 そんなある時、金井先生に「最近、ずいぶんと食べすぎの傾向がありましたね」と聞かれたことがあった。真田さんは最初、意表を突かれたように感じたが、ああそうだと気づいて「確かにそうでした」と答えた。すると先生は「では、何かがうまくいかず不安なことがあったということですね」と言った。

 真田さんは、まだ職場での状況を話していないのにと驚いたが、「その通りです」と答えると、先生は

「あなたには合理的な道筋が見えない時、つまり算段、段取りが立たない時、不安になる五種体癖があるのです(五種は普段、段取り上手だが、その裏返し)。そのように不安になった時、不安を解消し身体の緊張を弛めようとして、たくさん食べてしまうのです。」

と言った。

 このように真田さんは自分の無意識的な行動を指摘され、「確かにそうだ」と納得した。この指導で、算段が立たないことによる不安と食べ過ぎの関係を初めて知ったが、自分の無意識的な状態を意識で理解することの意味を知ることができた。

(金井)

 真田さんは上腹部が丸く、実は三種もあります。三種は何かあると食べることで(ストレスによる緊張を)調節するのです。

第二部 第四章 二1②〔身体〕を通して基本的な自己認識が始まる

 この指導の数日後、所属する団体の副理事長が急逝してしまった。この理事は長い間お世話になった人で、真田さんを支持してくれる人でもあった。そして亡くなった日の同日、真田さんは役員会で後任の副理事長に選ばれたのだった。

 ただでさえ崖っぷちの状況だったのに、さらなる重責を担うことになったが、真田さんの中には「さらに突き進もう」という意欲がわいてきた。火事場の馬鹿力のような、潜在していた力が湧き上がってくるような感覚だった。

 真田さんは、最初に長い間翻弄されてきたAという部下(職員)の問題に着手した。Aは周囲の職員と絶えずトラブルを起こしていたが、決着させることができないまま何年も過ぎてしまっていたのだった。

 こうして、真田さんはラガータイプだと言う金井先生の言葉がしっくりと腑に落ちてきた。そして、Aの問題も、突進することでトライできるような気がした。

 真田さんは、そもそもAに毅然とした態度で対することができなかったのは、「何事も冷静に受け止め、冷静に判断する、誰をも批判しない」という自分のイメージが崩れてしまうという恐れからだったことに気づいた。

 本当は、心の中に理性的に捉えた「あるべき自分」と、Aに真正面からぶつかっていきたい!という要求との葛藤があったのだ。この葛藤が潜在していることで自分の中が混乱し、引きこもりに近い状況になるまで苦しむことになってしまったのだと思った。

 まるで泳げない人が、水中で力んでしまい、あがけばあがくほど沈んでいく状況のようだった。しかし、真の自分の姿を知ると、体から力が抜け、水と一体になり、行きたい方向に泳いでいくことができる、という気持ちになれるのだ。

 結局、Aの問題というより真田さんの内の問題で、理性と野性の対立に終止符を打つときが来たのだった。

 これは、自身の内界(理性―野性)と、外界(自分―A)はつながっており、共時的にものごとが進むことの意味を学ぶ始まりだった。

 こうして真田さんは自身をより主体的に捉えられるようになり、金井先生の「あなたは、そういう〔身体〕ですよ」という言葉を信じ、「ラグビーのようにやってみよう」と心を決めた。

 Aは他者に責任を転嫁してトラブルを繰り返していたが、真田さんはAに真っ向から対峙し、妥協することなくA自身の問題を指摘した。その結果、Aはその年の三月末から休職することになった。2005年4月に管理職就任して以来、真田さんはAの問題に関わっていたが、決着に至るまでに丸二年が経っていた。

第二部 第四章 二 「自分を知る智」が啓く真の主体性― 自己認識の歩み 2007年~1①

 今日から第四章二に入ります。ここから、真田さんの自分を理解するとは?感情の滞りとは?こうした健康に生きることと心の問題の関係についての学びが本格的に始まります。

1① 熱海での整体(個人)指導の開始

 職場でのストレス状況が深刻化する中、真田さんは2006年12月に初めて金井先生の個人指導を受けることになった。

 真田さんがこれを決めたのは「身体感覚を養成し、生命力の発揚を通して人として十全に生きたい」という思いだった。真田さんは理性的・論理的な人であったが、そういう自分に留まることなく「生命を持った人間として、活き活きとダイナミック(動的)に生きることを目指したい」という願いがあったのだ。しかし、「この状況から何とか抜け出したい」という藁にもすがる思いが本音であったとも言う。

 初めての個人指導で、真田さんは「大きな癒し、神の手に触れられたような癒し」を感じ、「心の揺らぎが治まり、凪(なぎ)を実感」したと言う。

 それは言葉で表現しつくせないほどの大きな体験であり、帰宅後、久しぶりに熟睡できた。

 年が明け、2007年初めに再び金井先生の個人指導を受けた。この指導で金井先生は真田さんに「あなたは本来武士のような人間であるはず」と言い、真田さんはかなり驚いた。そして先生は「スポーツで言えば野球やアメリカンフットボールではなく、ラグビータイプの突進型」と言った。

 真田さんは若い時、確かにラグビーが大好きで得意でもあり、野球はバッティングの順番を待つ時間がうっとうしく、面白くないと思っていたことを思い出した。

 なぜ先生はそのようなことが分かるのだろう、と不思議だったが、先生は「あなたは、そういう〔身体〕ですよ」と言った。

 その答えの意味はよく分からなかったけれど、そう言われると自分の中から元気が湧いてくる。それが自分なら、とにかく突進してみよう、と思い始めた。

 高校時代、ラグビーをやっていた時、真田さんはタックルをかわすのではなく、振り切って突っ走り、トライするのが一番快感だった。そして、当時、ラグビーやサッカーをやる時は「素」の自分を出すことができたが、普段は角が立たないよう、目立たないようにするのが安全だと思っていたのだと思った。

(金井)

 真田さんは、合理的な能力を有する五種がありますが、「負けまい」とする八種もあります。全体を感得する(「気」で観る)と「突進型」なのです。

第二部 第四章 一3 「私」の全体性を捉えることと「感情」

3 整体(個人)指導での臨床心理により「自分を知る(理解する)」とは

 河合氏は1で引用した文章に続いて、科学の時代だからこそ起きている人間の心の問題について、次のように述べています(ブログ用改行あり)。

3「私」の科学

…これまで述べてきた「自然科学」は、「私」を他と切り離すこと(物心二元論)によって成立した学である。それは豊富な知を提供し、それによって既に述べたように自然を支配する。

 しかし、私が「私」を支配し、あるいは理解しようとするとき、自然科学の知はもともと成立過程から考えても、役に立つものでないことがわかるであろう。…私が私をも入れこんだ知をもちたいと思うとき、それは自然科学ではない。

 現代人の不安の原因のひとつは、誰もが「私」を入れこんだ「私」の理解に困ってしまっているからではなかろうか。これに対して応えようとしたのが、深層心理学である、と筆者は考えている。フロイトにしろ、ユングにしろ、自ら心の病いを悩み、その治癒のための自己分析を基盤として、彼らの理論を作りあげてきたのである。

 フロイトフロイトをどう理解したか、ユングユングをどう理解したか。彼らはそれをある程度普遍性のある言葉で語ることができ、それをある程度体系化することができたので、他の人たちが「私」の理解を試みるときに、大いに参考にすることができるようになった。

 しかし、ここで大切なことは、それは自然科学の体系のように、誰にでも「適用」できるものではない。

…今世紀における自然科学のあまりに急激な発達のために、人間は自然を支配することに熱心になり、時には、自分をさえ支配できそうな錯覚に陥りかけたが、「私」というものはそのような自然科学の法則に従わぬところを持っており、私という存在の全体性を把握する一助として、深層心理学が必要であると述べているのである。

 ここで大切なことは、「私」という存在は、現在私が知っている以上の存在であり、未知の部分を多くもっている、ということである。従って、それの探索は、それまで生きて来なかった可能性を見出したり、それを生きたりすることにつながってくる。

 そのような「生きる体験」と無関係に、深層心理学の知を語ることはナンセンスである(体験主義)。それは「私」という存在抜きに語ることができないのである。

「私という存在」が理性的意識で捉えられる範囲となり、感情や身体感覚が無意識化(身体意識が衰退)し、身体を忘れているのが現代です(科学は理性至上主義であることから)。

 科学的な現代人の「理性的(考える)意識」に隠れている「身体的(感じる)意識」を自覚することが自分を開く鍵なのです。

 この「身体意識(=何を感じているか)」には、「潜在意識」と、そして体癖が関わっているのです。

 潜在意識は成育歴によるもので、体癖的な「感受性」は、生まれ持った身体からもたらされます。

 潜在意識や体癖を探究することは、現代の学問分野では深層心理学的なもので、個人指導での臨床心理は、潜在意識(身体)に滞った「感情」を取り扱うものです。

 また河合氏は、「感情」とたましいとのつながりについて、次のように述べています(『ユング心理療法』第二章)。

個を超えて

…人間の心の深層にいたろうとするものは、必ずこの押しこまれた感情の貯留地帯につきあたることになる。人間の自我をその深みにつなぐ、つなぎ目のところに感情のかたまりがあり、それが凝固していればしているだけ、自我はたましいと切れた存在となってしまう。

このような事情から、心理療法においては人間の感情ということが非常に大切となった。