真田さんは、身体の変動に心の動きが表れることに気づく意味と大切さを個人指導を通じて学んでいたが、忙しい毎日の中でこのことを意識化することはなかなかできなかった。
個人指導では気づきを得ることができても、日常に戻ると気づくのが難しくなるのだ。整体を通じて十全に生きることを目指していたものの、この課題はあった。
真田さんは振り返ってみると、知識として理解していたと言う。これは身体感覚が十分に養われていなかったことで、身を以て、感覚的に理解することができなかったということだ。
(金井)
感情と分離していた(理性を主とした)意識は、身体感覚が涵養されることで、自身の感情とつながるのです。
(やがて、感情を自我に統合し、さらに、主体的自己把持(意識と無意識の統合)へと進む。第一部の始まりに「現代の科学的教育によって発達した「理性に偏った意識」は、自我と身体に分裂をもたらしています。」と述べたが、こうして「感情を自我に統合する」ことが可能となる)
それでも、整体指導の積み重ねによって身体的な気づきを促され、真田さんは自分についての理解を深めていった。
真田さんは整体指導の中で、子どもの頃の出来事を突然思い出すと言う体験を度々していたのだが、この経験を通じて子どもの頃の様々な心の抑圧が今でも影響を与えており、今の自分のありようにつながっていることを理解しはじめていた。
個人指導の中で、体の使い方も少しずつ学んでいったが、中でも「正しい正坐」は指導の中で度々教わった。この正しい正坐を自分でやって見ると、きちんと坐ることが非常に難しいことが分かる。下半身に力が入るので、この坐を保つのは意外にきついものだが、腰が入っている時は快感がある。こういう時は、仕事のことで頭が混乱している時も、指導で腰が据わると落ちついて考えることができるのだった。
その他にも、指導の中で仰向けに寝て、左右の脚踵を交互に突き出しアキレス腱を伸ばす運動や、側腹を伸ばす運動を誘導された。これらの運動をすると、頭がすっきりして、腰が落ち着く感覚が出てきて「正しい正坐」をやり易くなった。
こうした身体的な指導を通じて、快い身体の状態を体感することができた。これは、自身の内に、立ち返る場所を見つけたとも言える。
この頃の私は、もはや人に好かれよう、慕われようとして体裁を繕うことはしなくなり、大義を通すためであれば、嫌われること、疎まれること、恨まれることを恐れたり、厭うこともなくなっていた。また、地位と力を行使し、志を遂げたいという強い欲求を感じるようになっていた。
これはかつて管理職にはなりたくないと思っていた自分とは正反対の境地で、整体指導を通じ、身体との対話を通して深まった「自分」に対する理解と自己イメージの変容によるものだった。こうした自己認識の深まりが、真田さんに主体性を育んでいったのだった。