第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 三 2
不快情動による「偏り疲労」と「コンプレックス」の共通点
― 身体に読み解く潜在意識
二で述べたように、私は個人指導で、身体(背骨を中心に)を観察し、筋肉および脊椎骨の硬張りを通じ、本人が意識できなくなっている「潜在感情」を観察しています。それは「身体の偏り」を通じて、不快情動によって起きた、感情エネルギーの停滞を捉えるのです。
これは心の内で、「カチン、ムカッ(怒り)」「ムスーッ(不満)」、「ビクッ(不安)」「ドキッ(吃驚(びっくり))」など、その時に生じた感情が内向したもので、時間の経過とともに、意識では忘れているものです(心理学では、これを「抑圧」と言う)。その具体的内容は、本人の気付きを通して知ることができます。
河合隼雄氏の著書『コンプレックス』で述べられているように、「コンプレックスとは自我の主体性を奪うものである」と理解してみますと、個人指導で観察される身体の偏りもまた、コンプレックスであると言うことができます。
これは、氏が説くコンプレックスと同様、ある感情が発生し、そのエネルギーが身体に滞留することで、これに支配されている状態なのです(臨床心理士によるカウンセリングでは、人の体に触れて観察し、触覚でそれを確かめることはない)。
不満や怒りが生じた後の、食べ過ぎや飲み過ぎという生理的な表れ、何かで「カチン」と来ていて、不用意に棚に頭をぶつける、また、不満を抱えたままいて、転んで捻挫したりというように、無意動作として表れることでもあります。
不満や怒りは、意識されないまま不明瞭な感情エネルギーとなり、このような無意識的行為をもたらす力となるのです。
この程度のことは、本来、ユング心理学の心理療法で扱うような、本物の(精神疾患や心身症、適応障害などの原因となるような)コンプレックスそのものではありませんが、私の考えるところ、抑圧感情の質の差・量の大小という相違です。
大きく溜まってしまい、主体性を本格的に損なっているのが、心理療法で扱われるもので、自我の主体性を脅かす(奪う)という性質において原理は同じなのです(怪我や交通事故の背景にもこれがある。このため整体指導の場では、無意運動の観察が重要となる)。
近い過去から遠い過去まで、意識下に抑圧された感情エネルギーは主体性発揮を妨げているからで、「(全力発揮して)今、ここを生きる!」ため、身体・潜在意識の観察は大切なことです。こうしたエネルギーに支配されることで、実は「身心」は相当に大きな影響を受けているのですが、これは、身体感覚が涵養されていないと、自覚する(異常感を感じる)ことができないのです。
整体(個人)指導は、この滞留した感情エネルギーが流れることで無心となり、明瞭な意識が戻ってくることを目標としています。個人指導によってこの「停滞」が抜けた後、その状態を感覚的に味わう(=無心を体感する)ことで、「感情エネルギー」に支配されていたことがようやく分かるのです。
そして、このような「無心(または空)」という感覚に至った人が、「自我の主体性が損なわれていた(=雑念に支配されていた)」それまでの自分を理解できるというものです(体験を通じて知る他は無い)。
停滞した感情エネルギーは、意識の不明瞭さをもたらしているのです(これが身体の歪み・硬張り)。
主体性を発揮する上で意識が明瞭であることが大切なことなのです。これが、コンプレックスを私がつぶさに(詳細に)説明できるところです。