第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 四 4
ユングの「未来から現在を考える」目的論と野口整体の気の生命観
東日本大震災の後、被災した人の中に PTG(心的外傷後成長)というものが多くの事例で起きたことが世界的に注目されました。
PTGはユングの説いた病症と心の成長に対する考え方と多くの点で共通しており、身心共に強い侵襲を受ける状況の中、不適応や混乱などに苦しむ体験をし、そこから立ち直っていく過程で、内面的な成長が起こることを言います。
内容は個人によって様々で、多くは内面的な目に見えないことですが、こうしたことが幅広い層の一般の人たちに起こったのです。
こうしたことがなぜ起きるのか、どういう時、どんな人に起きるのか。またどうしたらそうなれるのか。ここを考えるのが、目的論的な態度なのだと思います。
湯浅氏は、科学発展後の次代における哲学的問題の一つとして「目的論の復活」を挙げ、次のように述べています(『宗教経験と身体』)。
目的論と科学
われわれは、事実の意味を知ろうとするとき、「なぜ(Why?)と問う。この問いは、次の二つの場合に分けられる。第一は、事実が「どのように」あるか(How?)という意味の問いである。これは因果性にもとづいて事実を観察する態度である。科学はそこに成り立つ。
第二は、事実は「何のために」存在しているのか(For what purpose?)、と問う立場である。これは、昔から目的論(teleology)とよばれてきた見方である。
…目的論の立場は、まず未来を考え、それにもとづいて現在の状況の意味を知ろうとする。これは、人間と生命体が生きるために行動するようにつくられているところから生まれてきた態度である。
生命体には何かの目標(=要求の実現)に向かって行動する(未来に向け現在を生きる)という、物質にはない特徴がそなわっている。事実の持つ「意味」を判断するに当たって、因果性は過去から現在をみる視点に立ち、目的論は未来から現在をみると言ってよいだろう。
…フロイトは、無意識とは過去の経験が蓄積された場所であり、意識の現在はその上に存在していると考えた。これに対してユングは、無意識の深い部分には未来を直観するはたらきが潜在している、と考えた。
…言いかえれば、無意識は、心身を正しい方向へ向かわせる心的な自然治癒力を蔵しているのである。古人はそれを「生命の気を知る」とよんできたのである。このような観点からみるとき、自然は生きた生命の場としてとらえられるだろう。
病症が起きている時、このような事実が「どのように起きたのか(How?)」と、病理を物質的に問うのが科学の立場であり、これは因果性に基づいて事実を観察する(機械論的)見方なのです(科学的に発展した西洋近代医学では、このように事実を観察する=因果関係を物質的に探求し、原因を特定し対処する)。
一方、このような事実(病症)が「なぜ、何のために存在しているのか(Why,For what purpose?)」と、生命の持つ自然治癒力と「成長」という未来に立って、現在の状況の意味を知ろうとする態度が、目的論的観方なのです(機械論・目的論は「対象を考察する」態度(方法論)の相違)。
事実の持つ「意味」を知るに際し、科学の因果性は過去から現在を見るのに対して、目的論は「生に向かって動く」という観点(合目的性)に立ち、未来から現在を観ようとするものです。
これが、近代科学の機械論・静的生命観に対するユングの目的論・動的生命観です。これは、東洋の「気」の生命観であり、そして、師野口晴哉の生命観なのです。