第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 四 6
精神科医であったユングは、心を病むことについて次のように述べています。
「あらゆる病気と同じように、神経症も適応不全の症状です。なんらかの障害(体質上の弱さや欠陥、間違った教育、良くない体験、不似合いな態度など)のために、人生がもたらす困難から身を引き、幼児期の世界に舞い戻っているのに気づきます。」
こういう状態を心理学的には「退行」と言いますが、身体的な変動(病症)が起きている時も心理的な退行が起きることが多くあり、心的エネルギーの流れがせき止められた時を振り返る時間ということができます。
それは、最近の生活で起きたことが引っかかっていることもあるし、ずっと以前の場合もあって、子どもの時からのコンプレックスに連関があれば子ども時代にまで退行します。また、成長期に心的エネルギーの流れに滞りがあると身心の発達にも影響します。
個人指導では、身体的にも気の流れがせき止められたところ(歪みや硬張り)を観察し、その流れを取り戻すようにしています。
時間とユング心理学
精神科医であるユングは患者と向き合う上で、その人が行き詰っていることを重視し、「なぜ、現在に適応できていないのか」に焦点を当てました。
ユングの意味する「行き詰まり」とは、現在を生きるエネルギーが失われ、生きる意欲を失い、現在に至るまでの生活・価値観にまで意味を見出せなくなっているのです。
ユングは、意識と無意識が離れた生活をしてきた(自我が裡の要求と離れていた)ことによって、年齢の推移とともに生じる心理的発達(身体的成長)の自然な過程を、その人が歩んでいないことに因るものと考えました。
ユングの患者は三十代後半以降の人が多く、ユングが心理的な危機が訪れる時として注目したのは、「中年期」でした。それは、老年期の入り口、つまり死と老いが現実味を増す、内面的な岐路だからです。
人の一生を太陽の運行に例えると、若い時は朝から昼にかけての太陽は次第に明るさを増していく時間で、上昇志向があり意欲やエネルギー、可能性も十分に感じているものです。
しかし午後三時になると、太陽の光が弱まり、日没が近づく気配を感じます。すると「先が見えてきた」という焦りや、「自分の人生はこれでいいのだろうか」という疑念など、何かが心に影を落とすようになるとユングは言っています。彼はそのような時期を「人生の午後三時」と呼びました。
(このような時期の訪れは大きく個人差がある。またユングの生きた時代は三十代後半が多かったが、今は若い気でいる人が多いので、遅い傾向にある)。
ユングの患者たちには、知的で社会的な適応は良いが、それが一面的で自然から離れた心の在り方をもたらしている人が多くいました。
そして、病症の影に若い時(20代~30代前半)の生き方(心の姿勢や適応の仕方)から進歩していなかったり、独立して行こうとする自分の子ども、配偶者、両親、それまでの価値観などに、無意識的にしがみついている(若い時の自我のままでいること)という問題がある人が多かったのです。
それは、今の自分の現実にこれまで身に付けてきた心の態度がそぐわなくなっている(適応できていない)のが分からないということです。
またユングは、自分の要求・感情と切れている生き方(意識のあり方)が行き詰ることによって、現在を生きる意味を見出せなくなり、心のエネルギーを注ぐ対象を見失う(つながりを失い心的に孤立する)と考えました。
その結果(現在に自分の生命力を注ぐものがないため)、心が過去に引っ張られ、かつて心を注いでいた対象(子どものころの両親・若い頃やっていた事など愛情や意欲、憎しみや怒りなどをむけていた対象)に向かって、心的エネルギーが現在から離れ、過去に逆流すると考えたのです(これが「退行」で、トラウマ主義者が陥りやすい陥穽(落とし穴))。
人間の自然として、意識と無意識の間に分離がなく、内的な心の流れが滞らなければ、心は自ずと全体的に発達する(自我が時に応じて解体し再構成されていく)ものです。
しかし、心的エネルギーの流れがコンプレックスに妨げられていることで、無意識から供給される心のエネルギー(意欲や主体性の基)を得られなくなっていると自我は生きる力を失い、変化することもできなくなります。
過去にこだわり、若さにしがみつくのはこのためなのだとユングは考え、妄想や情緒不安定、無気力などの心理的症状は、この内攻したエネルギーによるものとみました。
このような患者たちの課題となっていたのは社会的な適応ではなく、老年とやがて訪れる死の受容に向かっての「人格的な成長と完成」という宗教的課題であり、それは近代という時代がもたらした問題でもあったのです。
ユングは著書で、立往生している患者に「私は何をしたらよいのですか」と問われても、私は何と答えたらよいのか全く分からない、と述べ、次のように続けています。
「私に分かるのはただ、私の意識がもはや通行可能な道を見出せなくなり、そのため(患者と共に)立往生しているときには、私の無意識的なこころがこの堪え難い停滞に応えてくれるであろう、ということだけである。」(『心理療法論』(ユング)。
こうして、患者の内部から表れる無意識の道が、どこを目指しているかを直感し、それに従っていくという姿勢で、ユングは心理療法を行いました。ユングの思想は未来(個々の人間の場合で言えば「将来」)に目を向けたものであり、このように、前に向かっていくことを重視したのです。
このようなユングの思想には、自身の「行き詰まり」を乗り越えた経験と、東洋の気の思想が大きな示唆を与えたのです。
参考文献 ユング『無意識の心理』(旧題・『人生の午後三時』)など
※オカルト的側面が注目されやすいユングですが、自己知(これまで気づかなかった自分のことを理解する智)と自己教育(自分の中心を肚におく)による「個性化の過程(自己実現)」が、一番大切なところです。