野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 四 3

 今回はユング心理学の心的エネルギー論が中心となります。

 ここで目的論という言葉が出てきますが、この点については下巻『野口整体と科学的生命観』に詳述されているので、参照してください。

 ユングの心的エネルギー論

 深層心理学は無意識を研究するものですが、フロイトユングでは、「無意識の捉え方」に大きな相違がありました。ユングの思想を理解するため、フロイトとの違いを考えてみましょう。

 フロイトは心を「機械」に喩え、その奥に抑圧された無意識が溜まっているとイメージしました(これが静的という意)。

 その抑圧がなぜ起きたかというと、意識(理性)が道徳的に判断して悪いと思ったことが原因で、これが無意識を生んでいると考えたのです(フロイトの無意識とは過去に抑圧した欲望と感情で、意識と対立する。=押入・物置に、人に見られたくないものや目障りなものを押し込んで、なかったことにしているようなもの)。

 一方ユングは、脳の研究のみを基礎とする精神医学に疑問を持ち、心と体が一体となった全体的な働きである「情動」に着目しました。そして、心を「水の流れ」に喩え、心を「エネルギーの流れ」として観たのです(これが動的という意)。

 フロイトのように過去のみを原因とするのは、なぜ、その人がある特定の時期になって、突然これまでの生活が送れなくなってしまうのかが説明できないと考えました(これまでの生活は、無意識と切れた意識による生活であった・補)。

 そして、無意識とは意識と対立するはたらきだけでなく、意識の健全さを保ったり、心を全体的に成長させるため「方向付け」をするものであることを、臨床的に知って行ったのです(野口整体では「体にある羅針盤」という捉え方をする)。

 そうして、意識は無意識を基盤にしており、無意識が意識化されていくことで意識は発達すると考えました(自我の発達過程と同様)。

 エネルギーとは物理学の用語ですが、人が重い荷物を運んだりした時、疲労し、エネルギーが消費されたと感じます。重いものが移動したのですから、物理学的理解として解り易いものです。

 しかし、例えば社員が、滅多に会わない会社の社長と同席し「気を使う」ことがあった場合、何ら物理的な仕事は為されていないのに心のエネルギーは消費される(意識としては何もしていないが、無意識的活動が盛んで疲労する)、ということがあります。このように、心をエネルギーとして理解できるものと思います。

 そして、この無意識のエネルギーの流れ(心的生命活動・意識しない心のはたらき)がどういう方向を向いていて、どれぐらい強いか(関心や価値観がどういう方向に向いていて、勢いがどれぐらい強いか)と考える見方を「心的エネルギー論」と呼び、フロイトの「機械論」に対して、ユングは「目的論」を主張しました。

 目的論的観方は、古代ギリシアの時代より、生命体について語られてきた考え方で、命、また生命現象には、自己実現していく(成長・発展に向かう)力が内在されているというものです。

 意識の世界に現れている「果」の「因」が無意識にある、というのがフロイトの説いた「無意識」です。フロイトは「個人的無意識」までですが、ユングは、さらにその奥に、個を超えた「集合的無意識」というものを説きました。ユングの心理学は「魂の心理学」とも呼ばれています。

 心的エネルギーの流れと自我のつながりを取り戻すこと、そして心全体の発達・成長によって現在の(病的な)状態を越えようとしたユングは、自身の啓いた「分析心理学」は宗教性を具えたものとして捉えていました。科学には、「生き方、人生の質を考える」というものはなく、これは宗教の領分だからです。

(補)ユングの見た患者像

 青年期(主に20代~30代前半)に発症する精神疾患は概して、自身の置かれている現実と、子ども的で未熟な自分の態度が衝突すること(不適応)から始まる。そういう場合には病気の原因を明らかにすることを目的とするフロイトアドラーの心理学は非常に実効力があり、今の症状をもたらした原因(両親との関係や自分では意識できない欲求・支配欲や劣等感など)がはっきりすれば、自ずと軌道修正され、相応の生活に適応していくことが多い(それほど深い問題ではなかった場合)。

 中年期(30代後半以降)になって発症する人にも、青年期からすでに両親に対する異常な依存性や子ども的な思い込み、錯覚などがあるのだが、普通に就職生活や結婚生活を送る上で、そのことが表立った問題にならなかった人であることが多い。しかし、中年になって、それまで身に付けてきた現実への対応の仕方が役に立たなくなることがきっかけで、自身の内と外がつながりを失っていることに気づき、生きることの意味と意欲を失って病が始まる。

 こうした場合、潜在した幼児性や両親との問題などによるコンプレックスを意識化するという段階を経た後、これまで避けてきたこと、自分自身と対立や分離の状態にある物事(理性と感情、義務と要求など様々なこと)を、両立・統合していく過程を通じて心を発達させ、自分の内と外を調和させる新しい生き方と価値観を模索する必要がある。

 中年期の人のみならず、ユングは、当人の課題によっては若い人でもこのような心理療法を行った。