第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 四 5
クロノスとカイロスのところで紹介した『モモ』(ミヒャエル・エンデ)では、モモは生命時間を司るマイスター・ホラに抱かれて自分の心の奥底にある時間のみなもとを見に行きます。
そこには池があって、大きな振り子が刻むゆっくりしたリズムに合わせ、水の中から蓮の花のように大きなつぼみが出てきて、満開になってその花が散ると、また別のところからつぼみが出てくる…というように、その時ごとに全く違う、唯一無比の美しい「時間の花」が、次つぎと咲いていました。
そこでは、光が音楽となって天井から降り注いでいました。その音楽は太陽、月、星々が、モモに宇宙と生命の秘密を語りかけてくる言葉だったのです。
マイスター・ホラは、どの人間にもそれぞれの心の中に、こういう場所があるのだと言います。これは、今回引用するユングのイマジネーションと直観、創造力の源泉であり、共時性の場であるという無意識観に通じるものです。では内容に入ります。
ユングの「未来から現在を考える」目的論と野口整体の気の生命観
② 野口整体の「気の流れ」を観る身心観
ユングは「無意識の目的論的なはたらき」について、次のように述べています(『人間と象徴 上』Ⅰ 無意識の接近 ユング/河合隼雄監訳)。
無意識の過去と未来
無意識がたんに過去のものの倉庫(フロイトの無意識観)ではなくて、未来の心的な状況や考えの可能性にも満ちているということの発見が、私を心理学にたいする私自身の新しい接近法へと導いていった。…遠い過去からの記憶のみならず、まったく新しい考えや創造的な観念 ― 今まで、一度も意識化されたことのない考えや観念 ― も、無意識のなかから現われてくるというのは、事実である。
それらは、心の暗い深みから蓮の花のように成長してくるもので、潜在的な心の最も重要な部分を形作っている。
この無意識のはたらきと意識を統合し実現する過程が、ユングが唱えた「個性化の過程・自己実現」です。
ユングの、心を「流れ」と捉える観方(心的エネルギー論)には大いに賛成です。おそらく、ユングは「気」が観えていたものと思います。観て、触れて、〔身体〕の変化を見届けてきた野口整体の私も、同様に、心を「流れ」と観てきました。
身心がエネルギーに充ちているとは、感情の滞りがなく、気の流れが良いと集約できるものです。
身心の動きが悪い時は、流れていないと観え、最も悪いのは「固まっている」と観えるのです。
この固まり、情動によって生じた「硬張り」ですが、それは陰性感情によるエネルギーの滞りであり、これが、活元運動を通して流れると、心が一新するものです。
そしてこのように活元運動が出る様は、水が低きに流れるように、「体の自然(じね ん)」を感じさせます。
こうして主体性を取り戻すことが、整体指導の目的とする処です。