野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第二部 第三章 一3 身体感覚を通じ、体験的に理解する「病症経過」―病症経過を通じて獲得する体力・気力

3 身体感覚を通じ、体験的に理解する「病症経過」―病症経過を通じて獲得する体力・気力

 しかし真田さんは、職場で思わぬ反応に驚くことになった。2回目に顔面ヘルペスを経過した後「病院に行かなかった」と話すと、奇異の目で見られたのだ。「責任ある立場なのだから」などと諭す人もいた。

 真田さん自身は、病院に行かず病症を経過させたことを、決して間違ってはいなかったと確信しており、この体験によって自然治癒力に目覚めることになったのだけれど、世の常識とは大きく異なっている。「病症を経過する」という実践は、時に「変人扱いされることもあるのだ」と痛感したのだった。

 あの時、真田さんが病院で薬の処方を受けずに、病症の自然経過を選んだのは、野口整体の考え方に啓発されたからではあったが、経過の過程で、身体に大丈夫だという実感があったことも大きい。

 40℃を超える発熱時、元気を感じたのみならず、熱が下がり始めて平熱に至るまでの激しい頭痛や発汗、ひどいだるさの中でも、「大丈夫だ」と身体で感じていた。

このような状況では頭が働く余地はなく、だからこそ「大丈夫だ」という感覚だけがたよりだった。

 滝のような汗をかくことで苦痛が薄れて行ったこと。そして快復後、身体が新生されたかのような爽快感。こうした実体験を元に得た確信がある以上、社会的な常識や理屈は無力なものだった。今振り返ると、この時得た「自然治癒力」についての悟りは身体が教えてくれたのだと思う。

 あの時、妻Aさんもたびたび真田さんに愉気をした。経過中の安心感は、Aさんの愉気によるものも大きいようだ。その後、真田さんは7月にもヘルペスを再発したが、1日で経過することが出来たという。

②病症経過を通じて獲得する体力・気力

(金井)発症時に病院に行かないことは、職場において「自己管理能力がない」と見なされる現代ですが、真田さんは、「身体感覚」を通して「自己との対話」という養生法を行なったのです。

 そして、「恢復後の身体の爽快感」という体験によって、「病症が体を治す」というはたらきに目覚めることになりました。

(投薬で治すことと自然に治ることの相違。第二部第二章四 2野口昭子夫人の文章「自分の体の変動や苦痛を自分で経過したときのあの快さの積み重ねが私にとって整体の道をゆるぎないものにしました」)

 このように野口整体は、体験を通じ「自然治癒力」に対する信頼を深めていく道なのです。

 師野口晴哉は最晩年、何人かの人と対談を行うことがありました。その中で師が最も喜ばれた相手が、洋画家の中川一政1893年~1991年)氏で、師は「(対談は)これが最後!」と言われました。中川氏とは心が大いに通い合ったようです。

 中川氏との対談(土筆亭 1976年1月)の中で、以前の対談相手だった当時の文部大臣(永井道雄氏)と交わされた内容「体力、気力」を作る上での「要求、病症経過」の重要性について、師は次のように述べています(『月刊全生』増刊号 )。

…永井(文相)さんと話したのですが、「日本人の体格とか体位は向上したのに体力、気力というものがない。なぜ弱くなったのか」と言うので、「みんな摂生して、体に悪いことは避ける。体に善いことだけやろうとして、旨くなくても(美味しく感じなくても)何でも食べる。体の中の要求を活かさない。苦しみにも耐えない。ただ逃げることに頭を使っているから弱くなるんだ」と言いました。

 みんな痛いから痛みをとめる。熱が高くて苦しいから、熱を下げる。病気は治すもの、治さなければ治らないもの、治さなくてはいけないと思っているが、そうではない。自然の経過を通るものなんです。病気なら苦しいのが当り前、苦しい時は苦しんで、じいっと経過するつもりで待っていれば、みんな丈夫になるんです。

 そして自然に経過すると、風邪のあとは体がスッキリし、下痢のあとは顔色まで艶が出てくるんです。それを〝私が、病気を治した〟と言われると、心外なのです。それよりも自然に経過するような体力をつくる。気力をつくる。気力で体力はいろいろ変わるものなのです。

 注意を集めると、気力が集まり、気力が動き出す。だから、病気になったら、手を当てて、気力を集めていけばいい、もうこれ以外、何もやらなくていい、みんな覚悟がつくと丈夫になります。病気を治そうと思ってあがいていると、もっと苦しくなる。気力をみたして、自然に経過するまで待てば、みんな丈夫になるんです。

 近頃は、それを体験した人たちがだんだん多くなってきました。「下痢をした」「結構」「熱が出た」「よかったな」というだけです。世間から見ると、気違い部落なんだそうです。

「気力をつくる」上で必要なのが、右引用文にあるような師の思想を理解することです。