第二部 第三章 一1 妻を通して野口整体を知ったが…
一 野口整体との出会い
1 妻を通して野口整体を知ったが…
真田興仁さんが野口整体を最初に知ったのは2004年頃のことだ。知人から『整体入門』を勧められたことがきっかけだった。
この知人は少々「困ったさん」的な、精神的にも不安定で言うことやること驚かされることが多い人だったので、真田さんと彼の妻Aさんは知人が勧めてきた本も訝しむ気持ちがあった。
当時、妻Aさんの母はがんを患っており、多くの人から代替療法を勧められていた。真田さんはその代替療法についての本を皆に持って来られて、うんざりしていたこともあって、その類いだな、という先入観もあった。
また、別の妻の知人で、時々真田さん宅を訪れる女性がおり、その人も偶然、野口整体の指導室に通っていた。その人もちょっと変わった感じの人で、妻Aさんの前で活元運動なるものをやってみせたという。真田さんはその女性に対するイメージもあって、それが正気の沙汰とは思えなかった。全体に真田さんの野口整体のイメージは悪かったと言っていいだろう。
しかし妻Aさんはその頃から野口晴哉の著書を読むようになり、興味を深めていった。Aさんは母の看病をしていたため、『病人と看病人』からは学ぶことが多かったそうだ。
当時、妻Aさんの母は長い闘病生活を送っており、西洋医学でも東洋医学でも治療は困難と言われていたが、Aさんは何とか治すことはできないかと懸命だった。
しかし『病人と看病人』を読んで、病者には病気であることを通じて自分の方を見てもらおうとする、「注意の要求」という隠れた心があることを知ったのだ。
当時、Aさんの母は、病状を表す数値が良くなって家族がほっとすると、体に障るようなことをした。また、病状が安定して一時帰宅をすると暴飲暴食をしたり、無理な外出をして体調を崩し、家族を心配させては入退院を繰り返した。妻Aさんの実家は遠方であり、Aさんが母の病状が安定したと思い帰宅すると「体調が悪い」と電話がかかって来ることもしばしばだった。
母自身、「元気になりたい、治りたい」と口では言っているのに、安定すると自ら体を壊すようなことをするので、真田さんも「病気であることをみせつけようとしているのか」と思ってしまうことが何度かあったほどだった。
妻Aさんは『病人と看病人』を読んでから、「治そう」という気持ちで母親に接することを改めたそうだ。そして、母がそういう行動を繰り返すことで、看病に疲れていたAさんは、病人と看病する人の心理について詳細に書かれたこの本が支えにもなったという。そして真田さんには、病者の「要求」というものを受け取ることが、母の死を受け入れる心の準備にもなったと思われた。
そして母が亡くなった後、妻Aさんはある指導者が主催する活元会に参加した。しかし野口晴哉が『病人と看病人』で述べている、深い人間理解に基づく「整体」というものとは違う印象を受けたという。しかし真田さんは、妻から聞く野口晴哉の人間観の深さについての話から、野口整体に対する印象が変わっていった。
そして真田さんは、妻のためにamazonで金井省蒼著『病むことは力』を購入した。真田さんはタイトルに強い印象を受け、「病むことは力」という言葉の意味を考えるようになった。
この本を読んだ妻Aさんは、潜在意識についての内容に惹かれ、2005年初めから金井先生の個人指導を受けるようになり、真田さんに野口整体のすばらしさを度々説明するようになった。
しかし当時、真田さんは野口晴哉著『風邪の効用』にある、「病症を経過する」という考え方はどうも納得いかなかった。
妻は発熱や発疹(アトピー体質による)が出ても、寝たり漢方薬を飲んだりすることがなくなったので、真田さんは心配で「間違った理解をしているのではないか」とも思った。
西洋医学を信奉していたわけではなく、むしろ限界を感じていたし、東洋医学の考え方には期待を持っていた。しかし野口整体の「病症を経過する」という考えはなかなか理解しがたかったのだ。