野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第三部 第一章 二 2 日本の歴史が生み出した文化的産物・武道

2 日本の歴史が生み出した文化的産物・武道

 入門の最初に、阿波師はヘリゲルに「弓術(道)はスポーツではない。したがってこれで筋肉を発達させるなどということのためにあるものではない。あなたは弓を腕の力で引いてはいけない。心で引くこと、つまり筋肉をすっかり弛めて力を抜いて引くことを学ばなければならない(『日本の弓術』二 )」と言明しました。

 これを達成することは、弓を引き射ることが、精神的になるための最初の条件なのです。しかし、引き絞ろうとすれば、彼はどうしてもかなりの筋力を使わざるをえなかったのです(弓術(道)が精神的になるには、丹田を意識しての「丹田呼吸法」に、その要点があった)。

 日本の武道は単なる運動能力の訓練ではなく、修行「精神の鍛錬・人格の向上」を目的としたもので、活元運動と同様「脱力」が基本なのです(第二部第三章二 1参照)。

 西洋の武術は敵を殺したり破壊したりするための技術でしかなく、一般的な西洋人にとって、剣道や弓道が修行(=宗教)であること、それは、剣や弓という、元は殺人の手段に仏教が関わっていることは驚くべきこと(註)だったのです(西洋でフェンシングに上達することは、キリスト教信仰を深めることと、全く無関係)。

(註)柔道のみならず、現在では合気道や剣道は世界的に普及し、その精神の理解も広まっている(剣道には活人剣という言葉がある)。1970年国際剣道連盟が設立され、この年、東京武道館で第一回世界剣道選手権大会が行なわれた。この時、参加は十七カ国であったが、2015年5月、同所で行なわれた第十六回大会参加は五十二カ国となった。

 武術は日本においても、西洋と同様、殺傷のための技術でした。

 日本の歴史では、平安時代終りから武士が政治権力を握って支配者となり、これが江戸時代の終わりまで七百年以上も続いたのです。このため、彼らは支配階級としての精神的教養を身につける必要があり、鎌倉時代(一一八五年頃)以来、上級武士は密教(平安仏教)や禅(鎌倉仏教)の修行を心がけました。また室町時代には、武士であっても和歌や茶道といった芸道の心得が必要であるとされ、「文武両道」の文化が生まれました。

 このように、日本では「武」と「文」の伝統が相互交流する歴史が長かったため、武術は精神性と芸術性の高いものに変わっていったのです。

 武官が長く権力を握るという状況は、中国や朝鮮の歴史では近代までありませんでした。文官が長く政治権力を握って来た中国や朝鮮では、儒教の力が強く、武官階級は儒家からは軽蔑されてきた ― これを「崇文軽武」と言う ― のですが、武官が仏教修行に深く関わったことが、日本武道の特質を生み出したのです。

 こうして日本の歴史では、「文と武」、「心と身」の鍛錬が一体不可分のものとみなされてきました。道場に神棚を祀り、技の鍛錬の前に、神を拝してから相手と礼を交わし、技を磨くことが信仰心を養い、他者との心の交流を促進するというものです。

(このような歴史的伝統の上に、近代になって完成した武道が合気道合気道創始者植芝盛平翁は、師野口晴哉と親交があった)。

 こうして、日本の武道は内面的な精神性が高いという特質を持つに到りました。

(これが起源を中国とする日本の武術が世界中に普及した理由)

 これは、日本の歴史が生み出した貴重な文化的産物なのです。

 12世紀以後、日本で「道」の文化(師弟関係による教育)が発達したことは、ほぼ時を同じくして、西欧で台頭した「個人主義(個人の頭脳・理性に頼る在り方)」に匹敵するものと思われます(道は経験による会得(体得=身体性)であり、西欧人は言葉による理性的理解)。