野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 はじめに1

はじめに― 現代における野口整体の社会的立脚点を定める

一般社団法人 野口整体 気・自然健康保持会

代表理事 金井蒼天

1 野口晴哉生誕百年と大震災― 医療に依存せず「自身の生命力を拠り所とする」生き方を考える

  野口整体を創始した師野口晴哉(1911年9月7日生)は、1926年(大正15年)4月、東京入谷に道場を開き、当時の近代医学では救われない人々のために、本格的に活動を始めたのです。

 それは、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災直後の混乱時、12歳の野口少年が「手当て」を行ったことが発端でした。

 上下水道が壊滅した被災地東京では、赤痢チフスが急激な勢いで蔓延し、下痢に苦しむ多くの人々で溢れていたのです。震災後、愉気法(手当て)に開眼した野口少年は、翌年「自然健康保持会(整体協会の前身)」を設立しました。

 師は、1966年の誕生祝賀会で、当時を振り返り「関東大震災の後で、初めて病人に手を当てたのが16日であった」と、自然健康保持会発足当時からの思いを次のように語っています(『月刊全生』1966年11月号)。 

 野口先生誕生祝賀会

…ともかく修繕したり庇ったりして健康を保とうという方法は人工的の健康を作ろうとして却って自然の健康状態を弱くしてしまうのではないだろうか。余分に護れば弱くなる。庇えば庇うほど弱くなる。人間の体はそういう構造に出来ている。弱ければ弱いなりにその体を使いこなし自分の力で丈夫になって行く。そういう健康に生きる心構えが要るのではないかと思う。病気になると自分の中にある潜在体力をすっかり棚に上げてしまって、一切他人任せにして治してもらおうとする。…健康を保とうとする人工的な方法は結果として体を弱くしてしまう。そういう人工的な健康ではなくて自然の健康を保つ考え方が要るのではないかと、集って来た人達に話をしまして大正十三年の九月十八日に自然健康保持会というのを作りました。…それからずっと私は自然健康保持という面に努力して参りました。

 「野口晴哉生誕百年」に当たる2011年の3月11日、三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震が起きました。

 私が居住する静岡県熱海市は、神奈川県に隣接し、鉄道の交通網としても関東圏に属し、首都圏の端と言うことができます。

 この地域では、三週間ほどで地震直後の混乱が少し治まりましたが、停電など地震後変化した、社会的状態に対して甘受せざるをえない状況でした。そして経済的にも、観光地である熱海市の旅館・ホテルはキャンセルが続出し、関係者の困惑は大なるものがありました。

 当時、東北地方の避難所生活を送る人々の様子をテレビで見るにつれ、私の立場から目についたのは、何らかの医薬を常用する人が、薬が手に入らないことで不安な日々を過ごしている、という様子でした。

 このような大きな災害は、おそらく太平洋戦争中と直後の混乱に次ぐものでしょうが、あの時代、これほどに医薬に頼る人はいなかったと思うのです。

 是非に必要な方に対して、医薬への依存を否定するものではありませんが、医療が「投薬医療」と揶揄される時代を通じて、医薬への依存性がいたずらに高くなったことも事実です。未曾有の大震災に見舞われた日本人として、改めて、野口整体の基本理念である「自身の生命力を拠り所とする」生き方を考えてみたいと思います。

 私は、師野口晴哉に出会ったお陰で、この道50年、医薬に頼らず生活することができています。このような人生となるには、医薬への依存性が高まってからでは困難ですから、若いうちから、自身で「潜在生命力を喚起する」ことを鍛錬し、「自然治癒力への信頼」を培うことが肝要です。

野口整体の理念は、自身に具わる自然治癒力への信頼を拠り所として「自分の健康は自分で保つ」ことです。そして、この「自分の健康は自分で保つ」にとどまらず、「身体(身心)を開墾することで人間の可能性を見出そうとする野口整体(註)」を通じて、ことにここ数年、私の人生は深いものとなってきました。

(註)野口整体は、禅の精神をその思想基盤としている。

(補)『「気」の心身一元論』出版時の「はじめに」

 今回は、2011年出版の『「気」の身心一元論』(静岡学術出版)の はじめに を紹介します。

 題に「野口晴哉生誕百年」とありますが、この年の5月、私は先生に愉気をした時に、これまでにない異常を感じました。先生にそのことをお伝えすると、「そうか…」と、やっぱりなという感じでした。先生も気づいていたのです。

  今回は、『「気」の身心一元論』がどのように加筆されたかを垣間見ていただくため、全文を掲載し、次回から、『野口整体と科学』のはじめに を紹介していきます。

 はじめに― 野口晴哉生誕百年 身体性に回帰する時代に贈る

野口整体  気・自然健康保持会 主宰 金井 省蒼

  2004年6月、『病むことは力』(春秋社)を出版することができました。取り掛かって1年9ヶ月後のことでしたが、師野口晴哉二十八周忌に合わせての発行となりました。

二作目の執筆が始まったのは、2006年のゴールデンウィーク明けのことでした。現在に至るまでの間、とりわけ2008年4月よりの「科学の哲学性」研究において、生命観(または身体観)の上で、私は次のような主題を捉えることができました。それは「二元論と一元論」、「機械論と目的論」という二つの主題です。

これらを、野口整体の立場から「科学の知・禅の智」シリーズとして書き著すこととなり、先ずはこの度、『「気」の身心一元論』としてまとめることができました。

本年2011年は「師野口晴哉生誕百年」に当たり、このような年に今著の完成を迎えることは、私にとって大きな喜びであり、一層感慨深いものがあります。

 折しも2011年3月11日、三陸沖を震源とする、東北地方太平洋沖地震が起きました。

 私が居住する静岡県熱海市は、神奈川県に隣接し、鉄道の交通網としても関東圏に属し、首都圏の端と言うことができます。

 地震後三週間して、この地域では直後の混乱が少し治まりましたが、停電など地震後変化した、社会的・経済的状態に対して甘受せざるをえない状況でした。そして、観光地である熱海市の旅館・ホテルはキャンセルが続出し、関係者の困惑は大なるものがありました。

 東北地方の人々、ことに直接的な被害を受けた太平洋側の町の人々は、これから復興に向けての長い道のりが始まったばかりです。避難所生活を送る人々の様子をテレビで見るにつれ、何らかの医薬を常用する人が、薬が手に入らないことで不安な日々を過ごしているという様子が、私の立場からは目につきました。

 このような大きな災害は、おそらく太平洋戦争中と直後の混乱に次ぐものでしょうが、あの時代、これほどに医薬に頼る人はいなかったと思うのです。是非に必要な方に対して、医薬への依存を否定するものではありませんが、医療が「投薬医療」と揶揄される時代を通じて、医薬への依存性がいたずらに高くなったことも事実です。

 このような大震災に見舞われた日本人として、健康面において、改めて「自身の生命力を拠り所とする」ことを考えてみたいと思います。

 私は、師野口晴哉に出会ったお陰で、この道四十年余、医薬に頼らず生活することができています。このような人生となるには、医薬への依存性が高まってからでは困難ですから、若いうちから、自身で「潜在生命力を喚起する」ことを鍛錬し、「自然治癒力への信頼」を培うことが肝要です。

 そして、このことにとどまらず、「身心を開拓することで人間の可能性を見出そうとする野口整体」を通じて、ことにここ数年、私の人生は深いものとなってきました。

 

 今著の動機は、『病むことは力』の終章「日本の身体文化を取り戻す」に始まっています。そこでは、「野口整体の源流は日本の身体文化」と少しばかり表現しましたが、今著ではこの内容について存分に著すことができます。

 これは、「日本の身体文化」とは、禅を頂点とする「修行」、あるいは修養・養生的な身体文化であったということです。

 このような「身体性」を基盤として全ての伝統的な日本文化が存在していたというのが、この道四十年を経た私の結論です。「身体性」の文化に通底する鍵は『肚』でした。

野口整体」が創立された昭和初期という時代背景には、明治以来の、政府による西洋近代医学の急激な普及がありました。

 師野口晴哉は、明治末(1911年)に生れ、大正時代に育ちました。昭和元年、東京入谷に道場を開き、当時の近代医学では救われない人々のために活動を始めたのです。この時代は、洋の東西において近代の代替知(科学に代わる知)が模索された時代でもありました。

 この時代背景を溯って考えますと、その前には明治維新(1868年)、そして、さらに大きく広げて歴史を俯瞰すると、維新の原因は西洋の「近代科学」文明、あるいはルネッサンスにまで遡ることができます。

 今著は、21世紀の現代社会における「野口整体の立処(たちど)」を明確にするため、その源にある「東洋宗教」文化と、明治以来の近代化・西洋「近代科学」文明を、思想史的に(哲学的・歴史的観点から)考察することで著そうとしたものです。「東洋宗教」文化と「近代科学」文明とは、「身体性」と「理性」という相違なのです。

 日本近代に生まれた野口整体の方法を通じて「身心を開拓する」ことは、近代知をも取り入れて伝統的な「身体性」を探究することなのです。

 科学は、個人の主観と切断された客観的・普遍的なものです。科学に対してはこのような向き合い方が必要なのですが、宗教的な野口整体は、個人の主観も入っており、その上で普遍性があるものです。

 ですから、先ずは、私がどのように育ち、思春期を通して野口整体の道を歩んだかについて知って頂くことが良いと思い、このような著し方となりました。

 今著は、野口整体という智の歴史的な意味について、ようやく見出したアカデミズムの世界とのつながり、そして現代社会における立脚点について、私ができる限り考えようとしたものです。

 私はこのようにして、師野口晴哉が、創立期から変わらずに目指した志を現代に実現するため、『「気」の身心一元論』を著そうと考えるに至ったのです。

 各章の扉には、師が「近代科学」の問題点について語っている文章を配置しました。これらを通じて、師野口晴哉の思想を深めて頂きたいと思います。

 私は、野口整体の一指導者の立場ですが、今著を通じて、「如是我聞(にょぜがもん)」―― 私が40年余を通じて、このように師野口晴哉の思想を理解したことを感じ取って頂ければと思います。

 今著の「西洋近代を通して『現代と野口整体』を、俯瞰的に観る視点」という内容にまで到達することができたのは、塾生の援護を始め、経験を与えて頂いた全ての人々のご縁によるものと、初出版以来の七年余を振り返っています。ここを通じて、あなたが求めている「パラダイムシフト(新しい生き方)」を考えて頂ければと思っています。

2011年9月7日

野口晴哉生誕百年の日に記す

(補)『「気」の身心一元論』掲載の全生訓

 『「気」の身心一元論』で使用された全生訓を紹介します。

全生

全生とは死ぬこと也 死ぬということ 生ききって初めてあり 生ききらぬ人は死ねず 自ら殺し 又他に殺されている也 生ききらず 生きんとしてあがき 自ら殺している人多し ハッキリ知る可し

全生とは 自ずから死ぬこと也

 七十歳になったから全生したとか 八十歳だから全生したとか 四十歳で死んだから全生しなかったとか 天文学的執着によって全生を解す可からず 全生とは数学によって得るものに非ず その生を生ききることに全生はある也

 

全生に生ききるとは 自ら生くる也 他に依って生かされ息している人はいつになっても全生しているに非ず 蝶が一夏で死し 猫が二十年で死し 松が千年で枯れても 等しく全生したる也 人間の全生 時の長さに非ず その一日を生ききることに全生はある也

自ら殺さず 他に殺されず その生に生ききって 死ぬ迄生きていること全生也 米に依って生かされているつもりの人あり 空気に依って生かされている人あり されど生きておらねば 空気も米も 人の生を養う能わざる也

パンに依って生くる者 衣に依って生くる者 全生の人に非ず

 力は使うことによって増す也 力を使うこと惜しむ人 全生の道を知らず 十のこと為すに 五の力にて為すより五十の力をもって為すこと 全生の道也 成否の問題に非ず ただより多くの力を費やして生くる可し 費やして減ることなきを知る者 いつも活き活き生くるを得

斯くの如きを全生という也 寿命を保つというは遁辞(とんじ)(言い逃れの言葉)也 死したるを寿命というも 全生とは然らず 衛生というも 養生というも 然らず 故に全生という

『偶感集』

野口整体と科学―  全生思想

野口整体で云う「整体」とは、全力を発揮して生きるための「身心」のあり方です。

この「心」を説くのが「全生」思想です。 

全生思想

 師野口晴哉は十五歳で道場を開き、治療家として本格的に出発しましたが、その当初からの「全生」思想を通じ、人が全生するため、「心と体」を育てつつ導くという「野口整体の体系」を創始しました。

 全生とは、自然健康を保持し(整体を保っ)て生命を全うすることで、野口整体の基盤となる全生思想は、師野口晴哉の死生観から生まれたものです。

 師は、「死」と題した次の文章で、死と生という対立概念を統合する「死生観」によって、全生思想を表現しています。その中で、「感覚」することの大切さを示唆しています。

 感覚、そして死も生も、科学では扱われていないのです。

 

 人間は誰も死にます。死ななかった人は一人もおりません。それ故、生きている人間の中にはいつも死があります。十年生きたことは、十年死んだのであります。それ故、体を調べることが発達すれば、どの人にも死が行なわれていることが判ります。二十七歳前後までは、生に向かってその体の営みは行なわれておりますが、あとは死ぬ為に生きているのです。人間は安らかに、静かに死ぬ為に生きているのです。

 しかし安らかとか、静かとかいうのも人間のつくったもので、生きれば死ぬのです。溌剌と生きた者は、自ずから静かに眠るのです。生の発揮を説くのもこの為で、人間の生きること、生き切ることは、その生の本来の要求といってよいでしょう。

 全力をもって生きている者には悔いはありません。悔いはズボラな人のものです。悩むのも、苦しむのも、楽しむのも、喜ぶのも、その全力で為して来た者には、悔いの余地はありません。もう一度生まれ直したとて同じことを同じに行なうだけです。人間の生きている間は短いのですから、まず全力を挙げて生きることを心がける可きです。これを全生といいます。

 全力を挙げて行動し、感覚し、死ぬことです。

『風声明語1』

 

 整体を保って生きることで、「全生(生を全う)」できる、と師が説いたのが、野口整体の世界です。

 次は、師の「全生訓」の一節を紹介します(『野口晴哉著作全集第二巻』語録一)。これは、師が二十歳頃、1931年に書かれたもので、全生を「人の道」として表しています。

 

全生訓

人 生きざるべからず

生れたるが故なり

人 全生すべし されど 

人 生くるに非ず

自然 人を通じて生くるなり

 

人の生くるは 之自然の要求なり

人の生を全うするは 人の本分を尽すことなり

人の生きむと努むるこそ 自然なれ 人の道なれ

 

人 生を楽しまざるべからず

死を避くべし 只管 養生全生の道に精進せざるべからず

之人たるが故なり されど 

死 来らば之を恐るゝ勿れ

之を迎えて正しく死すべし

 

人の生くる目的は 自己にあるに非ずして 自然にあるなり

而して人の使命たるや 生くることにあるなり

生あれば死あるなり 死の来るは已に使命の終れるなり

之を恐るゝこと勿れ 之を喜ぶべし

生けるが故に死あり 死あるが故に生あるなり

何れにせよ 自然の要求なり

之に順応すべし

 

人 正しく生き 正しく死すべし

生を楽しみ 死を喜ぶ

之人の自然道なり

覚悟すべし 生死 別ならずして一なり

― ― ― ― ― ― ― ―

人の恐るべきは自己にして 自己以外の何ものとても 恐るべき存在に非ざるなり 

之を理解すべし 之を自覚すべし

― ― ― ― ― ― ― ―

人の生るゝや 生くるなり

生存 生殖 生活 之人の最大なる芸術なり

こゝに自力あり 自力を知れ

之他力を知り 神を悟るの道なり

人 瞑想せよ

静かに坐して

「我あり」と 

(現代語訳)

人はきちんと生きなければならない

それは生まれたからである

人は全生するべきだ しかし

人が生きるのではない

人を通して自然が生きるのだ

 

人が生きるのは 自然の要求である

人が生を全うするのは 人の本分を尽くすことである

人が生きようと努めることこそ 自然であり 人の道なのである

 

人は生を楽しまなければならない

死を避けなければならない ひたすら 養生し全生の道に精進しなければならない

これは人であるが故である しかし

死が来たならばこれを恐れてはならない

死を受け入れて正しく死ぬべきである

 

人の生きる目的は自己にあるのではなく 自然にあるのである

だから人の使命というものは 生きることにあるのだ

生があれば死がある 死がやってくるのはすでに使命が終わったということだ

これを恐れることはない これを喜ぶべきである

生きているがゆえに死があり 死があるがゆえに生がある

いずれにしても 自然の要求なのだ

これに順応すべきである

 

人は正しく生き、正しく死ぬべきである

生を楽しみ 死を喜ぶ

これが人の自然の道である

覚悟せよ 生死は別のものではなく一つのものなのだ

― ― ― ― ― ― ― ―

人が恐れるべきは自分自身であり 自分以外の何物であっても 恐るべき存在ではないのだ

これを理解し これを自覚すべきである

― ― ― ― ― ― ― ―

人は生まれると生きようとする

生存 生殖 生活 これらは人の最大の芸術である

ここに自力がある 自力を知れ

これが他力を知り 神を悟る道である

人 みな瞑想しなさい

静かに坐して

「私はここに在る」と

野口整体と科学― 科学を相対化し「禅文化としての野口整体」を思想的に理解する

上巻掲載にあたって

近藤佐和子

 今回から、いよいよ『野口整体と科学― 科学を相対化し「禅文化としての野口整体」を思想的に理解する』に入ります。

 2011年10月10日に出版された『野口整体 ユング心理学と天風哲学「気」の身心一元論― 心と体は一つ』(静岡学術出版)は、指導を受けていた皆さんなどの支援を受け、完売することができました。

 そして、この原稿が基になって、金井先生の晩年のライフワークとして「科学の知・禅の智」三部作が執筆されましたが、『野口整体と科学―』は、その一作目、上・中・下巻の上巻です。先生は大著となったこの上巻をⅠ・Ⅱと二冊組で出版することを構想していました。

 原稿を書いている時や編集会議で、先生は時折「この本はわしの置き土産だ」と言うことがありました。先生は自身がそれほど長く生きるわけではないと分かっていたのだと思います。

 それでは内容に入りますが、出版に当たり石川光男先生に頂いた文章、そして表紙・扉の文章から紹介していきます。

 野口整体と科学 活元運動』刊行によせて

国際基督教大学名誉教授 石川光男

金井蒼天氏は野口整体に精通しておられ、長年にわたって、整体指導者として社会に貢献してこられました。また、「ポストモダン」という視点から身心一元論としての野口整体の歴史的意義を論説した『「気」の身心一元論』を刊行しておられます。

 このたび『野口整体と科学 活元運動』を出版することになりましたが、東西の自然観や文化の相違に着目して、野口整体と活元運動を理論と実践の両面から、わかりやすく解説しておられます。

 西洋的な思想と近代科学が軌道修正をせまられている現代において、大局的な視点から野口整体を再評価するために大きな役割を果たすものと期待しております。

2014年春

野口整体を理解し、身に付ける上でなぜ「科学とは何か」を、問い直すのか

活元運動は、「自分の健康は自分で保つ」ための修養(調身・調息・調心)です。この修養をきちんと行うために必要なのが教養で、それは思想の知的理解です。

 本書の目的は、「科学とは何か」を問い直すことで表した、「気・自然健康保持会」独自の、科学的生命観と野口整体的生命観との相違(西洋と東洋の世界観の違い)という、思想の理解です。

 これは、明治以来の西洋・近代科学文明と日本の伝統的な東洋宗教文化、そして、敗戦後の「道(どう)」の喪失についての考究から生まれた内容です。

  戦後七十年を経た現代は、敗戦(1945年)によるGHQ占領下の「日本弱体化政策」と、その後の科学教(狂)ともいうべき時代を通じて、「道」の文化が失われたことが知られておりません。これは、とりわけ若い世代において顕著です。             

 東洋宗教(神道、儒・仏・道教)が統合され、日本人の生き方の規範となっていた、「道」に大きな影響を与えてきたのが「禅」であり、これらが伝統文化の中心でした。

「道」とは人格を磨き、生き方を高めるための道筋であり、精神性の向上を目的とし、武術や舞踊、茶や書などを修行(これらの身体行を通じて師に学び、生涯を賭けて人生を深く理解)することでした。

 このような伝統を基盤とし、明治・大正時代を通じての「近代化」の中、昭和の初めに野口整体は生まれたのです。

 また、現代日本の多くの人々は、戦後民主主義下の科学至上主義教育により、無意識的に科学絶対主義(科学的世界観が唯一)となっているのです。これは、意識が理性偏重となっていることを意味します。

 こうした人々においては、伝統文化を基盤にして成立した野口整体(の「身体性」)を真に理解することは、容易ではありません。それは、敗戦以前の日本では、東洋宗教が結晶した「道」が育む「身体性」が、日本人が生きる上での共通感覚となっていたのであり、現代では、この共通感覚(身体感覚・感性)を失っているからです。

 そこで現代の、科学的社会の共通感覚・理性を主とする意識が発達した人々が野口整体を身に付けて行く上では、「科学的な視点やものの見方が、唯一絶対ではないと提示(=科学を相対化)」し、野口整体の東洋宗教的な(とくに禅)文化を、先ず思想として理解することが肝要と考えました。このため私は、野口整体の中でも、蒼天流の世界観を出来得る限り論理的に表現してきました。

 伝統的な「道」を失った現代の日本人が、内なる自然「身体」と一体となる、活元運動を体得するための思想と行法を説きます。                 (金井蒼天)

 

左袖 プロフィール

一般社団法人野口整体 気・自然健康保持会

代表理事 金井 蒼天(かない そうてん)

1948年、愛知県に生まれる。高校卒業後の一浪中、野口晴哉師の思想に出会い、野口整体の道に進むことを決心する。

翌1967年4月2日、野口晴哉師の門下生となる。

1972年8月1日、熱海で整体指導の道場を開く。

1975年10月、京都高等講習会において師野口晴哉より

整体指導者として認められる四段位を授与される。

1998年2月4日、満五十歳を機に、「野口整体 気・自然健康保持会」と名乗る。

2004年6月、心理療法的・整体(個人)指導をまとめた初出版『病むことは力』(春秋社)を著す。

2008年4月以来、二十一世紀の現代社会における野口整体の立処(たちど)を明確にするため、科学哲学を学ぶ。

2011年10月、『「気」の身心一元論』(静岡学術出版)を著す。

2014年3月、一般社団法人として認可を受ける。

『「気」の身心一元論』の改訂(12年春以来)を通じて、2017年春、当初から予定の三冊のうち上巻(本書)を刊行する。

2008年4月からの科学哲学の学びを通じて、西洋と東洋の世界観の相違を理解(科学を相対化)し、改めて「禅文化としての野口整体」の本質を捉え、その世界を著す。

 

表・表紙左下

― 科学を相対化し「禅文化としての野口整体」を思想的に理解する

裏・表紙

敗戦後の科学至上主義が終焉するという時代に、

「近代科学とは何か」を問い直し、これを相対化して

東洋宗教文化を理解することで、野口整体を体得する

 

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金井蒼天先生が考案した表紙デザイン。何度もやり直して完成にこぎつけた。

 

(補)最初の問題 2  野口晴哉

最初の問題

昭和33年3月 整体指導法初等講習会(『月刊全生』平成13年)

野口晴哉

  ですから、指や手を当てて効果をあげようとする場合の一番重要な問題は、自分の力を統一するということになります。

 いろいろな指の使い方やテクニックはその次の問題で、お尻を拭いたままの指で押さえたとしても、それは難しい。摘まみ食いをした手でもって相手の体の中の力を呼び起こそうとしても、それは無理である。

 やはり人間がそういう心で集中してこなければ、手でも本当の機能を発揮できない。しかし集中してくると、今まで指で触って感じなかったところのものが感じられるようになってくる。

 手だけでなくて、目だって鼻だってそうである。注意を集めれば、その注意が集まる前には感じなかったことまで感じられる。だから手も同じであって、手に注意を集めると手の感覚が敏感になるのであります。

  手の感覚を訓練するために整体協会では合掌行気という方法がありますけれども、そういう方法で修業して手を敏感にしたとしても、力の統一というものがなかったならそれは持続しないし、そういう修業法に頼ること自体が違うのではなかろうか。

 むしろ何もしないでいいから、ただ自分の全身全霊をそこに打ち込んで、感ず可きものを感じ、相手の動きを自分の手で感じるつもりでふっと気を集めれば、自然に感じる。そうして、毎回人に全身全霊で愉気する度に、それを修養法とし、心を込めて動作することの方が本当は大切なのであります。

 ですから、素人向けの講習会ではよく合掌行気法を教えたり、こうやれば手が敏感になるとか、手の先から気が出るとか、人体放射能が出るとか言って教えていますが、それは子供にお菓子をやるようなものであります。そういうようなことは家庭の人達が自分の家族に行なうというような前提で素人のために教えている。

 家族というのはどうせ愛情というもので結ばれていますから、何かあったような時は自然に愉気ができる。素人はそれでいいが、玄人としてやっていくとなると、誰にでも公平にならなくてはいけないし、誰にでも同じようにやれなくてはならない。やれるだけではなく、同じような効果を現わしていかなければならないのです。当たり外れがあったのでは本当ではない。

 そうすると、普通の素人の人のやる修養法ではなくて、皆さんのこれから手を当てることそのものを行気法として、注意を集め、気を集め、自分の心を集め、そして自分の全部をそこに集中して押さえるようにしてゆくことが本当で、そうすると手も敏感になれば、心を統一する練習にもなるのです。

 だから敢えてこの会では合掌行気法というような修養方法はやらないで、皆さんが今から行なう練習自体をそういう気持ちで打ち込んでいただくということの方を望むのであります。

 そうして相手の生きていることに対して、相手の生命というものの尊さを感じ出すと、ひとりでにすうっと力が入っていき、そういう気持ちの統一がとれて、それが指に現われるのです。そういう時は、体中の力がひとりでにすっと統一されるのであります。

 昨日お話しした練習型で体を訓練する(補)ということも一つの方法でありますが、それとても、本当は物理的な、機械的な面からの統一でありまして、本当は操法する時には、もっと純粋な、精神的という言葉をもう一つ乗り越えた、魂の集中といったような意味の統一が欲しいわけであります。

 ですからそういう意味で、自分の力を統一するということが操法の基本になるのだということをまずお覚えになっていただき、そういうつもりでやっていくと、指の感覚も敏感になり、小さな硬結でも、ちょっとした動きでも直ぐ分かる。手を摑まえていたって、頭を摑まえていたって、人間の呼吸は分かるのです。

 それが目で胸を見ていないと分からないとか、お腹を押さえていないと呼吸が分からないとかいうのでは、まだ統一が充分であるとは言えないわけであります。

(補)練習型について

 野口整体操法(体を整える技術)には、型が制定されていて、型を通じて全身の力を集めて働きかけることや、気を集注させることを、学んでいく。これは体から心へ、という方向の働きかけであり、主に自分の心身の構えを身に付けることに主眼がおかれている。

 その後の「魂の集注」は、相手の生命に畏敬の念を持ち、相手(の生命)に働きかける上でのことを言っている。体で覚える「型」は基本で、臨床の場で応用していく上で大切なこと、という意味。

 ここで述べられていることは、整体指導者となる人のための内容であり、野口先生の「整体指導は、一般の人が行う愉気法・活元誘導などより、要求水準がもっと高いんだ!お前らその程度でいいと思ってるのか!」という、野口先生の叱咤激励の思いが随所にあふれている。操法を学ぶ初頭講習会の場という雰囲気を想像して読んでほしい。

 なお、合掌行気法は整体操法の講習会でも教えられていたが、一般の人向けとは教え方・方法が異なる。型にしても、合掌行気にしても、身体的な方法(やり方)を覚えてやっていればいいというものではない、というのが論点となっている。(近藤佐和子)

(補)最初の問題 1  野口晴哉

 経緯を忘れてしまったのですが、この原稿の最後に、「最初の問題」という野口先生の講義録の抜粋が入っていました。長いため、補足資料1・2として、2回に分けて紹介したいと思います。ブログ用改行あり。(近藤佐和子)

最初の問題  昭和33年3月 整体指導法初等講習会(『月刊全生』平成13年)

野口晴哉

 操法の最初の問題としては、まず自分の力を統一することです。これをするにはどうしたらいいのかという問題であります。正常な体は、或る一箇所、例えば指を使うのにも体中の力が指の先に集まります。

 ですから、指を当てていても体中の力がそこに集まっている。だから指で押すわけではない。体全部で押さえている、というよりは気で押さえている。

 人間の体というものは、一粒の生殖細胞の発展したものですから、もともと一個のものなのです。だから、細胞の数が何百億になっても、何兆になっても、それを統一している一つの働きがある。

 それを人間が生きているとか、命とか、気とかいうような言葉で言うのだろうと思いますが、そういうものが指の先にぴたっと集中してしまわないと、ただ体の物量を掛けただけでは体を統一することにはならないのであります。

〝今日のおやつは何だろう〟などと思っていたのでは、これは統一ではない。やはりそこの目標に向かって自分の気をふっと集中して、自分の全身全霊をそこに集めてしまうような気構えがないと、統一するということは実現しないのであります。

 要すれば、操法するということに懸命になるというそれだけであります。ところが一生懸命になるというと、無我夢中になることだと思う人もいますが、そういう意味の一生懸命は本当でないのであります。

 力のない人がもっと力を出そうとして足掻いている時に、無我夢中という現象が生ずるのです。演壇に登って上手に歌を歌おうなどと思うと、却って歌えなくなってくる。一生懸命歌おうとするほど歌えなくなってくる。

 丸木橋を渡ろうとする時、歩くのに一生懸命になると却って力が出なくなってくる。そういうように、ない力を振り絞ろうとすると一生懸命はときどき逆効果を呈しますが、自分の持っている力の全部をそこに集中するという一生懸命は、自分の持っている力を全部出すのであります。

 力を出そうというように思うのではなくて、ただそこに集中すればいいのです。つまり操法するということが大変大事なことなのだ、人の命に関わることなのだということを腹の中にぐんと入れておけば、自ずとそうなるのであります。

 そういう命が大事であるということの本当の感じを実感として持っていないと、手の方がついふわふわ動いていき、一生懸命にやろうとしても、本当の集中が行なわれないで、単に力の見せかけ、或いは腕を見せるためというようなことに動いていく。

 だから統一がなくなってしまう。やはり自分の命が大事なように人の命も大事であり、生命というものに対する礼といいますか、何かそういったようなものが足りない時には、どんなに気張っても全力を発揮できないし、統一することもできない。

 ですから練習の場合でもやはり同じでありまして、練習だからという理由で人の体を玩具にしていい理由はない。

 やはりそこにも一生懸命がなくてはならない。それで自分の気持ちをふっと一つにすると、統一される。統一して、指に全部の気持ちが集中してくると、人間の指は今までの普通のご飯を食べたり、お尻を拭いたりする指と違って特殊な力が生ずるのであります。

 指の力だけでいえば、先を細くした、尖らした棒を使った方がもっと強く押せる。しかし整体操法では強く押すということは意味がない。それなら針の方がもっと強い力で刺戟できる。

 そうではなくて、手でやる技術の一番の重要な問題は、人間が統一してそこに集中し抜いた時に、手が今までの手と違ってくるということであります。 人間の顔でもぼけっとしている時は間が抜けているけれども、何かの仕事に懸命に打ち込んでいる時は、それまでにない美しさが出てきますね。

 そういうように人間の中にあるものを統一して、そこへ集めると、違った力が出てくる。それは遠くの小さな音でも、お喋りしたり頭の中がふわふわしている時は聞こえないけれども、気を澄まし、心を澄ましてくるときちんと聞こえる。

 そういうように今まで持っていたのに現われなかった力が出てくるのであります。