野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

(補)『「気」の心身一元論』出版時の「はじめに」

 今回は、2011年出版の『「気」の身心一元論』(静岡学術出版)の はじめに を紹介します。

 題に「野口晴哉生誕百年」とありますが、この年の5月、私は先生に愉気をした時に、これまでにない異常を感じました。先生にそのことをお伝えすると、「そうか…」と、やっぱりなという感じでした。先生も気づいていたのです。

  今回は、『「気」の身心一元論』がどのように加筆されたかを垣間見ていただくため、全文を掲載し、次回から、『野口整体と科学』のはじめに を紹介していきます。

 はじめに― 野口晴哉生誕百年 身体性に回帰する時代に贈る

野口整体  気・自然健康保持会 主宰 金井 省蒼

  2004年6月、『病むことは力』(春秋社)を出版することができました。取り掛かって1年9ヶ月後のことでしたが、師野口晴哉二十八周忌に合わせての発行となりました。

二作目の執筆が始まったのは、2006年のゴールデンウィーク明けのことでした。現在に至るまでの間、とりわけ2008年4月よりの「科学の哲学性」研究において、生命観(または身体観)の上で、私は次のような主題を捉えることができました。それは「二元論と一元論」、「機械論と目的論」という二つの主題です。

これらを、野口整体の立場から「科学の知・禅の智」シリーズとして書き著すこととなり、先ずはこの度、『「気」の身心一元論』としてまとめることができました。

本年2011年は「師野口晴哉生誕百年」に当たり、このような年に今著の完成を迎えることは、私にとって大きな喜びであり、一層感慨深いものがあります。

 折しも2011年3月11日、三陸沖を震源とする、東北地方太平洋沖地震が起きました。

 私が居住する静岡県熱海市は、神奈川県に隣接し、鉄道の交通網としても関東圏に属し、首都圏の端と言うことができます。

 地震後三週間して、この地域では直後の混乱が少し治まりましたが、停電など地震後変化した、社会的・経済的状態に対して甘受せざるをえない状況でした。そして、観光地である熱海市の旅館・ホテルはキャンセルが続出し、関係者の困惑は大なるものがありました。

 東北地方の人々、ことに直接的な被害を受けた太平洋側の町の人々は、これから復興に向けての長い道のりが始まったばかりです。避難所生活を送る人々の様子をテレビで見るにつれ、何らかの医薬を常用する人が、薬が手に入らないことで不安な日々を過ごしているという様子が、私の立場からは目につきました。

 このような大きな災害は、おそらく太平洋戦争中と直後の混乱に次ぐものでしょうが、あの時代、これほどに医薬に頼る人はいなかったと思うのです。是非に必要な方に対して、医薬への依存を否定するものではありませんが、医療が「投薬医療」と揶揄される時代を通じて、医薬への依存性がいたずらに高くなったことも事実です。

 このような大震災に見舞われた日本人として、健康面において、改めて「自身の生命力を拠り所とする」ことを考えてみたいと思います。

 私は、師野口晴哉に出会ったお陰で、この道四十年余、医薬に頼らず生活することができています。このような人生となるには、医薬への依存性が高まってからでは困難ですから、若いうちから、自身で「潜在生命力を喚起する」ことを鍛錬し、「自然治癒力への信頼」を培うことが肝要です。

 そして、このことにとどまらず、「身心を開拓することで人間の可能性を見出そうとする野口整体」を通じて、ことにここ数年、私の人生は深いものとなってきました。

 

 今著の動機は、『病むことは力』の終章「日本の身体文化を取り戻す」に始まっています。そこでは、「野口整体の源流は日本の身体文化」と少しばかり表現しましたが、今著ではこの内容について存分に著すことができます。

 これは、「日本の身体文化」とは、禅を頂点とする「修行」、あるいは修養・養生的な身体文化であったということです。

 このような「身体性」を基盤として全ての伝統的な日本文化が存在していたというのが、この道四十年を経た私の結論です。「身体性」の文化に通底する鍵は『肚』でした。

野口整体」が創立された昭和初期という時代背景には、明治以来の、政府による西洋近代医学の急激な普及がありました。

 師野口晴哉は、明治末(1911年)に生れ、大正時代に育ちました。昭和元年、東京入谷に道場を開き、当時の近代医学では救われない人々のために活動を始めたのです。この時代は、洋の東西において近代の代替知(科学に代わる知)が模索された時代でもありました。

 この時代背景を溯って考えますと、その前には明治維新(1868年)、そして、さらに大きく広げて歴史を俯瞰すると、維新の原因は西洋の「近代科学」文明、あるいはルネッサンスにまで遡ることができます。

 今著は、21世紀の現代社会における「野口整体の立処(たちど)」を明確にするため、その源にある「東洋宗教」文化と、明治以来の近代化・西洋「近代科学」文明を、思想史的に(哲学的・歴史的観点から)考察することで著そうとしたものです。「東洋宗教」文化と「近代科学」文明とは、「身体性」と「理性」という相違なのです。

 日本近代に生まれた野口整体の方法を通じて「身心を開拓する」ことは、近代知をも取り入れて伝統的な「身体性」を探究することなのです。

 科学は、個人の主観と切断された客観的・普遍的なものです。科学に対してはこのような向き合い方が必要なのですが、宗教的な野口整体は、個人の主観も入っており、その上で普遍性があるものです。

 ですから、先ずは、私がどのように育ち、思春期を通して野口整体の道を歩んだかについて知って頂くことが良いと思い、このような著し方となりました。

 今著は、野口整体という智の歴史的な意味について、ようやく見出したアカデミズムの世界とのつながり、そして現代社会における立脚点について、私ができる限り考えようとしたものです。

 私はこのようにして、師野口晴哉が、創立期から変わらずに目指した志を現代に実現するため、『「気」の身心一元論』を著そうと考えるに至ったのです。

 各章の扉には、師が「近代科学」の問題点について語っている文章を配置しました。これらを通じて、師野口晴哉の思想を深めて頂きたいと思います。

 私は、野口整体の一指導者の立場ですが、今著を通じて、「如是我聞(にょぜがもん)」―― 私が40年余を通じて、このように師野口晴哉の思想を理解したことを感じ取って頂ければと思います。

 今著の「西洋近代を通して『現代と野口整体』を、俯瞰的に観る視点」という内容にまで到達することができたのは、塾生の援護を始め、経験を与えて頂いた全ての人々のご縁によるものと、初出版以来の七年余を振り返っています。ここを通じて、あなたが求めている「パラダイムシフト(新しい生き方)」を考えて頂ければと思っています。

2011年9月7日

野口晴哉生誕百年の日に記す