野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)四2

2 科学的に発展した現代医療と東洋宗教を基とする野口整体

 「西洋医学は人間の体を物として研究した」という師野口晴哉の言葉が、私の潜在意識に入っていました。

 私が特に問題と思うことは、日本の大学での医学教育においては、哲学の時間がないことです。これ自体、世界中の医学教育において珍しいことのようです。

(日本の近代医学では、とりわけ「心身分離(心身二元論)」の傾向が強く、医学教育に宗教や精神の問題を入れるのはタブーとなってきたようです)

 また、戦後社会のありようが大きく変化するにつれ、日本の伝統的な倫理観はすっかり薄らいでしまいました。

 医療で行う手術や投薬において、家族には「こんなことはさせられない」と、心ある医師は感じているという一面があります。已む無く、こうするしかないということですが、こういう医療は、乱暴な例え方をすると、自分の家族には食べさせられないものを、客に提供している食堂のようなものです。これは西洋医学が、より科学的に進んで、行きついた先のことです。

「心ある医師」とは、患者に対してのみならず、医師自らが、医術と人間としての生き方に「信念」が持てることです。しかし現在、このような医師たちは、医学界において「非常識な人たち」なのです(『非常識の医学書』参照)。

 それは、科学的方法というものには、その中に「自分が入っていない」からです。これについては後に詳述(第一部第三章 三)しますが、自分が、自分にとって良い方法とするものを他者に提供するというのが、本書で言う宗教的(=信念に基づく)方法なのです。

 これは、自身の生き方を基にすることであり、野口整体の指導者は宗教的であるべきというのが私の信念です。

 師野口晴哉が活動した時代(1926~1976年)、医療界には「医は仁術(註)」という言葉がありました(現代では死語となりつつある)。「仁」とは中国思想・儒教孔子孟子)が説く徳目(仁・義・礼・智・信)の一つで最高位のものです。

(註)医は仁術

「医は、人命を救う博愛の道である」ことを意味する格言。特に江戸時代に盛んに用いられたが、その思想的基盤は平安時代まで遡ることができる。また西洋近代医学を取り入れた後も、長く日本の医療倫理の中心的標語として用いられてきた。

 仁は、慈しみ・思いやりの心、仏教における「慈悲(註)」と同じもののようです。

(註)慈悲

慈は「慈しみ」、相手の幸福を望む心。 悲は「憐れみ」、苦しみを除いてあげたいと思う心。

  つまり、かつては科学である西洋医学の技術を東洋宗教である道徳(註)が支えていたのです。医療界における「和魂洋才(日本古来の精神を大切にしつつ、西洋の技術を受け入れ、両者を調和させ発展させること)」であったと思います。

(註)道徳

人々が善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理としてはたらく。

  医療という臨床の場においては、理性のみならず感性、そして徳性のはたらきがより大切ではないでしょうか。

野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)四1

四 心を切り離した西洋医学自然治癒力は見えない

自然治癒力を喪失した西洋医学 自然治癒力を前提する野口整体

今回から四に入ります。四の主題は「自然治癒力」です。車が好きだった打金井先生は、野口晴哉先生の「人間の体は手を当てると治って来るが、車の故障は治ってこない」という言葉を時々引用していました。

 治る働き、良くなっていく働きを喚び起こすということを考えると、物の原理とは違う生命の原理があることに行き当たり、心の存在を無視できなくなるのです。

 それでは今回の内容に入ります。 

1 患者は壊れた機械、医者は治す機械

― 医療での科学性は病症を「生活している人間」から切り離す

  西洋医学が科学的に発達するに伴い、体を分析する(臓器、組織、細胞などを調べる)ことで病気の原因を特定し、処方が決まると診察は完結する(病理診断)、という方法論で医療が行われるようになりました(病理学(病気の原因や発生の仕組みの解明、その診断を確定する医学の一分野)的診断による処方)。

 人体の構成要素に重点を置いた西洋医学においては、「病症という身体現象」を、本来的対象である「生活している人間」から切り離し、客観的に研究してきた(生活上のことと病症を無関係と見做す)のです。

 従って、この時、生活上での心身の用い方=心と体がどのように使われたか、は原因として考えに入っていないのです(科学的とは個々の主観的問題の排除)。

 こうして、現代では、体の「症状」とそれまでの「心や生き方」はつながらないものになっています。

 石川光男氏は、機械論を基とする近代科学と現代医療について、次のように述べています(『複雑系思考でよみがえる日本文明』)。 

ニューサイエンスとホリスティック医学

…西洋医学を例にとると、病気を体という機械の部分的故障とみなすため、部分的異常の発見のために精密な検査を行い、部分の異常修復をすることだけに注意が向けられ、患者を心の状態や人間関係までを含めた全人的存在として考えないという弱点の認識を意味する。

 ニューエイジ科学運動の中で、新しい医学のあり方に積極的に取り組んだ米国の医師、ハーバード・ベンソンは、西洋医学を次のように評している。

 壊れた機械である患者と、治す機械である医者が、診断や治療のための医療機械を介して向き合っている。

  そこに見られるのは、精神と身体の統合された全体同士の触れ合いが忘れられた世界である、と彼は指摘する。彼は、患者を全体的な人間としてとらえ、医者と患者の人間的な関係を回復することの重要性を強調している。

…このような時代の潮流は、人間の心と体を分離し、さらに肉体を細分化して、臓器、組織、細胞、蛋白質、遺伝子という要素に分解し、要素の異常だけに病気の原因を求める近代西洋医学に対する反省から生まれているといってもよい。

  心臓の専門医にかかっている、ある男性は、「医師は俺の心臓が無事に動いてさえいればいいと思っている。心臓にしか関心がない」と言っていました。病院に行くと、まるで「俺は心臓を動かすために生きている」ような気がしてくるのだそうです。

近・現代では、患者は壊れた機械であり、医者は治す機械と化したのです。

 

野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)三3

3 近代物理学の大原則となった「物心二元論

 石川氏は、科学の特徴は、物理学が自然科学の考え方の基礎になっているという点に由来しており、物理学の本質的な意味を知ることは、科学の本質を知ることにつながっていると指摘し、その出発点が「物心二元論(物と心の分離)」にあることを、次のように述べています(『ニューサイエンスの世界観』)。 

物と心の分離

近代的な物理学の出発点は、自然現象と「心」を完全にきり離すことから始まったといってもよい。自然現象は、人間の意思や心の動きとかかかわりなく起こるものであり、自然現象自身の中にも、人間の心のようなはたらきがあるわけではない、というのが近代物理学の考え方である。

現代の人々にとってこれはごく「あたり前」のことのように思われるが、むかしの人々にとっては、決して「あたり前」のことではなかった。

たとえば、自由に落下する物体が下に行くほど速く進むことは、すでにギリシャ時代に知られていた。ところが、この現象をアリストテレスは、「帰心矢の如し」と説明した。自分の家に近づく人間が自然に足どりを速めるように、物体も自分の落ち着くべき地上に近づくと、はやく帰りたいという「心」で速く落下するというのである。

これは、「物」の現象の中に、人間のような「心」の原動力があるとみなす擬人主義的な考え方を示しているが、このような考え方は、当時の多くの人々にうけ入れられていた。

「物」の現象に、「心」を原因とするような内在的な力を認めないという考え方は、物理学を支える基本的な前提である。物理学は、本来無生物を扱う学問であるから、この前提は、無生物としての「物」に適用されていた。

しかし、生物も無生物と同じ原子によって構成されていることがわかったために、人間のような生物を扱うときにも「物」の現象から「心」が排除されることになった。

近代的な西洋医学が、病気を単なる「物」の現象として扱い、人間の「心」とは分離してとり扱う伝統をもっていることを考えれば、物理学と医学が同じ土台の上に立っていることがよく分かる。

…「物」の現象と「心」の現象とを切り離して考えることが近代科学の大きな前提となっている。

   このように、西洋でも近代科学以前には、人間と自然の間には、「感覚と感情」による、心情的つながりの濃い自然観(擬人主義・物心一元論)が一般的でした。

 しかし、自然を「もの」とし、一切の心情的つながりを「切断」する(物心二元論)ことで近代物理学は成立し、これが近代科学の礎となったのです。そして十九世紀には細菌学の発達により、西洋医学は自然科学として確立したのです。

(註)感覚と感情 デカルトは、本来、感覚・思考・感情のはたらきである意識から、「感覚と感情」を切り離した。つまり、一切の主観を排除したのが科学の客観主義である。

  科学哲学者のライヘンバッハ(1891年生 ドイツ)が挙げている事例を紹介します(文中の太字部分は「物心一元論」)。 

海辺の町では、日が昇って、しばらくすると、海のほうから風が吹いてくる。大昔の人々は、朝になって、海の神様が目を覚まし、活動を始めたから、海から風が吹いてくると信じた

けれども、近代科学によれば、そうした神話は、笑い話である。日が昇って、太陽の熱で陸地が暖められたために、その上の空気が膨張して希薄になったので、そこに、海の冷たい重い空気が、流れ込んできただけなのである。これが、近代科学の現象の説明方式に他ならない。つまり、太陽の熱による陸地の温度の上昇が、海から風が吹いてくることの原因なのである。

 近代科学の根本的な性格は、物事の「原因と結果」の仕組み、つまりその因果法則を、物質現象として明らかにしようとするものです。

 

野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)三2

 二で述べてきたように、近代以前の西洋医学は、キリスト教神学を思想の枠組みとしていましたが、近代西洋医学は近代科学を思想の枠組みとしています。一見、そこには大きな断絶があるように見えますが、そこには西洋的な心身観、生命観という文化的伝統が受け継がれています。

 しかし今回は、近代科学の柱「心身二元論」、次回は「物心二元論」と近代西洋医学について、石川光男氏の引用を基にお話ししていきます。

2 西洋医学は、近代科学の「思考の枠組み」を基盤としている

 

続いて石川氏は、医学に「心身二元論(心身分離=心と体が分かれている)」が反映していることについて、次のように述べています。

文化を支える分解思考

私たちが病気になった場合に見られるもう一つの医学的な「常識」は、病気は身体という物質の異常で、精神の異常ではないと考えることである。

私たちは自分自身が身体と心の両方から成り立っていることを実感として知っているが、身体と心を完全に分離して、病気は身体だけの異常と考える思考習慣も、科学特有の分解思考に根ざしたものである。

西欧に発達した近代医学は、病気の原因を物質だけに限定したお蔭で大きな成果をあげることができた。十四世紀にヨーロッパで猛威をふるったペストに対して、祈禱のようなおまじないや、それまでの古い医学は役に立たなかった。

ペストの原因は物質としての病原菌が伝染するためで、悪魔のせいでもなく、また病気の原因が何もないところから発生するものでもないことを知ったことは、近代医学の発達のための貴重な第一歩であった。

 

  先の1の引用文は人体解剖学による内臓中心の、また、この2の引用文では物質医学としての、西洋医学のあり方を表しており、部分である内臓や身体と、持ち主の心との関係を問うことはありません。

 人間を心と体に分け、さらに体を部分に分けて(心身二元論により心と体を分離し、さらに体を構成要素に還元する)、部分を独立した観察対象とすることは、西洋医学が科学的方法を踏まえていることを端的に表しています。

 例えば、帯状疱疹になったとします。西洋医学的には、水痘・帯状疱疹ウイルスによる感染症と診断され、抗ウイルス薬の投薬(原因療法)により治療が完結します。

 これは19世紀、細菌学の発達(病気は「細菌」という物質が原因で起こることが明らかとなる)により、自然科学として確立した近代医学の正統的な考え方です。

 帯状疱疹は、体内(神経節)に潜伏していた、かつて水疱瘡になった原因ウイルスが活動を活発化したことからで、その理由は「免疫力の低下」であることは、医学的に明らかにされています。

 そして免疫力低下の原因は、主にストレスであることも明らかになっていますが、現代医療で、医師がこれ(ストレスそのもの)を直接的に扱う(また患者も、これをもたらした生活そのものに真摯に向き合う(=養生))ことはありません。

 このような治療法のあり方は、西洋医学の基盤となっている自然科学の自然支配の思想にあり、それは物質的な因果関係を捉えるもので、この原因に対して対処するからです。

 このような西洋医療を通して、ウイルス以外の原因を対象としないことにより、機械論的な生命観が人々の心に定着するわけです。

 現代では、このような医学の科学的な常識が多くの人に身についていますが、これに比して、野口整体の「病症観」と私の「個人指導」のありようは次のようです。

 帯状疱疹は、私の経験では心因抜きにはないもので、強いストレスなしには起こらないものです。しかもある体癖(捻れ型)の人に限っているのです。

 心因となる事情は「個人の人間関係」にあり、整体指導者がこれを把握し理解するためには、身体の観察の際に心理臨床が必須となります(被指導者の心の軽減のため、指導者がストレスを理解する)。

 情動(ストレス)による身体の「偏り疲労」に対する整体操法を行うに際し、このような心理臨床を含むのが整体(個人)指導です。体の部分やある病症に対して(=対症的に)のみ対応するのでない、全体性への向き合い方が科学とは異なり、「人間そのもの」を対象とするものです。

 そして整体操法を行うことは、偏り疲労を調整することでの自然治癒力の発揮を目的とするところです。

 西洋医学における科学的方法とは、病症と物質であるウイルスの関係を解明するもの(=病理学)で、「生活している人間」の全体について考えるものではないのです。さらに「健康に生きるための心身の用い方」となると、範疇外なのです。

(註)帯状疱疹

 通常、体の左右どちらかの神経の流れに沿って、帯状に痛みを伴う赤いブツブツとした発疹や水ぶくれなどがたくさん生じる。3週間ほどで治ることが多い。

 医学的には「水ぼうそうにかかった経験がある人なら、誰でも帯状疱疹を発症する可能性がある」とされているが、野口整体では、野口晴哉が説く「人は万病になれない」(体癖によってなりやすい病気とならない病気がある)の一例として知られている。

 

野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)三1

三 現代医療の常識は科学がつくっている

 二で述べてきたように、西洋医学は、もともと西洋のキリスト教神学を基盤とする伝統医学を否定する形で成立してきた過程があります。

 しかし、ガレノスが創始した解剖学を基礎とする西洋医学の伝統には、西洋の伝統的な身体観、生命観が受け継がれています。そして、宗教(キリスト教)の対抗勢力として発展してきたかのように見える近代科学にも、この西洋の伝統が受け継がれているのです。

 近代科学には文化的なバイアスは何もなく、近代科学を基礎とする西洋医学は世界共通の正統医学である、と理解している人も多いかと思います。また、近代はとっくに終わった、という人もいるかと思います。

 また、今のようなパンデミックが起きていると、ワクチン、治療薬でウイルスに勝つ、という発想に傾くものです。

 しかし2020年末、ドイツのメルケル首相は「私は啓蒙を信じている」という名演説を行いました。そしてジェンナー、パスツールロベルト・コッホという名を冠する研究所が、新型コロナウイルスの研究において中心的役割をはたしています。

 また、アジアより死亡率・重症化率ともに高いヨーロッパでは、ウイルスに対する徹底抗戦に入っており、日本とはレベルの違う戒厳令が敷かれています。良い悪いではなく、伝統というものが、危機的状況になるとはっきり出てくるのでしょう。

 こうした現代の状況を振り返りながら今回の内容を読んでいただきたいと思います。 

1 自然科学の見方「要素還元主義」― 部分の総和が全体である

 私がこの道に入った高度経済成長末期の1967年という時は、科学万能主義の風が強く吹き、西洋医学全盛の時代でした。

 国内では1964年、東京オリンピック(10月10日開催)があり、これに合わせ「新幹線」が開業(10月1日)しました。海外では1961年、ソビエトガガーリンによる初の「有人宇宙飛行」成功という、世界的に科学的発展が華やかなりし時代を迎えていました。

 この頃、師野口晴哉は講義で「ここ(整体協会)は気違い部落です」と、自ら語っていました。それは、野口整体の「病症を経過する」という思想が西洋医療のあり方と大きく異なっていたからです。

 これは、明治以来の「近代医学一元化」の影響と、敗戦後からの科学教(狂)とも言うべき時代において、「発熱が自然良能である」ことを、大多数の人々が理解するものではなかったからです。

 石川光男氏は、現代では常識となっている「病院での身体や病症の捉え方」について、「ここには科学の物の見方が反映している」と指摘し、次のように述べています(『ニューサイエンスの世界観』)。

 医学の「常識」

 私たちは、身体に異常を感ずると病院に行って検査をしてもらう。その結果、肝臓が弱っているとか、十二指腸に潰瘍があるというような診断を受けて薬をもらう。これは、私たちの身の回りでよくみかける光景で、大部分の人はこれをごく「あたり前」のことだと思っている。

 ところが良く考えてみると、この身近な光景の中に、科学を支えているいくつかの「常識」が顔を出している。

 第一に、私たちが身体に異常を感ずる場合、「身体」の中のどこかの「部分」が悪いにちがいないと考える。患者が医者に向かって、「どこが悪いのでしょうか」とたずねるのは、そのような思考習慣をよく表している。

 患者は、医者が悪い「部分」を見つけ出すことを期待し、医者もまたその期待に応えて、さまざまの検査方法を駆使して「悪い部分」を見つけ出してくれる。それによって患者は安心し、「悪い部分」を見つけ出してくれない医者に対しては不信感をもつ。

 このように、「病気」という一つの現象を身体の一部分の異常とみなす考え方は、今日の医学ではごく一般的な「常識」である。このような考え方は、一つの自然現象をいろいろな部分に分解し、それぞれの部分の特性を細かく調べることによって、自然現象を理解しようとする自然科学(註)の分析的な方法から生まれている。

 (註)自然科学

 科学的方法により一般的な法則を導き出すことで自然(宇宙から素粒子の世界まで)の成り立ちやあり方を理解し、説明・記述しようとする学問の総称。近代科学は、自然科学の他に人文科学と社会科学を含む。

  二 5で紹介したデカルトは、「心身二元論」と「機械論的世界観」により近代合理主義哲学を確立し、これが科学のものの見方の基盤となりました。

 科学では複雑なものを理解しようとする時、それを構成する要素(部品)に分解し、次に、その各々の部品を詳細に調べ(分析)、その結果を最後に統合し、そのものを理解する、という方法論(註)を用います(二 5で紹介したデカルトの「機械論」)。

 ここには「部分の総和が全体である」という考え方が前提されており、このような考え方を「要素還元主義」と言います。

 この考え方は古代ギリシアに始まり、近代においてデカルトの「機械論」となりました。この要素還元主義は、西洋医学においては、「つながり」を見えなくし生命をもの化して捉えること(機械論的生命観)になった要因です。この考え方は、本来の人間は「心と体は一つ」であることが分かり難くなる傾向をもたらしたのです。

 師野口晴哉は、西洋医学の解剖生理学に拠る見方について、

「分析と観察によつて肉体そのものの理解は出来るとしても、生きてゐる生命そのものは之によつて知悉し得ない(知りつくすことはできない)ものだ。知によつてのみゐては人間の外側だけは判つても本当の生命に触れることは出来ない。」

と述べています(『野口晴哉著作全集第二巻』)。

(註)科学的方法論 機械論的世界観(生命観)と要素還元主義

 分析(analysis(アナリシス))という言葉は、各々(ana)に分解する(lysis)という意味のギリシア語から来ている。複雑な事象であっても、細分化していけば理解しやすくなる。この手法により、近代の自然科学が大きく前進した。しかし、生物は複雑すぎて、この方法では限界がある。

古代ギリシアの哲学者・アリストテレスが遺した「全体とは、部分の総和以上の何かである」という言葉には、彼の生命観がよく表されている。

 

野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)二6

 今回の内容にはインドの伝統医学アーユルヴェーダと、中国の伝統医学、中医学について述べられています。

 2020年3月3日に公開された中国の「新型コロナウイルス肺炎診療ガイドライン」(中国国家中医薬管理局弁公室)では、西洋医学の科学手法に基づく解剖、診断、治療について述べた後、中医学の所見と生薬の処方が併記されていました。

 中国医学には3000年以上前から感染症についての知見があり、COVID-19の肺炎には、伝染性の病気に対する治療法について述べた古典『傷寒論』に記載されている「清肺排毒湯」が代表的な処方として用いられました。

 台湾でもCOVID-19に積極的に中国医学による処方を用い、韓国でも伝統医学である「韓方」(中国医学の知見を援用しながら)を用いて、治療効果を上げているとのことです(「新型コロナウイルス感染症に対する漢方の役割」医事新報HPより)。

 日本でも、ガイドラインの中にある処方を日本で応用可能な形にした処方が公開されていますが、台湾・韓国のようには用いられていないようです。

 戦前のスペインインフルエンザのパンデミックでは、漢方医が積極的に漢方薬を調合し、効果を上げたという記録があり、野口整体にも、野口晴哉が患者に行った操法が伝えられています。

 それでは今回の内容に入ります。 

6 西欧の近代医学成立と日本の西洋近代医学一元化― 自然治癒力の概念は喪失した

  その後の西洋医学は、17世紀にデカルトニュートンが確立した近代科学の方法論(心身二元論・機械論)を応用し、発達していきます。

 18~19世紀、産業革命が起きた西欧では、都市の労働者などの貧民層を中心とする患者向けの大病院を、国家が建設するようになりました。

 成育歴や生活状況が分からない重症患者を大量に診察する必要から、病気そのものを病人から区別された実体として扱う「病気中心主義医学」が始まったのです。

 そして病院が新しい医学、医療技術を開発する場、また軍医の需要を充たす必要性から研修医の訓練を行う場となり、国家に医療費をまかなわれている貧しい患者が被験者となったのです。(特に外科手術や死亡後の解剖実習の場合。手術における麻酔の使用は1846年から)こうして病理解剖学が発達していきました。

 19世紀後半になると、ドイツで病理学者ウィルヒョウの提唱により「全ての疾病は細胞の異常に基づく」という「細胞病理学」が起こります。

 こうして、病室ではなく大学の研究室で、顕微鏡を用いた科学的基礎研究による病理学が始まり、つづいて「病原細菌学説」(パスツール・コッホ)が起こりました。ここで、西洋医学は自然科学の基礎を確立したのです。

 そして、植民地拡大の上でも病原細菌学説に基づく伝染病の予防法、治療法は有益だったため、国家の支援を受けての研究が盛んになりました。

 この「研究室医学」をさらに後押ししたのが化学工業の会社で、企業の資金で新薬開発が進められる研究体制が始まりました。20世紀に入り第一次大戦後は、アメリカで「科学的医学」の研究がさらに進み、抗生物質ペニシリンストレプトマイシン)の発見につながっていったのです。

 こうして、ヴェサリウスが築いた近代解剖学により、以来470年、西洋近代医学は人体解剖学を基礎として、身体を客観的に捉えることで発展してきたのです。 

 日本では明治七年(1874年)、政府は医制を発布し、西洋近代医学(ドイツ医学)を国家医学と定め、江戸時代までの伝統医療を正当な医療から排除したのです。

 江戸時代までの西洋医学としては、蘭方(オランダ医学)がありましたが、これ以外の伝統医療(今日、東洋医学の枠で呼ばれるもの)の中には、西洋近代医学には無い大前提として「自然治癒力」があったのです。

 西洋においては、ヒポクラテスの時代には存在した「自然治癒力」という概念は、近代科学を基盤とする西洋医学では失われ、つい最近までありませんでした(註)。これは、人間の体を機械論的に捉えることから生じたことです。

(註)アメリカで1960年代、ホリスティック医学(全人医療)が生まれ、自然治癒力が医学に取り入れられた(本章四4で詳述)。

 中国には漢方医学、インドにはアーユル・ヴェーダという伝統医学があり、近代医学と協力する形で共存しています。

 中国では、中薬(和名・漢方薬)・鍼灸という伝統医学と西洋医学は両立しており、両者を統合した医学を「中西医学」と呼んでいます。私は、日本の医療の近代化というものが、中国のような形で進むべきであったと思います。

 しかし、日本の近代化の中では、政府が伝統医学を近代医学のはるか下位に置くという歴史がありました。

 当時、極端に低い日本の国際的地位に危機感を抱いた明治政府は、日本が文明国であることを欧米人に示そうと欧化政策(註)を用い、その一環として西洋近代医学だけを国家の正統医学と認めることにしたのです。

(理論的な裏付けが希薄な東洋医学は、欧米人に理解が得られないのみならず不審なものであった)

 こうした事情による西洋近代医学一元化によって、明治7年以来、日本においても、人間の身体を「機械論的に捉える」ようになりました(以下、西洋近代医学を西洋医学と同義とする)。

 宗教的な考え方を持つ伝統医学が否定され、唯物的な近代医学が権威あるものと受け取られるようになったのです。とりわけ、敗戦(1945年)後の科学教(科学万能主義)の時代を経て、現代日本人は機械論的生命観・客観的身体観となりました。

(註)欧化政策 

 1880年代、明治政府が日本の文化・制度・風俗・習慣をヨーロッパ風にして、欧米諸国に日本が近代化した事実を認めてもらおうとして採った政策。欧化政策の背景には、極端に低い日本の国際的地位という当時の状況があった。

 ヨーロッパでは日本人が、その「見た目」によって半未開の人種として「珍獣扱い」されており、井上馨(外相)と伊藤博文(首相)らは、欧米と同じ文化水準である事を海外に示さない限り、まともな外交交渉の相手としても認められないという事実に気づいた。これに関連して盛んに行われた思潮・風俗の動きを欧化主義という。

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江戸時代、シーボルトが日本で行った瀉血の図。

 

野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)二5③

5 ヴェサリウスの解剖学・ハーヴィの生理学が影響を与え、デカルトの機械論的生命観が確立

③ハーヴィの血液循環論と機械論的生命観

 4で、1543年、医師ヴェサリウスが解剖書『ファブリカ』を出版したことを述べましたが、その後の1628年、ハーヴィ(1578年生 イギリス)は血液循環論を解剖学と数量化(註)を用いて立証しました。

 これによって人体と生命に対する神秘的な見方は影を潜め、世俗の人間が人体を科学的探求の対象、すなわち機械・物質としての取扱いをするという態度が鮮明になったのです。

(註)ハーヴィは心臓の容量と全身血液量を計り、一回の拍動でどのくらいの血液が押し出されるかを調べ、時間の推移によってどのぐらいの総量になるかを計算し、三十分後には全身の血液量を上回ると述べた。

 彼は心臓によって送り出される大量の血液が、肝臓内で常に作られ得るものではないと見抜き、血液は循環しており、一方向に流れているはずであると考えた。これを「大静脈を結紮(けっさつ)すれば、心臓には血液がなくなる。大動脈を結紮すれば、血液は心臓に停滞する」という実験によって明らかにした。

 村上陽一郎氏は、実験的な方法の重要性と、理論構築の重大さの認識をもたらしたハーヴィの論説(近代科学の方法論では、まず仮説(理論)を立て、実験をして仮説をたしかめ、その繰り返しで知識を増やしていく)について次のように述べています(『新版 西欧近代科学』第三章 生理学における革命)。 

新しい方法論

この書(ハーヴィの著作)では、単に、血液が循環する、という主張だけではなく、これまでの解釈の欠陥、その主張に達するに到った直接的根拠、その主張を裏づける傍証(証明を補強するのに役立つ証拠)が、整然と整理されており、しかもそうした論理の組み立て方と、根拠となる観察事実との関係も、方法論的にはっきりと把握されている、という事実である。

…この著作は、近代科学が生んだ、最初の、完全にその枠組みの内部で書かれた、模範型(パラダイム)であると言えるであろう。

新理論の意味

天文学におけるコペルニクスケプラーのごとき華やかな雰囲気はないけれども、彼らより以上に革命的で、革新的な性格をもっていたのである。それには、単に、生理学における新説の展開という視点をはるかに超えた重大な意味があった。

…ハーヴィの業績は、文字通り、一つの時代を画すことになり、近代科学が、人間をはじめとする生命体をいかに取り扱うかについてのヒナ型を提供するとともに、その裏では、哲学的な人間観・生命観に関しても、新しい地平を切り拓いたのである。爾来、ここでその礎石を置かれ、のちの歴史のなかで洗練され発展させられていくこうした人間観・生命観は、それを否定的に扱うにせよ肯定的に扱うにせよ、ヨーロッパの思想の枠組みとして、完全に凝結した準拠枠(対象を認識する際に使われる判断の枠組)を形成したのであった。

   その後、近代科学のパラダイムを確立したのが、十七世紀の哲学者デカルト(1596年生 フランス)です(第三章三で詳述)。

 彼は次のように考えました。

「世界は時計仕掛けのようであり、部品を一つ一つ個別に研究した上で、最後に全体を大きな構図で見れば、機械が理解できるように、世界も理解できるだろう。」

彼は、動物も一種の自動機械として説明できるだろうと考えていたのです。これが、万物を機械として捉える「機械論」というものです。

 このように生命機械論を構想していたデカルトは、「血液は生体特有の力“精気”による自発的な運動で体内を流れる」と考えたガレノスを斥けたハーヴィの「血液循環論(心臓を血流用のポンプとみなす)」に感銘を受け、自著『方法序説』で紹介しました。

 ヴェサリウスの人体解剖学やハーヴィの血液循環論が、デカルトの近代科学成立に影響を与え「機械論的生命観」が確立したのです。

(=血液循環論は結果的に生気論およびスコラ哲学を否定した)

 こうして、近代解剖学の祖ヴェサリウスは構造を、近代生理学の祖ハーヴィは機能を、という機械論的医学における両輪によって、西洋近代医学の準拠枠が完成しました。

(註)キリスト教的身体観と心臓

 中世後半のキリスト教的な身体観では、霊魂は心臓に宿る(聖心信仰)とされており、機械論的な心臓の観方は宗教的にもインパクトのあるものだった。