四 心を切り離した西洋医学に自然治癒力は見えない
― 自然治癒力を喪失した西洋医学 自然治癒力を前提する野口整体
今回から四に入ります。四の主題は「自然治癒力」です。車が好きだった打金井先生は、野口晴哉先生の「人間の体は手を当てると治って来るが、車の故障は治ってこない」という言葉を時々引用していました。
治る働き、良くなっていく働きを喚び起こすということを考えると、物の原理とは違う生命の原理があることに行き当たり、心の存在を無視できなくなるのです。
それでは今回の内容に入ります。
1 患者は壊れた機械、医者は治す機械
― 医療での科学性は病症を「生活している人間」から切り離す
西洋医学が科学的に発達するに伴い、体を分析する(臓器、組織、細胞などを調べる)ことで病気の原因を特定し、処方が決まると診察は完結する(病理診断)、という方法論で医療が行われるようになりました(病理学(病気の原因や発生の仕組みの解明、その診断を確定する医学の一分野)的診断による処方)。
人体の構成要素に重点を置いた西洋医学においては、「病症という身体現象」を、本来的対象である「生活している人間」から切り離し、客観的に研究してきた(生活上のことと病症を無関係と見做す)のです。
従って、この時、生活上での心身の用い方=心と体がどのように使われたか、は原因として考えに入っていないのです(科学的とは個々の主観的問題の排除)。
こうして、現代では、体の「症状」とそれまでの「心や生き方」はつながらないものになっています。
石川光男氏は、機械論を基とする近代科学と現代医療について、次のように述べています(『複雑系思考でよみがえる日本文明』)。
ニューサイエンスとホリスティック医学
…西洋医学を例にとると、病気を体という機械の部分的故障とみなすため、部分的異常の発見のために精密な検査を行い、部分の異常修復をすることだけに注意が向けられ、患者を心の状態や人間関係までを含めた全人的存在として考えないという弱点の認識を意味する。
ニューエイジ科学運動の中で、新しい医学のあり方に積極的に取り組んだ米国の医師、ハーバード・ベンソンは、西洋医学を次のように評している。
壊れた機械である患者と、治す機械である医者が、診断や治療のための医療機械を介して向き合っている。
そこに見られるのは、精神と身体の統合された全体同士の触れ合いが忘れられた世界である、と彼は指摘する。彼は、患者を全体的な人間としてとらえ、医者と患者の人間的な関係を回復することの重要性を強調している。
…このような時代の潮流は、人間の心と体を分離し、さらに肉体を細分化して、臓器、組織、細胞、蛋白質、遺伝子という要素に分解し、要素の異常だけに病気の原因を求める近代西洋医学に対する反省から生まれているといってもよい。
心臓の専門医にかかっている、ある男性は、「医師は俺の心臓が無事に動いてさえいればいいと思っている。心臓にしか関心がない」と言っていました。病院に行くと、まるで「俺は心臓を動かすために生きている」ような気がしてくるのだそうです。
近・現代では、患者は壊れた機械であり、医者は治す機械と化したのです。