野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)三1

三 現代医療の常識は科学がつくっている

 二で述べてきたように、西洋医学は、もともと西洋のキリスト教神学を基盤とする伝統医学を否定する形で成立してきた過程があります。

 しかし、ガレノスが創始した解剖学を基礎とする西洋医学の伝統には、西洋の伝統的な身体観、生命観が受け継がれています。そして、宗教(キリスト教)の対抗勢力として発展してきたかのように見える近代科学にも、この西洋の伝統が受け継がれているのです。

 近代科学には文化的なバイアスは何もなく、近代科学を基礎とする西洋医学は世界共通の正統医学である、と理解している人も多いかと思います。また、近代はとっくに終わった、という人もいるかと思います。

 また、今のようなパンデミックが起きていると、ワクチン、治療薬でウイルスに勝つ、という発想に傾くものです。

 しかし2020年末、ドイツのメルケル首相は「私は啓蒙を信じている」という名演説を行いました。そしてジェンナー、パスツールロベルト・コッホという名を冠する研究所が、新型コロナウイルスの研究において中心的役割をはたしています。

 また、アジアより死亡率・重症化率ともに高いヨーロッパでは、ウイルスに対する徹底抗戦に入っており、日本とはレベルの違う戒厳令が敷かれています。良い悪いではなく、伝統というものが、危機的状況になるとはっきり出てくるのでしょう。

 こうした現代の状況を振り返りながら今回の内容を読んでいただきたいと思います。 

1 自然科学の見方「要素還元主義」― 部分の総和が全体である

 私がこの道に入った高度経済成長末期の1967年という時は、科学万能主義の風が強く吹き、西洋医学全盛の時代でした。

 国内では1964年、東京オリンピック(10月10日開催)があり、これに合わせ「新幹線」が開業(10月1日)しました。海外では1961年、ソビエトガガーリンによる初の「有人宇宙飛行」成功という、世界的に科学的発展が華やかなりし時代を迎えていました。

 この頃、師野口晴哉は講義で「ここ(整体協会)は気違い部落です」と、自ら語っていました。それは、野口整体の「病症を経過する」という思想が西洋医療のあり方と大きく異なっていたからです。

 これは、明治以来の「近代医学一元化」の影響と、敗戦後からの科学教(狂)とも言うべき時代において、「発熱が自然良能である」ことを、大多数の人々が理解するものではなかったからです。

 石川光男氏は、現代では常識となっている「病院での身体や病症の捉え方」について、「ここには科学の物の見方が反映している」と指摘し、次のように述べています(『ニューサイエンスの世界観』)。

 医学の「常識」

 私たちは、身体に異常を感ずると病院に行って検査をしてもらう。その結果、肝臓が弱っているとか、十二指腸に潰瘍があるというような診断を受けて薬をもらう。これは、私たちの身の回りでよくみかける光景で、大部分の人はこれをごく「あたり前」のことだと思っている。

 ところが良く考えてみると、この身近な光景の中に、科学を支えているいくつかの「常識」が顔を出している。

 第一に、私たちが身体に異常を感ずる場合、「身体」の中のどこかの「部分」が悪いにちがいないと考える。患者が医者に向かって、「どこが悪いのでしょうか」とたずねるのは、そのような思考習慣をよく表している。

 患者は、医者が悪い「部分」を見つけ出すことを期待し、医者もまたその期待に応えて、さまざまの検査方法を駆使して「悪い部分」を見つけ出してくれる。それによって患者は安心し、「悪い部分」を見つけ出してくれない医者に対しては不信感をもつ。

 このように、「病気」という一つの現象を身体の一部分の異常とみなす考え方は、今日の医学ではごく一般的な「常識」である。このような考え方は、一つの自然現象をいろいろな部分に分解し、それぞれの部分の特性を細かく調べることによって、自然現象を理解しようとする自然科学(註)の分析的な方法から生まれている。

 (註)自然科学

 科学的方法により一般的な法則を導き出すことで自然(宇宙から素粒子の世界まで)の成り立ちやあり方を理解し、説明・記述しようとする学問の総称。近代科学は、自然科学の他に人文科学と社会科学を含む。

  二 5で紹介したデカルトは、「心身二元論」と「機械論的世界観」により近代合理主義哲学を確立し、これが科学のものの見方の基盤となりました。

 科学では複雑なものを理解しようとする時、それを構成する要素(部品)に分解し、次に、その各々の部品を詳細に調べ(分析)、その結果を最後に統合し、そのものを理解する、という方法論(註)を用います(二 5で紹介したデカルトの「機械論」)。

 ここには「部分の総和が全体である」という考え方が前提されており、このような考え方を「要素還元主義」と言います。

 この考え方は古代ギリシアに始まり、近代においてデカルトの「機械論」となりました。この要素還元主義は、西洋医学においては、「つながり」を見えなくし生命をもの化して捉えること(機械論的生命観)になった要因です。この考え方は、本来の人間は「心と体は一つ」であることが分かり難くなる傾向をもたらしたのです。

 師野口晴哉は、西洋医学の解剖生理学に拠る見方について、

「分析と観察によつて肉体そのものの理解は出来るとしても、生きてゐる生命そのものは之によつて知悉し得ない(知りつくすことはできない)ものだ。知によつてのみゐては人間の外側だけは判つても本当の生命に触れることは出来ない。」

と述べています(『野口晴哉著作全集第二巻』)。

(註)科学的方法論 機械論的世界観(生命観)と要素還元主義

 分析(analysis(アナリシス))という言葉は、各々(ana)に分解する(lysis)という意味のギリシア語から来ている。複雑な事象であっても、細分化していけば理解しやすくなる。この手法により、近代の自然科学が大きく前進した。しかし、生物は複雑すぎて、この方法では限界がある。

古代ギリシアの哲学者・アリストテレスが遺した「全体とは、部分の総和以上の何かである」という言葉には、彼の生命観がよく表されている。