3 近代物理学の大原則となった「物心二元論」
石川氏は、科学の特徴は、物理学が自然科学の考え方の基礎になっているという点に由来しており、物理学の本質的な意味を知ることは、科学の本質を知ることにつながっていると指摘し、その出発点が「物心二元論(物と心の分離)」にあることを、次のように述べています(『ニューサイエンスの世界観』)。
物と心の分離
近代的な物理学の出発点は、自然現象と「心」を完全にきり離すことから始まったといってもよい。自然現象は、人間の意思や心の動きとかかかわりなく起こるものであり、自然現象自身の中にも、人間の心のようなはたらきがあるわけではない、というのが近代物理学の考え方である。
現代の人々にとってこれはごく「あたり前」のことのように思われるが、むかしの人々にとっては、決して「あたり前」のことではなかった。
たとえば、自由に落下する物体が下に行くほど速く進むことは、すでにギリシャ時代に知られていた。ところが、この現象をアリストテレスは、「帰心矢の如し」と説明した。自分の家に近づく人間が自然に足どりを速めるように、物体も自分の落ち着くべき地上に近づくと、はやく帰りたいという「心」で速く落下するというのである。
これは、「物」の現象の中に、人間のような「心」の原動力があるとみなす擬人主義的な考え方を示しているが、このような考え方は、当時の多くの人々にうけ入れられていた。
「物」の現象に、「心」を原因とするような内在的な力を認めないという考え方は、物理学を支える基本的な前提である。物理学は、本来無生物を扱う学問であるから、この前提は、無生物としての「物」に適用されていた。
しかし、生物も無生物と同じ原子によって構成されていることがわかったために、人間のような生物を扱うときにも「物」の現象から「心」が排除されることになった。
近代的な西洋医学が、病気を単なる「物」の現象として扱い、人間の「心」とは分離してとり扱う伝統をもっていることを考えれば、物理学と医学が同じ土台の上に立っていることがよく分かる。
…「物」の現象と「心」の現象とを切り離して考えることが近代科学の大きな前提となっている。
このように、西洋でも近代科学以前には、人間と自然の間には、「感覚と感情」による、心情的つながりの濃い自然観(擬人主義・物心一元論)が一般的でした。
しかし、自然を「もの」とし、一切の心情的つながりを「切断」する(物心二元論)ことで近代物理学は成立し、これが近代科学の礎となったのです。そして十九世紀には細菌学の発達により、西洋医学は自然科学として確立したのです。
(註)感覚と感情 デカルトは、本来、感覚・思考・感情のはたらきである意識から、「感覚と感情」を切り離した。つまり、一切の主観を排除したのが科学の客観主義である。
科学哲学者のライヘンバッハ(1891年生 ドイツ)が挙げている事例を紹介します(文中の太字部分は「物心一元論」)。
海辺の町では、日が昇って、しばらくすると、海のほうから風が吹いてくる。大昔の人々は、朝になって、海の神様が目を覚まし、活動を始めたから、海から風が吹いてくると信じた。
けれども、近代科学によれば、そうした神話は、笑い話である。日が昇って、太陽の熱で陸地が暖められたために、その上の空気が膨張して希薄になったので、そこに、海の冷たい重い空気が、流れ込んできただけなのである。これが、近代科学の現象の説明方式に他ならない。つまり、太陽の熱による陸地の温度の上昇が、海から風が吹いてくることの原因なのである。
近代科学の根本的な性格は、物事の「原因と結果」の仕組み、つまりその因果法則を、物質現象として明らかにしようとするものです。