蒼龍の生まれた日
はじめまして
私は、近藤佐和子と申します。2018年に師が亡くなり、2018年12月、道場のあった熱海から神奈川県相模原市(小田急相模原)に越し、指導者の道を歩んでいます。
三年ほど前、わが師金井蒼天(省蒼)先生が省蒼改め蒼天という名前にする時のことでした。
当時、蒼天という名前の他にもいくつか名前を考えておられ、その中に「蒼龍」がありました。
私は蒼龍というのがいたく気に入り、「蒼龍がいい」と言っていたのですが、結局、蒼天とすることになりました。それで私がぶつぶつ言っていると、先生に「お前が蒼龍にしやー!(名古屋弁)」と言われ、じゃあ、いつか蒼龍という名前を使おう・・・と思ったのですが、すっかり忘れてしまっていました。
しかし、2018年5月16日、金井先生は71歳でこの世を去りました。それは先生が整体指導の道を歩み始めて51年という年でした(熱海に来たのは1972年でそれ以前は名古屋で指導をしていた)。
先生が亡くなった次の日、朝起きた時に突然「蒼龍」という名前が思い出され、これを屋号に使おう!と思いました。(「蒼龍」はちょっと男っぽいので、屋号にした)。
金井先生が野口晴哉先生から頂いた書に「魚化龍(ぎょかりゅう)」と「潜龍出池(せんりゅうしゅっち)」というのがあります。金井先生は野口先生にお会いした最後の時、「君は君のをやればいいんだよ」と言われたそうですが、龍は先生が野口先生から与えられた「個性化の過程(註)」の象徴だったようです。
(註)「魚化龍」は素質を開花させ、魚が龍となること。「潜龍出池」は池に潜み時を待っていた龍が世に出ること。ユングは、個人の裡に可能性として無意識に含まれていたもの(種子)が、次第に姿を現していく心の発達過程を「個性化の過程」と言う。金井先生は野口整体の全生思想(全力を発揮する生き方)と通じる哲学として捉えていた。
「蒼」と「龍」を頂くというのは、自分でも「大きく出たな」と思うのですが、腹を括ってやってしまうことにしました。
1973年生まれの私は野口先生にお会いしたことはありません。月刊全生や著書を通じて、また金井先生から聞く野口先生のお話というものはありますが、私の核となっている「整体」は金井先生から学んだもので、それは「野口整体金井流」というべきものです。
7、8年前、古い月刊全生で、野口先生は操法(整体指導)で一番大切なことは「心の中に灯をつけるということなのです。そうすると、体が力を発揮する。」と述べている記事を読んだことがありました。そしてその中で「心に灯をつけるには、相手の心を知らなくてはならない。しかし心を知ろうとすると相手は蓋をしてしまう。・・・そこで、嘘をつかないのは何かというと、体なのです。・・・体の変化を観る方が本当なのです。・・・無意識の動作に関心を持ったという一番初めは、人間の本当の心を知りたかったからなのです。私は心の本当の状態を知りたいのです。」と、人間の心を観るべく体を観察して来た次第について述べていました。
私はこの時の記事に心を打たれ、金井先生に先生の整体指導と通じると思う、とお話したことがあります。その時、先生は笑って「そうか。それを忘れるなよ」と言いました。
この意味で、私の心に灯をつけたのは、金井先生です。あの時、一番伝えたかったのはこのことだったのに、私は恥ずかしくてそう言えませんでした。今でもこの時のことを思うと、泣きたい気持ちになります。
そして今、私は、野口先生亡き後、組織から離れ整体指導者の道を歩んできた先生が啓いた「野口整体金井流」を受け継ぎ、一人でも多くの人に伝えたい、それを自分がどこまでできるのか挑戦してみたいと思っています。
そういう思いを込めて、「蒼龍」という屋号を頂くことにしたのです。
私は少しでも、先生の仕事と考えたことを知っていただきたいと思い、このブログを書くことにしました。整体に関心のある方も、初めて知る方にも読んで頂きたいと思っています。どうかよろしくお願いいたします。