瞑想法と心理療法―野口整体とユング心理学 はじめに①
瞑想法と心理療法
今回から、金井蒼天先生三部作の二作目、『瞑想法と心理療法 野口整体とユング心理学』を最初から始めます。
この本の表紙に載せるタイトルとサブタイトルは、
「科学の知・禅の智」シリーズ2『瞑想法と心理療法 野口整体とユング心理学』臨床心理による整体指導(気・潜在意識・体癖を観る心理療法)
― 無心となって調う― 整体になる ― ことで生命の「合目的性」を発揮する』
という長いものでしたが、それは先生の思い入れの大きさでもありました。
私はこの内容が、最も今日的で重要なものだと考えています。
巻頭には『「気」の身心一元論』にも収録されている「潜在意識は体にある!」という文章ですが、ブログでは、はじめに から始めようと思います。
月の明るさで無意識に光を当てる
私が整体指導者として認められたのは、師野口晴哉が亡くなられる前年の一九七五年十月でした。京都祇園近くの禅院・建仁寺(註)で毎年秋に行なわれていた、整体指導法高等講習会における段位認定試験で、四段位を授与されてのことです。
これ以前は整体協会の整体技術者(三段位まで)、この後は整体指導者という立場でした(師の没後は、しばらくして協会を離れた)。
この整体協会の徽章(きしょう)についてお話したいと思います。これは「闇夜に月」というものです。
私がこの道に入って(1967年)そんなに経っていない頃のことですが…。確か聞いた話の記憶では、整体協会設立当時(1956(昭和31)年)、師野口晴哉に、弟子の柳田利昭先生が「月ではなく太陽がいいのでは…」と進言されたそうです。これに対し、師は「いや、月なのだ!」と言われたということです。
こんな話を聞いた私は、「人間の心・無意識」に対して、夜の月のように「心の闇」を照らすものとしての協会の立場、を徽章に込められたのだと思いました。
そして、月とは師そのものだとも…。
「人間の心」は、確かに昼間の太陽が大地を照らすように見えるものではなく、「夜の道も、月が出ていれば歩いて行くことができる」、それは、夜の海を照らす灯台ほどの明るさでなくともよい、のかもと、当時想ったことを思い出します。
(註)臨済宗建仁寺派大本山 1202年、日本臨済宗の開祖・栄西により、鎌倉幕府二代将軍・源頼家の援助を得て、京都における臨済宗の拠点として建立された。日本最初の禅道場は、1195年、栄西により博多に建立された聖福寺。