野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

思想を通じて身につける活元運動ー禅文化としての野口整体Ⅰ 1

 思想を通じて身につける活元運動

 現在、気・自然健康保持会HPには、2015年5月13日に朝日カルチャーで行われた講座の教材を補足した「禅文化としての野口整体Ⅰ補修講義」(補修講義は熱海道場で行われた)、「禅文化としての野口整体Ⅱ」という二つの教材(PDF)がアップされており、自由にダウンロードすることができます。

 この二つの教材は、活元運動を実践していくための講座の教材です。

 現在、金井先生の『「気」の身心一元論』は入手困難であるため、今後はこの二つのPDF教材を基に、お話していきたいと思います。

  今日は、「禅文化としての野口整体Ⅰ」 11ページからです。

 ここでは、月刊全生掲載の野口晴哉先生の文章「本来の体育」が取り上げられています。

 野口先生はこの中で、今まで活元運動の普及に専心してきたが、これからは理念を理解して活元運動を行うようにしていくべきだと述べています。

 野口先生が「理念」と言っているのは「整体とは何か」という思想のことで、この「思想がある」という点が野口整体ならではと言って良い所なのです。

 金井先生は「哲学的思考がなされたことを意味し、野口整体は近代化(西洋化)されたものだということ」と解説しています。そして思想について註を付け、「生き方、社会的行動などに一貫して流れている、基本的な物の見方、考え方」としています。そこには整体は治療ではなく、生き方なのだという意味が込められているのです。

 現在は「体」というものが「もの」として捉えられ、自分とは関係ない理由で具合が悪くなる、と考える科学の時代ですから、整体も「体の問題」という範囲でのみ受け取られる傾向があります。

 ですから、思想を理解しなければ、その人の「心」に整体が入っていかないのです。病院での治療と同様に、具合の悪い時にお世話になるものという、自分の生活、生き方とはつながらないままになるでしょう。

 まして自分の健康は自分で保つために行なう活元運動が、病気が治るとか、不思議さや神秘さに惹かれてやっているのであったら、本来の意図とは違う方向に向いてしまいます。

 整体という理解の下に行うから「活元運動」なのであって、変性意識状態の下で身体運動を誘発するという意味であれば、世界中に類似のものがあります(このことについては後に詳述)。

 そこで金井先生も、

今講座は科学を相対化(註)し、活元運動の思想を通じて、自分が持っている力(無意識に具わる能力)の自覚を教える、「禅文化としての野口整体」を理解することが目的です。 

と謳っているのです。

 整体は体でやるものだ、頭でやるものではないというのも本当です。しかし、その体とはどういうものか、どの範囲、どの水準で言っているのか、ということを弁えずに、私たちが整体を理解することは難しくなっているのも本当だと思います。 

 今回は少しですが、こんな風に進めていきます。

 金井先生の文章を一人でも多くの方に読んで頂きたいので、ぜひPDFをダウンロードして下さい。また、質問等ありましたら、コメントをお願いします。私の力の及ぶ限り、お答えしていきたいと思います。