野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

終章 瞑想法(東洋)と心理療法(西洋) ―「生命の原理」を理解し、無意識の世界を啓く 一1

 今回から、中巻『ユング心理学野口整体 心理療法と瞑想法』の終章に入ります。

 今回の内容は、金井先生の遺稿である上・中・下巻のうち、上巻の主題についてで、終章全体を通して、上巻とのつながりが深い内容となっています。

 一 科学を相対化し「禅文化としての野口整体」を思想的に理解する

 『野口整体と科学 活元運動』から本書へ

  上巻(『野口整体と科学 活元運動』)では、私が行ない考えてきた野口整体の世界を、石川光男、湯浅泰雄両氏、そして鈴木大拙氏の思想(第一部第一章~四章・巻末記事)を通じて著すことができました。

 幕末・明治以来、日本人は西洋文明・近代科学の影響を大きく受けてきました。幕末前までの日本文明はどのようであったかというと、古来よりの神道と、中国・朝鮮からの影響による、儒・仏・道教を基盤とする東洋宗教文化というものでした。

 江戸時代、幕末前まで250年の間、長崎・出島を窓口として、わずかに西洋文明の影響を受けていたものの、幕末からの西洋文明の影響はすこぶるものがありました。

 こういう中でも、伝統的な東洋宗教文化はそれなりに保たれてきたのですが、敗戦(1945年)後は、著しくこれを喪失しました。

 戦後民主主義下の教育は、敗戦後の日本社会を工業化するため、科学至上主義教育となり、さらに東洋宗教文化が結晶した「道」を喪失しました(道は日本人の生きる規範であった)。

 ゆえに現代の日本人は、近代科学的な価値観に強く支配されているのですが、このことは意識(自覚)されておらず、東洋宗教文化が何を教えていたのか知らない人が大多数となっています。

 かつて、日本社会の秩序を成り立たせていたのは、徳(仁・義・礼・智・信の五徳)による王道を説く儒教(古代中国の孔子の教え)でした。しかし今日、若者の多くは行儀・礼儀作法を身につけておらず「敬語」も使えません。これが戦後教育の実態です。

 このような時代、東洋宗教を基盤とする「修養法・瞑想法としての野口整体」を理解し体得する上で、東西の文明・文化の背景を改めて知らしめることが肝要である、と考えるようになりました(瞑想法については第七章・終章で詳述)。

 そこで、私は「近代科学と東洋宗教」を主題として掲げ、近代科学とはどのようなものであり、東洋宗教とは何であったのか、の考究 ―― 戦前生まれの五氏「井深大・湯浅泰雄・石川光男・河合隼雄立川昭二」を中心とし、さらに鈴木大拙氏等の思想を学び、考察すること ―― を通じて、野口整体を伝えることとしました。

 そして、西洋医療のあり方に疑問を感じ(近代科学的社会の問題点を漠と感じたまま)、これに代わるものとして野口整体を求めている人は、東洋宗教を基盤とする野口整体の基本的な物の見方、考え方(思想)を理解することが第一であると考えたのです。