野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

体癖と運動習性―体癖論Ⅱ 4

体癖と運動習性

(金井)

 ある体癖は、ある傾向の感受性が余分にはたらくというものであり、体の体癖状況を観て、その人の持っている体の感じ方を知ることができるのです。

 同じ体癖を有する人は共通した姿勢を取る傾向があり、その体型も類似しています(例・前後型五種体癖の人の姿勢は前屈で、体型は上体が逆三角形)。感受性は体に根ざすものであり、体癖的運動習性と心の運動習性、この二つはひとつのものなのです。

 体癖で体の感受性を分けますと、上下型は首から上の筋肉の力が抜け難く、前後型は胸部の筋肉の力が抜け難いのです。左右型は鳩尾に力が入りやすく、開閉型は下腹から足にかけて力が入りやすいのです。捻れ型は腰が捻れるとすぐに行動してしまい、考えが後になるという面があります。

 人間はその体癖運動による心の運動習性を持つ(「どこに力が入るか」が感受性を作っている)もので、上下型は大脳的(言語的・思考的)に感受し、左右型は感情的に感受します。前後型は意志的に、捻れ型は防禦的に、開閉型は種族保存的に感受する傾向を持っています。

 その為、上下型は毀誉褒貶が気になり、名分で動き、左右型が情緒で動き、好き嫌いが利害の得失より優先するのです。前後型は利害得失によって動き、攻撃に巧みであり、捻れは勝ち負けを問題にし、それによって行動し、開閉型は大勢の為に生きようとします。

 師野口晴哉は1964年9月の体癖修正法講座で、左右型の「好き嫌い」、捻れ型の「勝ち負け」、上下型の「毀誉褒貶」について、次のように述べています(『月刊全生』)。

前後型について 一

 前回話した左右型というのは感情の抑制が効かない。人に褒められようと貶されようと好きなものは好きになれる。損しようと得しようと好きな方に赴くというように、感情が非常に強いのです。その時にお話した趙州という坊さんなどは、百歳を越してから、「至道不難、唯嫌揀擇(註)だ」と言ったのです。そう言うのだから自分が好き嫌いに悩まされたに相違無い。

 そのように左右型は百歳を越しても好き嫌いで悩まされるくらいに感情が旺盛で、利害得失も毀誉褒貶も問題にしない。捻れる人だったら「勝負を度外視する」とか、「人生勝負さえ争わなければ平らだ」とか言う。

 あるいは上下型の人なら「人に褒められようとしなければ、毀誉褒貶にとらわれないことが平らに生きていく道だ」とそう言うかもしれない。

 だから百歳を越して、「好き嫌いしないことが平らに生きる道だ」とそう言うくらいですから、趙州はいかにもその感情が激しい。だから利を説こうと害を説こうと、面目を説こうと、そんなことは問題にならない。 

 (註)しどうぶなん、ゆいけんけんじゃく 至道(悟り)を開くのは難しくない。ただ、好き嫌いを嫌う。