野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体 活元運動 第一章 整体となって裡にある生命の力を喚び起す 一 野口整体が提唱する「活元運動」とは1

 今日から第一章に入ります。テーマはいよいよ「活元運動とは」です。私はこの文章を先生と作っていたころが思い出されました。もうずいぶん前のことのようですが、内容は古く感じません。活元運動に対し、また新しい気持ちにさせられるように思いました。こうやって、何度も初心に帰ることが活元運動を続けていく上で大切なことなのだと思います。それでは内容に入ります。

 一 野口整体が提唱する「活元運動」とは

1 自分の裡にある生命の力を訓練する

 私たちの体は、夏の暑い日、汗をかいて体温を下げようとし、冬の寒い日には、身震いをして体温を上げようともします。このように体には、外部の環境変化に対し、体の内部状態を一定に保っていこうとする調節の仕組みがあります。

 また、異物を出すため思わずくしゃみをしたり、ごみが入らないよう目を閉じたりします(反射作用)。そして頭が疲れると、脳の酸素不足を補うため、無意識の深呼吸である欠伸をしたりします(体の平衡を保つはたらき)。

 先の、外界(外部の環境)変化に対して、内界(生体)を安定した状態に保とうとする仕組みを、恒常性維持機能・ホメオスタシスと言います。この、生体の本質的なシステムとも言えるホメオスタシスは、自律神経系・免疫系・内分泌系が一体となり担っています。

 また、一度この恒常性が破綻し、病気になった場合であっても、同様な仕組みによって修復されます。それは病気を、自分自身で治癒する力を人間は持っているからです。

人間の体は不思議に出来ていて、元来、身体の不調や病気は、自分自身の体がその修正、修復法を知っているのです。

 これが「自然治癒力」です。

 体は、これらの無意識(生命)のはたらきに支えられ、常に内界を一定に保つため、変化と安定の間をゆらいでおり、ゆらぎの中で私たちの健康は保たれています(「動的平衡」二 3で詳述)。

 この生きている体に元々具わっている、無意識のはたらきを積極的に訓練(活性化)しようというのが、野口整体が提唱する「活元運動」です。それで、「活」と「元」という文字が当てられています(活元とは、元を活かす)。

 活元運動の起源は、師野口晴哉古神道に伝わる「霊動法」を体験したことにあります(終章二 2で詳述)。

 師は自らの実践を通じてその本質を見抜き、西洋医学の生理学的な解釈を付与しました。

 霊動法の動きとは、近代医学の生理学に拠る理解では「錐体外路系運動」であり、これを訓練することで、積極的に健康保持に役立てることができる、というものです。

 これは、師自らの実践による確信(こうして体は治るようにできている=人に具わる自然治癒力を体認する)でした。

 そして師は、この法に対し改めて活元運動と命名し、その普及に尽力されたのです。これは、霊動法が近代化 ― 近代医学の知によって理論的に裏付け ― されたことを意味します(活元運動は確かな指導者の下、野口整体の思想理解を通じ行うことが肝要。二で詳述)。

 さらに、「整体」に深層心理学を取り入れた師は、活元運動を、無意識を啓く「身体の開墾」のための行として位置づけたのです(東洋宗教の修行法(身体行)における意識状態の変容について、西洋の深層心理学が解明した(註))。

 本書では、野口整体が目的とする「自分の健康は自分で保つ」を可能にするため、「自然治癒力が発動する」身体となることを修養する、それは、活元運動を通じて瞑想的な意識を養うことを主題としています。

(註)心理療法家のC・G・ユングは、1929年、禅の影響を受けた道教の瞑想の書『太乙(たいいつ)金華宗旨』のドイツ語訳に注解を書き、1939年、鈴木大拙の『禅仏教入門』に序文を書いた。また精神分析家のエーリッヒ・フロムは1957年、鈴木大拙とともに「禅仏教と精神分析学の研究会議」という画期的なシンポジウムを開くなど、西洋の深層心理学者が東洋宗教に強く関心を持つようになった。