野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口晴哉生誕百年―臨床心理による整体指導 序章 二1

整体指導者・金井蒼天と医師・上村浩司の対話  2006年10月18日収録

  今回から、対話篇に入ります。

 収録の時、私も先生の隣で話を聞いていたのですが、二人の対話はスリリングな位に面白くて、本当に「エッジ」にいる、という感じがしていました。整体の観ているものがはっきりととらえられるようになった、非常に思い出深い内容です。実際にはもっと長いのですが、本の原稿にする為、ダイジェストにしました。

 それでは始めます。

  

「理学所見」を行わず「触覚」を診療に使わなくなった西洋医学

医療が科学的に発達するとは

金井 私が子どもの頃はね、「お腹が痛い」というのを、お医者さんが「お腹を手で触れて診る」とか、そして聴診器を当てるとか、それに、背中ですか「打診」でしたね。つまり、「五感」という「視・聴・嗅・味・触」、この中の「視・聴・触」覚を西洋医学のお医者さんも、大いに使っておられたわけですよね。

 ところが現在、どのように「視・聴・触」覚というものが「診察」の手段として使われているのかどうか?そこらへんを伺いたいのです。

上村 今朝ほど個人指導の時に、金井先生と「触診」の話をしていたんですよね。小さい頃にお腹が痛くて病院へ行った時とか、触診してもらっているとそれだけでお腹が楽になりました。

医師にお腹を触ってもらっている間は痛みが治まる、というような感覚があったんですけど、「不思議だなあ」と、あの頃、思っていたんです。東洋医学的には、「触診(しょくしん)即(そく)治療(ちりょう)」、というような話を先生がされていたんですよね。

金井 そうですね。「触れる」という行為は、洋の東西を問わず「診断と治療」が一つなんです。

上村 患者さんに直接「触れる」ということが、ものすごく少なくなっているんだろうと思います。僕なんかも、完全に現代的な医学の中で育っているので、それ以前の話というのは、先輩の話とかから想像するしかないんですが…。

 医学部時代のことを思い出しても、例えば検査データの読み方、「画像診断(註)」と言うのですけど、レントゲン、超音波(エコー)、CT、MRI。中で起こっていることを画像として取り出して、それを診る見方は、すごく何度も教わります。実際、国家試験の中でもそういった問題が多いのです。

金井「画像診断」が主流なのですね。

(註)画像診断の機械

エコー 超音波を対象物に当ててその反響を映像化することで、対象物の内部の状態を非破壊的に調査することのできる画像検査法の一種である。

CT 検査機を身体の周りを一周させて、X線をいろんな方向から照射し、その結果をコンピュータで処理して、立体的な映像を再構成する。得意な部位は脳・肺・腹部・骨。レントゲンの発展型。

MRI 磁場と電波を用いて体内などの画像を撮影する装置。または、それを用いる検査をさす。被曝の心配がなく、また、骨は写らず、CTが苦手とする部分の断面画像を撮影することができる。得意な部位は脳・脊髄・関節・骨盤腔内臓器。

 上村 患者さんに「どう触れて、何を感じて、どう判断するのか」という部分は、教科書の中の数ページにちょっと書いてあるだけです。実際それをしっかり教わったという記憶はほとんどないですね。多分、中にはそういうことをしっかりやっているお医者さんもいらっしゃるとは思いますけど。自分の経験の中では、それはほとんど無かったですね。

今思い返しても、そういうことって、「そばで手取り足取り」して、誰かが感覚を伝えていかないとなかなか伝わりにくい部分だったんだろうと思うんです。

金井 感覚が伝わっていくには、伝えられる側に「感じる力」が育っていく必要がありますが、野口整体では感覚をもっとも大切にしています

上村 医学の教育の中では、感覚を使った「感じ取る」といった部分が、すごく削られて無くなってしまっています。

「視診」で皮膚の色を診たり、顔の表情を診たり、目の、結膜の色で貧血の度合いを診たり、白い部分の色で黄疸の具合を診たり、というものです。

五感を使って、最低限の道具で患者さんの状態を把握する、そこから得られたものを医学では「理学所見」というのです。

金井 「理学所見」では、感覚を伝えるために「手取り足取り」というふうに昔はやっていたんですか?

上村 おそらくそうだと思います。こういった画像診断の機械が出てきた頃、僕らが習い始めた頃(一九八〇年代後半)は、わりと年配の先生たちはその画像診断が読めない、というような話はよく聞いていましたし、放射線科の教授とかも、レントゲンは読めるんだけど、CTやMRIは見てもわからない、というような…。

 その代わり、レントゲン一枚を読ませると、そこからすごくいろんな事を把握するという。

金井 あれも観える人が見ると、僅かな陰影で、実体を読み取っちゃうんですか?

上村 そうです。

金井 観える人はね。それはやっぱり、読んでは患者にじかに当たる、という経験がたくさんにあって、という…。

 だから普通に見えている陰影だけでないものが観える。

一般的な目でない「眼」になっていく、ということなんでしょうね。

上村 そうだと思います。その症状とか、他に出てきているものから総合して、ということだと思います。ですが、今はそういった苦労をして細かい情報を集めて、見えないところを自分の頭の中で構築していくような作業をすっ飛ばして、「もう、画像で中が見えるからいいでしょ」という感じですね。

金井 それでは「勘」は発達しませんね。