野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口晴哉生誕百年―臨床心理による整体指導 序章 二8

「気の動き」と自分らしさ― 近代科学にはない「気」 

金井「気で観る」、「気で気を観る」、と言うんですね。

本当に「気」が亢まった時は、触れなくても観えるんです。

指導時に「これで、うつ伏せになってごらん」と言うと、フッと眠くなるという場合があります。

「眠くなったね」と言うと、勘の良くない人が、「ど〜して、わかるんですかあ〜!」と言うんです。「いいよ、君は寝てればいいから」って(笑)。

「ど〜して、わかるんですかあ〜」というのは、私からすると不思議なんですけど、「フッと眠くなったな」とか、あるいは「こういうふうに硬張っているな」とか、もしくは、今日のあなたの終わりみたいに、「あっ、動きが出た」というように、これら全て、気の状態を観ているのです。

 大事なのは、「動きが出た」という状態ですね。これで安心っていう「感覚」です。

「動き」がないと、「これはどういうわけなのだろう」と、推理するのです。

 それで、「動きが出れば良い」と言って良いと思います。「気の動き」と呼んでますけど。

どうでしょうか、上村さんの感覚として、「気の動きが出た」というような言葉は?

上村 もちろん近代医学の中にはないですが、わかります。

金井 こういう言葉が、あなたが感じた感覚というものと符合しますか?

上村 はい。多分、いろんな言い方ができると思うんですけど、「気が通る」とか、「意識が通る」、「感覚が通る」。これは、「動きが出る」「弾力が出る」、同じような感覚なんだと思います。

金井 何らかで、その「動き」が抑えられる。どころか、体が固まる。それは外側から来る場合も、自分が作っている場合もありますね。外側から来た場合でも、自分がそのように受け止めたから、そうなる(固まる)んですね。自分の「感受性」というものが作用しているものです。

上村 いずれにしても、自分でやっている、と。

金井 最初の原因は外にあっても、そうですね。

野口先生の「感受性を高度ならしむる」という言葉があります。その「感受性」というものが、幼い時や若い時に「作られていった」ということですね。それによって物事を受け取っているし、「自分」というものも、こうだと「思い込んで」いるものです。

そういう意味で、「自分らしさを取り戻す」、「自分の自然を保持して生きて行く」、さらに「全力発揮」をして行くというのが「整体生活」です。

そして、「自分らしさ」という意味が軽い意味もあるし、深い意味もあります。先ほどの「動きがある」という状態は、これ程深くない意味です。「全力発揮」と言った時には、「全生」という言葉につながっていきますから深い。自分の可能性の全てということですから、これは深いですね。