画像診断が主流となっている現代医療
―「視覚の特化」による医学の科学的発展は触診をしなくなった
上村 本当に敏感な人が患者を診ると、検査値にちょっとしか異常が出てないものでも、実はすごくよくわかる、というのが最近わかりました。教科書的には、「ごく数値が上がらないとその部分には見える形で出てこない」と書いてあるんですけど、敏感な眼で診れば、ごく僅かな数値の変化でも実際には捉えられる。
例えば、脈なんかにしてもそうなんですけど、実際には脈に触れるだけで、だいたいの血圧ってわかるんです。それでも、ほとんどの場合は血圧計にポンとつないじゃって測ることが今は多い。それの延長線上に、症状を聞いたらすぐに画像診断の機械に通しちゃう、という発想になっていくんです。いろいろ細かいことやらなくても、CT撮れば全部見えるし解るじゃないかと。
金井 昔の理学所見はいつ頃まで、どんな形で、継承されていたんでしょう?
上村 おそらくレントゲン以外の画像診断が出てくる前までだと思います。医学部の頃の整形外科の教授がMRIの画像を見て、「このままでは医者がどんどん馬鹿になる」と、嘆いていたのを思い出します。
医者が理学所見を取らなくなることを嘆いたんだと思います。患者に触れなくとも、つまり、患者の内部で起こっていることを感じ取ろうとしなくても、機械に通すだけで見えてしまう。
そうなると、「五感」を使って中のものを想像していたという医者の仕事が…。
金井 推理力ですね。
上村 そうです。全く、小学生でも見て分かるものになってしまった。
金井 ここでも科学的特性である「視覚の特化」(註)ですね。
こう思います。私の場合、臨床心理として、「この人がなぜこのようになっているのか、それはどう生きてきたからなのか」を考えて行くことに意味があると思うんです。このような私の眼を通じて、本人の中にも徐々にそういった自身の観方が育ってくるのです。こういったことを継続すると、誰にも「勘」は育ってくるものです。
(註)科学では、意識の働き(感覚・思考・感情)の内、使われているのは理性的思考だが、唯一使われている感覚が視覚。
上村 それこそ医者をプロとして、素人の患者さんが、「どうしてそんな事が分かるんですか!」というような先生達がいっぱいいたと思うのですけど、今は画像が出れば、患者が「先生、ここに何か映っている」。
金井 先生が「どれどれ」と。
上村 素人と玄人の差が無い感じです。
それまでは、苦労して理学所見を取って診断して、手術で中を見て、初めて現実が解る、という環境だったと思います。
MRI導入は、僕らが医師になる頃(八十年代後半)で、当時は、初めて「新しい機械が大学に来たよ」というような時代でした。それ以前は、本当にレントゲン一枚でいろいろ読んだり、それ以外は、やっぱり「理学所見」をいかに取って情報を集めるか、というのがドクターの仕事のかなりの部分を占めていたんだろうと思います。
今は診断に関しても、人間の「感覚」を使うというよりは、便利な機械を先に使って、そこから診断をしようというやり方になっていますね。
金井 ある老医師(昭和6年生まれ)が、「患者が『ここが痛い』と訴えているのに、そこに手を触れることもなく、画像や検査結果だけを見ているというのはおかしい」と言っていました。しかし、今や触診というものを教えることが出来る医師も少ないし、今、現役の医師(おそらく四十代以下の人)たちは教わっていない。
現代では画像や検査データを一生懸命見ることが医師としての仕事をしている、ということになっているのですね。