野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

巻頭 潜在意識は体にある!― 自分のことから始まった野口整体の道 9

 第一章の途中ですが、巻頭「潜在意識は体にある!」の中から、潜在意識についての内容を差し込みます。

野口晴哉は「気」の達人― 潜在意識を対象とする師の心理療法

  それで、翌年春の一九六七(昭和四十二)年四月二日、師野口晴哉に入門したのです。それは束脩金(註)を納め、整体指導法初等講座を受講することでした。

  この時、整体協会の三階で、受講する数十人が待っている会場に師が入って来られ、初めてお顔を見たのですが、「ちっこい人だなあっ」と思いました。

 講義の第一声は「背骨は人間の歴史である」でした。

 講義の中での一番印象的な思い出は、この初等講座のグループが決められている中で、内弟子のN君という人と組んで「脚の操法」の練習をしていた時のことです。私が仰向けの状態で脚を刺激されたのですが、それが非常に痛くて頭の上に逃げたのです。そうしたら黒板のステンレスの脚に頭をぶつけて、「カーン」と速度のある音がしました。

 N君が「悪いことしたなあ」と思って、頭に愉気(手当て)しようとしているところに師が来られ、さっと彼をのけて、私の首を(右左に)ボキッ、ボキッと廻すのです。それがあっという間でした。

 私が「カーン」と言葉にならない衝撃を受けている、N君は心配そうに手を当てている、そこに師が来、ボキッ、ボキッとやって、さっといなくなりました。

 私が起き上がって正坐でお辞儀をすると、師はもうだいぶ遠くに行っているのです。…でも、背中で後ろに気を配って、私の状態を観て下さっているのが分かりました(潜在意識の感応)。

 師は、さっさっと心理的な処置(ボキッ、ボキッと廻すこと)をされたわけです(この時のすばやい速度と気合に「心の転換」の技術がある)。それによってやっぱり駄目だというと起き上がってスッと動作できないわけです。そこを見届けておられたというのが解りました。師の気配で…。

 場の雰囲気が、「えらいこと(名古屋弁で大変なこと)したぞー」と思い、やっちゃったN君も周りの人も、みんな凍りついている。ところが、師の無言の素早い動きで周りの雰囲気がいっぺんに氷解するのです。凄さです。「気魄(きはく)」です。

 これがカリスマだ!と。

 これは、ずっと後になり、考えてこういう言葉になったのですが、その時は「キョトーン」とした感じだけでした。頭をぶつけたショックがどこにも残っていなくて、まるで何もなかったかの如くでした。

 こういうことが、師の「心理療法」の真骨頂です。野口整体心理療法の対象は「潜在意識」なのです。

(註)束脩金(そくしゅうきん) 入門の際に弟子が師匠に対して納める謝礼。「脩」とは、元は干し肉の束十組のことを指し、古代中国において入門時に師匠に謝礼として納めた風習があった。日本でもこれが取り入れられ、江戸時代やそれ以後においても、子供の寺子屋や本格的な学問や芸能などを習う際には、入学時に金品や飲食物などを納める風習が長く続いた。