野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)四5
5 盲目的西洋文明追随から脱却し野口整体の方向性を理解する― 本能に発する療術行為「野口法」
私が初めて、師野口晴哉にお会いしたのは1967年4月2日の整体指導法初等講習会でした。講義の始まりに板書をされたのは「背骨は人間の歴史である」という言葉でした。
これは「人がいかに生きてきたか」が、体に、それは中枢である背骨に刻まれていることを意味します(指導を行う上で、その人の歴史を踏まえることが肝要)。
「潜在意識となっている心が背骨なのだ」と、それこそ私の「潜在意識」に刻まれたのです。背骨は心なのです。
師は、「続療病談義 道は通じて一たり」(『野口晴哉著作全集第二巻』)の中で、西洋医学について次のように述べています。これは、1942年当時、弱冠三十歳の師が、療術家に向けて書いたものです(『治療界』1942年1月30日発行)。
(ブログ用改行あり・現代仮名遣いに変換 近藤)
召使い療法になるなということ
…西洋医学を召使いにするつもりなら、生理解剖を学んでも病理を習つても一向に差支えはない。だがその整然たる形式に眩惑されて、吾ら自らのものを失ってしまってはいけない。
…西洋医学は科学的であろうが、その医術は生きたものを生きたものとして見ない。云いかえれば科学する心が充分でない。科学的な機械や理屈や薬物を使うことが、医術が科学的である理由にはならない。
解剖的知識の機械学的類推から人間の生きていることを眺めて、そこからその治療を出発させるから、組織に異常があれば、その異常組織を切って取去ることが、根本的療法の如く思い込んで、生きた人間を生きてゐるものとして、全体的統一的に扱はないのは、西洋医学の為にもそれを受ける人間の為にもまことに惜しいことだ。
その見方が東洋的に又日本的に、生きている人間の全体を全体とし、生きているものとしてその生命を直観し、その直感したことを尊重して治療を行う基礎とするようになれば、吾々も彼を現代医学と呼んで西洋医学と呼ばないつもりだ。
西洋医学を修めた人々のうちにも、このことに気づいている先覚者も多いことだろう。そして西洋式医術は、病人が痛いと云えば先ずその痛みを止めようとし、熱があって苦しいと云えば無理をしてでも熱を下げようと努め、いつも病人の召使い的立場にあって、護り補うことをのみ為して、却つて体自身の自然的な力の発揚を妨げ、頼らして依らしめるあまり、病人の心を弱くし、無気力にし、その上、形に於ては医術の力を強調して、人間本来の力を軽視することを教えるから、その病人はいよいよ臆病になるばかりだ。
野口整体では、病症そのものを対象とせず、身体が整うことを第一とします。「整体である」とは、病症がある場合、病症経過を理解することです(本章一 1参照)。病症理解には、指導者による潜在意識の観察が鍵となります。
それは、4で紹介したホリスティック医学の理念⑤の「病の深い意味」を捉える上で、指導者の関与は必要なものだからです。
整体指導(個人指導・活元指導)は「体自身の自然的な力の発揚」を応援するもので、野口整体は「病症を自然経過する」ことで、「生命への信頼」を培う道なのです。
このため、「生きているとは」という生命哲学・生命観を養う全生思想(野口晴哉著『治療の書』『風声明語』『偶感集』『大弦小弦』、野口昭子著『回想の野口晴哉』など生命観に関する書)に学ぶことが肝要です。
また、師は「続療病談義 道は通じて一たり」で、次のように述べています。
解剖生理の学を修むるに一生懸命になることは大いによい。しかし解剖生理の学を知らないで治療を為すことは出鱈目だというような考えは本当ではない。
人間の本能的行為である療術行為は、必ずしも解剖生理の学に準拠するものとは限らないし、解剖生理の学から出発しているものでもない。
犬や猫が自己治療するに解剖生理や薬物学を知って、舌で傷口をなめ草を嚙じるのかと問うこともあるまい。乳児が母親の乳房を吸うは果して知識の故か。
療術行為の出発点は知識でなくて本能である。
私は本能的能力と、東洋宗教を思想基盤として生じた野口整体を社会的に位置づける、そしてより意識の高い人々に伝わるため、「近代科学を相対化(一つの見方が唯一絶対ではないと)して理解する」という石川氏の手法を取り入れました。
東洋宗教を全くというほどに伝えられていない現代人にとって、野口整体を理解する初めとして、西洋医学の「科学性」を理解することが必要なのです。
石川氏は『新しい日本の教育像』「第三章 文明の特質に及ぼす世界観の相違」の前文で「盲目的な西洋文明追随の呪縛から脱却し、日本人が進むべき方向性の手がかりをつかむ」と述べていますが、この「盲目的西洋文明追随」に対する考え方は師野口晴哉と同じです。
学びが進む中、折良く出会うことができた石川光男氏の著作からの影響は大きく、「科学の哲学性」を学び、そして「ユング心理学」へと流れを導いていただいたように思います。