野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第一章 野口整体の身心の観方と「からだ言葉」二 3

身体を気で観ることで、潜在意識を整える

 「へそを曲げる」というのは「機嫌をそこねて意固地になる」という意味ですが、「その心」が本当にへその状態に表れるのです。

「首が回らない」は、「借金で首が回らない」とよく使われます。私が観てきたところでは、借金で苦労していて、実際に首が回らないという人はいませんでしたが、別の悩みで「先生、今日、首が回らないんです」という人はかなりいました。これは、精神的緊張によって首が硬くなり動かなくなることです。

「鶏冠(とさか)にきた」というのも本当にあって、鶏の頭の赤い部分のように、頭のてっぺんに山脈ができるのです。

 これと似た現象に「角(つの)が生える」があります。怒りの感情によって、頭部第二という処が高くなるのです。女性は結婚式(和装のお嫁さん姿)の時に「角隠し」をしますが、あれは本当に「角が生える」から隠してきたようです。

(註)頭部第二調律点 左右の、目の真ん中を通る二本の線と、

耳の前を通る一本の線が頭上で交差する左右の二点。

 「腹が立つ」というのは、へそのすぐ横の腹直筋が頭の緊張とともに硬くなることです。ですから、腹直筋を弛めると頭も弛んでくるのです。

「頭痛の種」とは、心の悩みが頭痛を引き起こしていることを言った言葉ですし、「腰が決まる」というのは「心が決まる」ことと同義です。これらすべて、身体の観察によって、このような「心」を捉えることができます。昔の人は分かっていたのです。

 しかし現代では、こうした身体感覚がとても鈍くなっています。「溜飲が下がらぬ」という言葉を、今の若い人はほとんど知りません。「溜飲が下がらぬ」という時、「下がらぬもの(気)」がみぞおちの左にあり、敏感な人は感じています。

 これを理解するために、「腑に落ちない」を例に挙げてみます。「腑」というのは、五臓六腑の腑で、腑も溜飲もお腹の「気」の感覚です。「腑に落ちない」は、納得できずお腹がすっきりしない状態ですが、これに怒りが含まれたものが「溜飲が下がらぬ」です(「溜飲が下がる」は、不平・不満や恨みなど、胸の閊えが取れて気が晴れること)。

(註)五臓六腑 伝統中国医学において、人間の内臓全体を言い表すときに用いられた言葉。

 話をしていても何か納得しない(腑に落ちない)人は、顔や首が緊張しています。そういう時、私には「何か言いたいことがあるようだな」という恰好に観えます。腑に落ちない人は、実は体がずっと緊張したままです。

 一方、納得して「スッとしました」という時は、本当にスッと「気」が腑に落ち、体が弛む(鳩尾(みぞおち)につかえていた気が丹田に下がる)のです。

 気を観ていると、腑に落ちないと本当に納得したとは言いません。個人指導では、鳩尾の「下がらぬ気」を手で押さえ、技術的に下げていくのです。それで、心が落ち着いてくるのです。 野口整体では、このように気を扱っているのです。

「気が下がる」を、野口整体をヨーロッパで勉強している人は「気・ダウン(Ki down)」と英語で言っています。