第五章 東洋宗教(伝統)文化を再考して「禅文化としての野口整体」を理解する 二3
3からは、ドイツの心理療法家デュルクハイムが大きく取り上げられています。
デュルクハイムは親ナチスだったという人もあり、賛否両論はありますが、神秘主義的関心のみならず、心理療法家として身体の在り方に取り組んだことは、慧眼であったと思います。彼の開いた心理療法施設は、今もドイツの黒い森にあるとのことです。
ドイツの黒い森(シュヴァルツ・ヴァルト)と呼ばれる地域は、深い森とさまざまなキリスト教以前の文化や民間伝承が伝わる地域です。このような自然と伝統文化のある土地で心理療法をしたという点でも、興味深い人だと思います。
3「胸を張って、腹をひいて」という姿勢(体)が心に与える影響
太平洋戦争前後の日本に滞在したドイツ人の心理療法家デュルクハイム(註)は、当時の日本人の生活と心の持ち方に興味を抱き、熱心に参禅し、弓道を習練し、茶道など日本の伝統文化を悉く学び体得するに到りました。
(註)デュルクハイム(1896~1988年)
太平洋戦争(1941年12月8日~1945年8月15日)前後の1937年に来日し、一旦帰国した後の1940年から1947年まで日本に滞在した。
そして、彼はこれらの伝統文化に通底する「鍵」は、「肚」であることを突き止め、帰国後、坐禅と岡田式静坐法を応用した身体療法施設(トットモース・リュッテ実存心理学的教育センター)をドイツ最南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州(シュヴァルツ・ヴァルト(黒い森))に開きました。
彼は哲学の伝統を持つ西洋人であるが故、外側から日本文化を眺め、そこに通底する原理を捉えることができたのです(観察(テオーリア)による理論の構築)。
デュルクハイムは太平洋戦争(1941年~)直前の、小学生にまで及んだ近代的軍事教練のあり方について、次のように述べています(『肚』第一章 日本人の生活における肚 麗澤大学出版会)。
1 ことのはじめに
「胸を張って、腹をひいて……こうした文句が国民一般の指導原則となることとなった国民は、いま危機の中にあります」と、1938年(昭和13年)、ある日本人が私に言った。それは、私の日本滞在の最初のころのことであった。当時、私にはこの言葉の意味が分からなかったが、今日、私は彼が正しかったことが分かり、その理由がなんであるかも知っている。
「胸を張って、腹をひいて」というのは、人間の姿勢の基本的な間違いを指摘した最も短い言葉である。詳しく言えば、それは、内面の姿勢の正しくないことを教えている身体の姿勢をさした言葉である。
なぜか。人間は少し背を丸めるか、うつむきかげんになるか、しゃがみ込んでしまうかしたらよいのだろうか。そうではない、真っすぐに立つのである。
しかし「胸を張って、腹をひいて」は、自然の姿勢から外れた姿勢を取らせる。重心が「上に向かって」移り、中心が切り離されるところでは、人間を膠着現象と崩落現象の間の相互交替に追い込む不均衡(人間を膠着と崩落という両極に陥らせるアンバランス)によって、緊張と弛緩の自然な関係も取り除かれてしまう。
…もともと身体に備わったものとして維持されている生命秩序を証明する中心(丹田)を、みずから否定するとき、人間は根本的に自分を支えている生命秩序に対して矛盾を暴露することになる。
このようにデュルクハイムは、生命秩序を維持するための「人間の重心」として、本来の中心「丹田」が把握されることの重要性を記しています。
しかし、この時代から七十年以上を経た現代では、日本人が「肚」を忘れているのです。
「胸を張って、腹をひいて」だけでなく、膝の裏(膕(ひかがみ))を伸ばせと強要されたのが、維新以来、軍事教練を受けた当時の日本人でした。洋服を着て整列すると、西洋人のそれに比べ形の悪いこともあり、「膝の裏を伸ばせ!」とうるさく指摘されました。
それまで日本人は、着物で腰に帯をし、膝を弛めての「ナンバ歩き(註)」という歩き方でした。膝を弛めることで腰(骨盤部)に力が入っていたのです(着物で帯をすると自ずと膝は弛む)。
しかし太平洋戦争前には、小学校でも軍事教練が行なわれ、右手と左足、左手と右足を同時に出し、体を捻る歩行が取り入れられ、「胸を張って、膝の裏を伸ばし、脚を高く上げて」行進する、という近代的身体教育によって「ナンバ歩き」は衰退して行きました。
この影響は長く続き、敗戦後民主主義となり、七十年を経た現在においても「良い姿勢」と言うと、胸を張ってしまう人が多いのです(禅や「腰・肚」文化の立腰(腰が入る)を知らない)。
(註)ナンバ歩き
腰(腹)が平行移動する、上体が捻れない、重力を利用した歩き方のこと。竹馬での歩行はナンバそのものであり、天秤の担ぎ方、相撲の鉄砲、梯子の登り方、阿波踊りなどもナンバである。「忍者走り」はこの延長にある。
江戸時代当時の日本人の歩き方は、手に何も持たない場合は、腕や上半身をあまり振らず、腕を振る場合は、出た足と同じ側の手がわずかに出るような動きだったとする見解がある。
西洋近代の「胸を張って、腹をひく」姿勢は、江戸時代までの日本人の姿勢とは程遠いもので、それまで「腰・肚」にあった重心は胸や頭に押し上げられ、中心と離れるものになりました。
こうして本来の中心である「丹田」が機能しなくなり、日本人は不安定さを増して行ったのです。こういう姿勢では鳩尾が硬くなることから頭のはたらきに影響し、総合的な判断力が低下するのです。
こういった精神状態により、戦前の軍部が見通しのない戦争に突入したと、「身体性」の立場からは言うことができます(ここで引用した『肚』の文章「胸を張って、腹をひいて…………国民は、いま危機の中にあります」と言った日本人は、1で紹介した藤田霊斎師であると、私は考えています)。