野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

(補)かくれたものを観る・身をたもつ 1

序― 野口整体金井流「心療整体」について

 2017年冬、金井先生と私は、中巻の原稿を中心に、野口整体金井流についての内容をコンパクトにまとめた『心療整体と養生―臨床の知からストレスを観る』(商業出版用の原稿)を編集しました。この本のために用意した序を2回に分けてご紹介します。ちなみに「かくれたものを観る・身をたもつ」もタイトルの一部です。

1 『病むことは力』出版、そして次作執筆へ

 静岡県熱海市で整体指導を始めたのは、1972年8月のことです(入門は1967年)。やがて1991年の春、来宮神社からずっと上がった高台に道場を構えました。

 そして、この道三十年が経つ頃、ようやく自身の世界が深まって、指導時の対話において腹から言葉が出てくるようになりました。それは「人の感情」に関わることができるようになったからだと思います。それで一九九八年二月には、満五十歳を機に、師野口晴哉に倣(なら)い「気・自然健康保持会」を設立する意欲を持つに至りました(師は関東大震災の翌年、自然健康保持会を設立)。

 こうして「金井流」なるものが観えて来た時、初めて本を出したいと切望するようになり、そう思うようになった七年ほど後の2004年6月、ようやく『病むことは力』(春秋社)を上梓することができたのです。これは、師の潜在意識教育法を私なりに探求し、心理療法的個人指導と体験談をまとめたもので、折良く、師野口晴哉二十八周忌に発行日を合わせることができました。

 私の行う個人指導においては、普段の偏り疲労、あるいは病症の場合も、本人が、心に起きた「情動を自覚できない」ことによって生じていることに着目し、その人の身心と対話しながら経過させ、「体と心の関係」についての自覚を促す指導を行なうようになりました(心とは感情であり、何らかの陰性感情(不安や怒り、焦りや失望など)による不快情動が体の問題となる)。

  情動は、生理学では一過性のものとされていますが、整体指導において、不快情動による硬張り(陰性感情の持続)が「偏り疲労」として身体に観察され、指導の対象となるのです。

 私は『病むことは力』おわりに で、自身の個人指導について次のように述べました(筆者による推敲あり)。

 

おわりに

 私の道場では、指導を行う建物とお待ちいただく茶寮は、入り口も別々で、茶寮から私の指導する建物に入るまでには、いったん外へ出て少々急な石段を登っていただき、まるで別の家を訪ねるかのように、もう一つの玄関を通らなければなりません。整体指導を受ける部屋はまったく独立した空間となっており、指導中は整体指導者と指導を受ける人だけの場となっています。

 やはり、指導を受ける人も、他の人がいないからこそ、自分のありったけやら、人に言えない、たとえば自分の恥部というようなものまでもさらけ出すことができて、それこそ、まるごとを知ることができる。そういうなかで、私もまた自分のまるごとをぶつけることができたように思います。元来そのようなことがきちんと確保されていない場では、人は心も体も十分には弛まず、より良い指導とはなりません。野口先生も講義の随所で「本来は一対一でやるものだ」と言われていました。

 そして、このようなことを十年余り(とりわけ91年春より)追求してきた結果、今の私の「心療的な整体指導」が確立されていったように思うのです。

 なぜ、体を重視する野口整体をつらぬいてきた私が、自然(じねん)流の心療指導に至ったのかといいますと、生活上で意識される(意識に上る)心と体の問題のもとには、普段は意識できない潜在意識が原因しているからにほかなりません。かつ、潜在意識は体の状態そのものだからです。

 弟子入りした日、初めての講義での野口先生の第一声が、「背骨は人間の歴史である」と、今も鮮明に思い出されます。背骨のありようを通して、生きてきた人を知り、かつ体癖を通しての心療指導だということです。

 普通、心療とかカウンセリングといいますと、おもに言葉のやりとりを通じて、意識に上った問題を扱うと思いますが、私の整体指導は、意識に上った問題を契機として、意識されない領域に理解を進めていきます。意識以前の領域とは、トラウマといった負の側面だけではありません。トラウマを超えた先にある心が重要なのです。意識や観念にとらわれのない「天心(てんしん)」となると、人はすばらしい力を発揮するものなのです。そのために、自分のまるごとの心と体を知ることが肝要なのです。

 そして、やがてあなたは自分の心と体を把握する(型を身に付ける=主体的自己把持する)ことを通じて、自己の持つ潜在能力に目覚め、これを発揮しての生活者(「生きる」を活かす人)となるのです。

 私の整体指導は、「してもらう整体」から、自分の心と体を知る、さらに自らをよく使っていく、全生するための「整体教育」へと進化・成長したのです(教育=エデュケーションとは「引き出す」の意)。

 

 さらに、2014年3月には一般社団法人となりました。

 現在、私は各個人が情動を制御する行法(瞑想法)を行なうことを指導の目的に置いています。そして、「生命理解と心身の発達によって人間成長の道筋が開かれる」という思想を伝え広めることが、師の「全生思想」の伝承であると信念を新たにし本書執筆に至りました。本書の内容は、前著の最後に述べたこと(右引用文の後半)が示唆していたと思います。

 師の「僕のやってきたことは、五十年、いや百年早かったかな」という最晩年の言葉がありましたが、没(1976年)後40年を経た近年では、思潮(その時代の社会にみられる支配的な思想傾向)の変化を強く感じるものです。