野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

脱力によって背骨は真直ぐに“なる”―禅文化としての野口整体Ⅰ 5

脱力による無心

  今回は禅文化としての野口整体Ⅰの最後、四から始めます。今回もKさんという男性が登場します。

 が、その前に、本教材の一1に戻ってみましょう。ここでは野口晴哉先生の「本来の体育」(『月刊全生』)からの引用に、金井先生が以下のような文章をつけています。

本来の体育

・・・やはりみんな自分の体は自分で責任を持つことが大事です。

・・・そのためには難しい方法がいるのかというと、そうではない。いろいろな雑念(を無くすよう)、意識を閉じて、体の自然に任せればいい。意識を閉じて整う。無心になって整う。知識を全部捨ててからっぽにして、生まれたままの心(天心)の状態で、ポカンとしていると、ひとりでに整うのです。

(金井先生)

天心とは、無心となってぽかんとすることです。幼いころは皆そうでしたが、大人になって天心を保つことは簡単なことではありません。 

 四 1はちょうどここに沿った内容です。実はKさんには、子どもの時、家庭内が荒れていた時期があり、緊張の中で育った過去がありました。

 そのため、潜在意識として不安感・不信感が強く(本人の現在意識にそのつもりは全くなく、過去に形成された感受性による)、頭の緊張が強くありました。

 身体には層があり、意識運動で力を入れる、抜く、ということが可能な表層と、無意識運動で反射的に力が入る、抜けるという深層があります(偏り疲労はこの深層における硬張りや歪みのこと。皮膚の緊張・弛緩も深層に属し、物理的身体の表面と深部という意味ではない)。

 深層が脱力するには、まず意識できない情動が続いていることに気づき、鎮まり、潜在意識が安心と信頼という状態になること、そして無心・天心になれることが必要なのです。

 Kさんが深層から弛み、脱力するようになるまでには、指導後頭がくらくらしたり、気持ちが悪くなったりするという過程を経る必要がありました(こういうことが「病症が体を治す」という一つの例)。

 そんなKさんが、脱力が大分進んできた時のことが、1の内容なのです。

ここで先生は、無心とは脱力することであり、頭が抜けて脱力すれば自ずと背骨は真直ぐになると述べ、「師野口晴哉は、このことを「無心となって整う」と言われた」と付記しています。

 また禅では自力で無心へと至るのですが、相手の身心に深く関与して、身体から無心へと導くというのは「野口整体ならでは」と先生は言っています。禅的身心へ導く技術、思想と行法が野口整体だということです。

 情動的興奮が鎮まらない状態では力は入ったままですし、自分の感受性を理解することで自身の不安や不信の源をはっきりしてくると、自分の陥りやすい心の癖に気づくことができます。そして、情緒の安定の基礎となるよう身体を整え、鍛錬していくのです。

 私はこの1に「禅文化としての野口整体」の本質が述べられていると思います。金井先生は背骨を真直ぐにする技術を駆使するのではなく、頭が抜けて、無心になって脱力することで、背骨が自ずと真直ぐに「なる」個人指導を確立したのだ、と今更ながら思います。