野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第二章 江戸時代の「気」の医学と野口整体の自然健康保持 ― 不易流行としての養生「整体を保つ」二2③

気の思想を基にした「気の医学」と野口整体― 日本の伝統的な生命観・身心観

 前回からの続きで、「気」の話から入ります。

 第一章 三7①では、 

日本では心理的な意味で「気」という言葉を頻繁に使い、気を通して心を感受する伝統がありました。

 師野口晴哉は、「気は心と体をつなぐもの」とくり返し語り、身体的側面だけではなく、心理的側面を重要視し捉えてきました。しかし湯浅泰雄氏は、現代の東洋医学では「気」を治療効果的・身体的側面から見ることが多い(=心理的側面が活かされていない)と指摘し、…

 という一文がありました。この心理的な気というところが、③~⑤のポイントです。

 ③「元気」を保つ

 立川氏は『養生訓』にある「気」の思想について、次のように述べています(『養生訓に学ぶ』3 気の思想)。 

「気」と日本人

…「気」はいわば日本特有の「文化」であり、日本人のメンタリティといってもいい。益軒の『養生訓』を読むうえで、この「気」ということばはもっとも重要なキーワードといえる。

「身」とおなじように、「気」のついた日本語も無数にある。…日常的によく使われる言い方では、「気をつけて」「気づく」「気がする」「気がある」「気が合う」…などなど、それこそ「気が遠くなる」ほどたくさんある。

…江戸時代の人たちは、「気」というものを無意識であれよく理解しよく体得していたにちがいない。それだけ、からだに対する生理感覚が鋭く強かったといえる。現代の日本人は日常的には気のついたことばをよく使いながら、からだの中の「気」の存在について、それこそ「気づかず」、「気がない」。それは自分のからだに対する生理感覚が衰弱したことでもある。

…「気」は病いや心や性の問題を含め、人間のからだの中で発現するたしかな現象である。からだのなかの目に見えないものに目を向けるということを考え直すべき時ではないだろうか。

 益軒の『養生訓』の根底にある気の思想を理解するには、なによりからだの中の目に見えないものに目を据えることである。目に見えるものばかりを信じてきた私たち現代人は、目に見えないものを信じるという地点に戻って出発しなければならないのである。

「元気になったから病気が治った」

…元気ということばをもっとも大事にまたもっとも多く用いたのはじつは貝原益軒である。このことは意外に知られていない。…もともと気には病気の気と元気(健康)の気があり、その二つの気はおなじ気であった。気の向きによって病気にもなり、元気にもなる。

 この考え方は、益軒のいう「元気をたもつ」と健康になり、「元気をへらす」と病気になるという考え方と重なり合う。気をもとにした考え方からいえば、健康になるのも気、病気になるのも気、である。

 私たち現代人はよく「病気が治ったから元気になった」と言う。しかし、益軒の言う元気の真意に即していえば、「病気が治ったから元気になった」のではなく、「元気になったから病気が治った!」のではないだろうか。

  この「気」の捉え方は、長い歴史の中で「身」という「心身一如」を意味する言葉を生み出し使ってきた、日本人特有の「気」に対する感性でもあるのです。