野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第二章 江戸時代の「気」の医学と野口整体の自然健康保持 ― 不易流行としての養生「整体を保つ」一 7 

整体とは良い空想ができる身心―「整体を保つ」ことは良き未来を創造する思想と実践である

  師野口晴哉が説く養生、その「心のあり方」について紹介します(『風声明語2』全生社)。

問題は、体ではなく心である。

人を責め、追及し、他人の過ちのために自分の労力を消費するが如きことをなさず、自分を楽しくし他人を快くすることの空想を、いつも心の中に拡げて生きることが養生というものである。

意志は、体に対して脈一つ多くすることもできなければ、涙一滴流させる働きも持たない無力なものであるが、空想すれば血行を変え、涙を出し、胃液を分泌し、体中の働きをいろいろと方向づけることができる。

楽しきことの空想、嬉しくなるようなことの空想、元気な空想、それぞれ、その空想している如き体の状態を創り出す。

空想は創造する力である。

 

 自分の心(潜在意識)の中で「人を責め、追及し、他人の過ちのために、自分の労力を消費するが如きこと」を為して、体の調子を悪くしている人が時々あります。こういう人の中で、西洋医学的な見解を振りかざし、それは、ある臓器(の異常)のせいにしている人がいるのですが、これは結果であり、そのような感情がはたらき続けた結果の臓器への負担なのです(このような明言は「科学の知」に対する「臨床の知」である)。

 貝原益軒は「養生に志(こころざし)あらん人は、心につねに主(あるじ)あるべし」と、「道」としての養生を説きました。この言葉は、自身の感情に支配されることは「生命のはたらきを損なう」ことである、と「心の持ち主」としての自覚を促すものです(本章三 2・3で詳述)。

 医学界では深層心理学の普及を通じて、「心身相関」の心身医学(アメリカ発)が認知されるようになりましたが、深層心理学は東洋宗教の意義を見出していたのです。それ故「近代科学と東洋宗教」が私の主題となりました。

 西洋医学は、死体解剖学を基とした「人体の物質的構造」に拠って発達してきたのに対し、野口整体は、「生活している人間」の身心のはたらきを観ているのです(手で身体に触れ、気で観察することが特徴)。

 第一章で述べたように、野口整体では、体(身体)と心(精神)のつながりを重視しますが、この場合の心とは、意識している(頭にある)心(=現在意識)ではなく、体にある心(=潜在意識)なのです。私はとりわけ、このような「身体性(潜在意識)」に着目してきました(師の引用文での「意志」とは意識・理性によるもので、理性的意志(近代自我)の力に重きを置いたのが西洋近代文明)。

生きている人間の心と身体全体を捉えようとする考え方は、東洋の連続的自然観を反映しています(心身相関であり、身体丸ごとという「気」による連続性が東洋的生命観)。

今日、現在意識は理性的な「考える」意識であり、潜在意識は「感じる(思う)」意識である、と区分することができます(意識のはたらきの内、感覚と感情は体に直結している)。この潜在意識を、本来的、自然(じねん)な状態に保つことが「整体を保つ」ことです。

 そして整体とは、良い空想ができる身心です。

 先に「空想は創造する力」と師の言葉がありました。つまり、「整体」という思想「整体であること・整体を保つ」とは、良き未来を創造する実践なのです。