野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第三章 自分を知ることから始まるユング心理学と野口整体 二3 

 河合隼雄氏がフルブライト留学生としてアメリカに留学した当時、海外でもユング心理学(分析裡心理学)は少数派でした。

 以前読んだアンドルー・ワイル著『癒す心、治す力』という本には、その当時、精神分析を行う精神科医が「アルケミスト錬金術師)」と影口を言われていたという話が出てきます。

 精神分析そのものが非科学的と考える人も多く、「錬金術師」というのは錬金術を西洋の瞑想的修行法の過程として研究したユングを揶揄した言葉でしょう。その傾向が日本では一層強かったという時代背景があることを踏まえて読んでみてください。 

自分が入っていない科学と自分が入っているユング心理学野口整体― 隠れたものを観る臨床心理

 その後、河合氏は二人の師の推薦でスイスのユング研究所に留学することになりました。

 三年間の留学を経て日本に帰国し、京都大学に戻った氏は、先の『日本人という病』で当時の日本の状況について次のように語っています。 

近代科学とは方法が違う心理学

…日本では心理学は自然科学の一つであるという歴史がありました。人間の「心」なんていうわけのわからないものは放っておいて、(客観的に)観察できる、人間の行動の科学をするのが心理学だという考え方が非常に強かったわけです。だからスイスから戻った私が下手なことを言うと、「河合は非科学的である」と言われかねない。非科学的であるということは、学者としてはダメだと言われることに等しいですね。

   科学では目に見えないものは対象とせず、当時、日本の大学での心理学は、目に見える「行動」を対象とする科学でした。深層心理学であるユング心理学のように、目に見えないものを扱う心理学ではなかったのです。

ユング心理学は無意識、野口整体は潜在意識という言葉で、目に見えない心を主要な対象とするのです。

  河合氏が帰国した1965年当時の日本では、敗戦後の科学万能主義という時代で、世界的にも「ガガーリンによる初の宇宙飛行成功(1961年4月 ソビエト)」により宇宙時代が幕開けしていました。

 1964年10月1日、東海道新幹線が開通し(同年10月10日開催の東京オリンピックに合わせ)、敗戦後から続く高度経済成長(1954年~1973年)による「科学教(原爆投下による敗戦が生んだ)」とも言うべき時代風潮でした。

 1967年に野口整体の道に入った私には、当時このような道が周囲の人々に理解されなかった(怪しいものと思っていた人も多くあった)のは、「科学教」の時代であったからなのだと、上巻(『野口整体と科学 活元運動』)執筆を通して良く理解できました。

続いて、河合氏は次のように述べています。 

…みんなが科学が好きで、科学、科学と言っている日本で、私が勉強してきたようなことを、どうやって浸透させていくのか、ということをずいぶん考えました。

そんななかで気がついたのは、私が習ってきた心理学は自然科学ではないということでした。少なくとも近代科学とは違う。近代科学とは方法論が全く違っているんだと。どう違っているかというと、臨床心理学はフロイトにしろユングにしろ、自分のことから始まっているんです。

  河合氏は、科学の女王様とも呼ばれる数学科(科学の王様は物理学)の出身であり、「近代科学とは何か」について熟知されていることが、このような表現になったことと思います。

 近代科学と深層心理学の相違は何かと言うと、科学は一切の主観を排除する(認識の対象として主観を排除するのみならず、主観を認識の手段ともしない)ものですから、「自分が入っていない」のです。自分抜き、主観なしの「客観的」観察によるものが科学なのです。

 一方「自分の心を知ることから始まる」深層心理学は、当然「自分が入っている」わけです。

 私が行なう野口整体は、師野口晴哉から学んだことですが、今では「私」から出ているのです。師野口晴哉の思想も行法も、野口晴哉が生きたところから出ているのです。

 こうしてできた方法には自分が入っており、近代科学的な方法ではないということです。「人の心を扱うには、自身の心を知ることから始まる」というユング心理学は、近代科学とは方法が違う心理学なのです。

「自分のことから始まる」ユング心理学野口整体ということです(これらは主観主義的経験科学、また主体的経験科学とも呼ばれる)。