第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 二 8②
ここでは「今、ここ」にある自我と、過去と記憶の集積に捉われた自我の相違を踏まえながら読んでみてください。
自我の再構成を自然に促す心療整体
②私のじねん流臨床心理の意味
師野口晴哉は、「《潜在意識教育》意識以前にある自分」(『月刊全生』1967年・金井先生入門の年)の中で、「自分」というものを捉え直す大切さについて次のように述べています。
自分で作った自分
私達が今「自分」と考えているもの、或いは自分はこういう事ができる、これこれこういう人間であるというように、自分が理解している自分は本当の自分の全部ではない。生れてから、意識し経験し、体験してきた事の総合が自分だと、みな思っている。つまり考え様によっては、それは生れてから自分で作り上げた自分である。
…意識して作られた自分、…「俺にはこれだけしか力が発揮できない」とか言うように、いつの間にか自分に限界をつけて、これこれこういうものが自分というものの実体だと、自分で思い込んでいる。しかしそれは、「意識した自分」であり、「意識で作った自分」である。
…意識が心を造ってきた。赤ん坊でも、始めは意識は少いが、生まれてからは造っていく。その意識以前にも、やはり自分があった。自分があったからそれを意識するようになったのである。その意識以前の自分というものは、細胞をつくってゆく、子供を造ってゆく。眼球を造ってゆく、心臓を造ってゆく。皆そうやって、我々が今この世にあるような形になったのである。意識すら、意識以前の自分が作ってきた一つの働きなのである。
人間の中には、もっともっと大きな力がある。無限の可能性を潜めている意識以前の自分に対して、意識して作った自分(自我)が非常に強固であるために、これが自分であるというように思ってしまって、本来の自分を発揮できなくしているのだ。意識で造ったものを打破する必要がある。
「意識で造ったものを打破する(自我の再構成)」ことで、無意識にある「潜在的可能性」が現れるのです。
野口整体では「心と体は一つのもの」として、心と体をつなぐ「気」による対話を重視しています。
これは「愉気法」のことでもあり、愉気には言葉の有無は必ずしも問題ではないのです。しかし「生き方(自分の心と体の使い方)」を思想的に学ぶためには、言葉による「対話」が是非にも必要だと思ってきました。
体を開墾して心を耕すために必要なことは、「鋤(すき)(土を掘り起こす農具)」としての「自我(生きる意欲を持った自我)」を育てることです。
身体に起きていることを理解し、自身の問題として取り組むことができるようになるには、自分の内を眺め、「自身との対話をする」という主体的な自我の態度(積極的受動性)が必要なのです。
この主体としての「自我」という「鋤」を使って、身心を一つのものとして耕していくのが野口整体です。
私の個人指導においての自然(じねん)流「臨床心理」は、彼、彼女が経験した「情動を意識化し、共有する」ことです。それは、「自我の強化」と「自我の再構成」をじねんに促すことになっていたのです。