野口整体と科学 第二部第二章 野口整体の生命観と科学の生命観二4
4 自然治癒力と自己実現に不可欠な開放系の身心― 気と開放系
近年、私の指導を求める人に、感情が滞り「心」が開かれていない(=自分の思いに囚われて、それから離れられない)人を見かけます。これは、言い換えると、現代にうつ的な人が増えているということです。
こういう人は対話する上で、表面的な意識(現在意識)では問題がないのですが、背骨を観てみますと、とくに「動きがない」と感じます。私には、このようになった身体には心(潜在意識)の「動き」が感じられず、「流れていない」と観えるのです(=不安や怒りで固まっている)。
このような人は、みな「個(孤)」という方向に入り込んでいて、「閉鎖系」の世界にいるわけです(人間関係の問題(不安・不信など))。
人は「つながり」を持てない、また「否定的」な心のはたらきで、自分だけの世界に入ってしまうのです(その人にとって意味はあるが…)。
こうして、閉ざされた「心身」には「気」が流入しなくなり、「気」が流れない身体と化すのです(=秩序回復不全の閉鎖系状態)。
私は個人指導の場で、このような自分の世界に閉じこもっている人を「閉鎖系」と呼んでいます。
「他者との関係性」についての問題は日常的に起こるものですが、「閉鎖系」となるのは、心の中で、自分から「人とのつながり」を切ることで、なるのです(ある特定の人とのつながりであっても、完全な閉鎖系となると「全てと切れた」と感じる)。
臨床心理を通じて、こういうことに、「気づく」か「気づかない」かが、その人が「良くなる」、「良くならない」の分かれ目になります。「気の通り」「気の感応」の良い人は、自ら新しい秩序形成をどしどし進めて行くことができるのです。
開放系という概念は、心の広がりであり、より多くの人の心(潜在意識)とつながる能力であり、これによって「自己実現」が進むことを意味しています。
野口整体の整体操法という技術も活元運動も「気」を中心としたものです。外界からの「気」を良く取り入れられることは自然治癒力のみならず、個人の持つ潜在能力が発現し、その人の人生を活性化するのです(仏像の光背・後光は、気・オーラを表現している)。
本シリーズで説く「修養・養生」の意味は、弾力ある身心を保つことであり、その目的は、開放系としての自身のあり方を高めていくことです。
ユング心理学における「自己実現(個性化の過程)」とは、外的世界との交渉の主体である自我は、自己との心的エネルギーを介しての力動(註)的な運動で変容・成長し(自我が自己との相互作用で成長し)、理想的な「完全な人間」を目指すというものです。
(註)力動 正しくは精神力動といい、心の営みが生み出す力と力が織りなしていく動き(葛藤・否認など)のこと。
自己が実現するには、他者との気のつながり(=開放系)によってのみ可能なのです。
私は、多くの人が野口整体 ― 愉気法・活元相互運動 ― を身につけることで、「相手を活かし、自身が活かされる」というつながり合ったシステム・開放系となっていくことを願っています。