野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 三 5

個人指導とコンプレックス― 活元運動と病症の経過

―腰痛が「自我の主体性」を取り戻す 

 個人指導で〔身体〕を観察することは、生活している人間としての動きが、背骨に表れているのを観察することです。

 このような身体性の観察(気で観る)を主とするのが野口整体です。

 師野口晴哉の「風邪の効用」という思想は、病症以前と病症経過後の身体の観察を通じ生まれました(身体性の観察は理性の目(現在意識)によって認識できるものでなく、観察者の身体性(潜在意識)に依拠する。また、科学的・機械的に捉え得るものではない)。

師は「病症が体を治す」と説かれ、病症観について次のように述べています(『月刊全生』語録)。 

病気は部分の変常に対する全体の調整作用である

病気は治さねば治らぬものではない

いつも自ずから治る方向に歩んでいる

部分の変常に対する全体の治る方向への歩みを

人は病気といっているのだ

   これぞ、師野口晴哉の目的論的哲学です。

 次のMさんの指導例を通じて、師の説く病症と「全体の治る方向への歩み」、また身体の弾力と活元運動はどのようなつながりがあるか、そして、「体の自然=自我の主体性」について述べたいと思います。

 Mさんの指導例

 ある日の朝、Mさん(女性)が「腰痛がひどいので、急なのですが今日観て頂けないでしょうか」と、電話をかけてきました。それで急遽、その日(水曜日)に指導を行うことになりました。

 私の前に坐ったMさんは、痛みに顔を歪めており、「先週の金曜日、自宅の二階で掃除機をかけ終わった頃、腰が痛くなった」と話しました。Mさんは前回の指導が先々週の土曜日でしたから、私は「前回の指導から腰痛が起こった日までの間(六日間)に、ストレスになるようなことはどんなことでしたか?」と尋ねましたが、「特に何もなかったです」と言うのです。

 うつ伏せになって、背骨を観ると「悔しい」というような感情が観察できたため、私は「何か、悔しかったことで心当たりない?」と再度聞いたのですが、彼女は「何もありません」と答えていました。

 しかし指導を進める中で、活元運動が出始めると次のようなことが思い出されてきたのです。

 腰痛が起きる前の日、Mさんの仲の良い友人から「癌の治療で苦労していて、人に会いたくない」というメールがあったという話が出てきました。そして、さらに指導を進めていくと、次にはそのメールを受け取った直後、その友人と共通の友人が家に来たという話が出てきたのです。

 Mさんはその人に、治療中の友人に「手作りのケーキを送りたい」という話をしたところ、その人は自身の癌の経験を基に、「自分はもう長くないのでは、という気持ちを起こさせるから良くない」と、Mさんの思いを否定したとのことです。

 Mさんは少し反論したのですが、「あなたは経験がないから分からない!」と強く言われ、引き下がったそうです。

 そしてその後、Mさんはその友人から、恐ろしい「姑との確執」の話を長々と聞かされ、ふーっと気が遠くなってしまったとのことでした。

その中で、姑が自分のことを「死んでしまえばいい」と、電話で話しているのを偶然聞いてしまった時、「言葉が体に刺さった」という話から「この人の癌が再発するのではないか」という空想もはたらいたとのことです。この時、Mさんの体にも、友人の話が「刺さって」しまったようです。

 このようなことから、指導の始めには充分には意識されない不快情動によって、彼女はすっかり頭が疲れてしまっていたのです。私が「それを聞いて半分気を失っていたんだね」と言ったほどの疲れで、右の内容が出てくるのに長い時間を要するという状態でした。

 最近では情動を振り返ることが円滑になって来ていたMさんですが、こうした強い不満を抑圧した時は、振り返っても思い出すことが難しいのです。

 このように、体の不調の影には「隠れたもの」があるのです。

 自分の思い(手作りのケーキを送りたい)を否定された上で、長々と煩わしい話を聞かされたこの時、Mさんの自我は主体性を失い、その友人の強引さに対する怒り(本人にはさほど意識されない)エネルギーが「コンプレックス」となったのです。「主体性を失った」ことは、普段のこの人の様子とは違い、頭がはたらき出すのにとても時間がかかったことからも伺うことができました。

 主体性を失ったことで、鬱滞した感情が無意識化したからこそ、後に「痛み」として出てくる(腰痛となって顕在化する)のです。

 実は、腰痛が起きてきた時、身体という無意識は「体の自然=自我の主体性」を取り戻そうとしているのです。

 Mさんは普段から良い活元運動が出るので、この日も体が良く変わり、そして丁寧な心のやり取りを通じて、腰痛に至った事情が明らかとなって、心が落ち着くことで主体性が戻り指導を終えることができました。

 しかし、(師の引用文のように)病症が「身体(身心)を立て直すはたらき」(=自然治癒力)であっても、そのような認識は一般的になく、「腰痛を技術的に治すことが整体」と思われているのは、このような深層心理的理解がないからです。

 活元運動や整体操法のみならず、臨床心理を通じて、体験した情動を理解し経過することで、「自我の主体性を取り戻す」ことが、野口整体金井流の個人指導の意義なのです。