野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第六章 生き方を啓く整体指導― 感情の発達と人間的成長一 2 

知性と情動の一体性が失われている現代人

  師野口晴哉は潜在意識、ユングはコンプレックスという言葉で、無意識(意識できない心)を明らかにしてきました。

「整体(整っている体)」とは、「良い空想ができる身体」であり、自発的な意欲に支えられた身心です。

 この「良い空想」を阻むのが陰性感情に因るコンプレックスだと言うことができます(野口整体の私の立場からは、ユングの思想を大いに活用することができる)。

 言い換えると「主体性を発揮する」ために整体指導があるのです。それゆえ環境(主に職場)に適応するための「自身のあり方」の変容・成長を指導することになります。

「主体性が自然治癒力のみならず成長に関わる」という原理は、野口整体ユング心理学の共通点であり、そのため、個人指導では、生命力を活性化する上で「生き方に関与する」ものです。これが私の、臨床心理による整体指導(心療整体)なのです。

 池見酉次郎氏は心身症患者に共通する性質として、「失感情症」という概念を、1977年に日本に紹介しました(第五章二で詳述)。

 その翌年、池見氏が監修した精神科医A・ローウェン著『引き裂かれた心と体 ― 身体の背信』で、「現代人の病根」である西洋的な「知性と情動の分裂」について、次のように述べています。

はじめに

…著者のローウェンは、現代人の不健康の根底をなすものとして、「自我と肉体の分裂」をあげ、「健康な人の自我は、身体と同一視されており、病的な人の自我は、体との確固たる同一視をもっていない」と述べている。今日、自然を忘れた現代文明の悲劇が、いよいよ顕わになってきている。精神分析学者のユングは、「西欧人は自己の中の自然を忘れることによって、自然から手ひどい仕返しを受けている。東洋の人たちは、自己の中の自然を大切にすることを忘れなかった」と述べている。しかし、自然を離れることによる悲劇は、東洋のわが国で、ひときわ深刻化しているのは周知の通りである。

ユングのいう「自己の中の自然」を、じかに感じとれるのは、われわれの自我(理性)ではなくて肉体(身体感覚)なのである。

…自我が肉体から引き裂かれるとき、物としての肉体だけでなく、それに内包されている情動(原始的な感情や本能)も、自我から引き離されてしまう(=心身二元論)。

 最近西欧では、情動を失い、知性のみに偏してゆく現代人の状態に対して、「失感情症」という新しい表現が用いられている。そして、このような知性と情動の分裂が、さまざまな非行や心身両面での不健康(現代の病)の病根をなすというのである。

すなわち、現代人の知性は、もはや情動を、ゆたかな情操やみずみずしい生命感情へと昇華する力を失っており、知性による濾過を受けない情動が、そのまま突っ走るとき、いわゆる近道反応としての行動異常となり、不完全燃焼の情動エネルギーが身体機能を攪乱することが、現代人の半健康の根底をなすというわけである。

   池見氏が言う知性と情動の一体性による「みずみずしい生命感情へと昇華する力」とは、私の表現では「感情力」に相応するものだと思います。

 科学による理性という意識が発達し、「心は意識」と(無意識的に)思っている現代人は、理性(頭)で感情を抑制できると思い込んでおり、日常的に体験する「陰性感情」を滞らせることで、後にこのエネルギーに支配されるのです。これが「自然から手ひどい仕返しを受けている」こと です(神経症抑うつ症・心身症など)。

 そして、否定的感情が抑圧されたままの生活は、心が不自由となって、感情と知性が一体となった「感情力」というものが発動されないのです。

 現代の日本人がこのようになったのは、とりわけ、敗戦後の科学至上主義による理性偏重教育によって、教師と生徒の交流が知性の面だけに片寄ったことが要因として挙げられます。

 このようにして育った生徒が親となり、また教師となって、さらに子どもたちとの感情的、生命的な欲求のレベルでの交流が阻害され、感情や身体感覚への気づきが低下した人間が増えていくことになります。

 人間教育における最も大切なことは、動物的な本能や情動を人間的な情操へと高め、学問研究への意欲、さらに文化的な創造へと、その心を導くことです。