野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

終章 瞑想法(東洋)と心理療法(西洋) ―「生命の原理」を理解し、無意識の世界を啓く 二4

心理療法における瞑想的意識の重要性― 自身の潜在意識のはたらきで相手の潜在意識を捉える

 河合隼雄氏は、「来談者の孤立した心の世界に、本気で入っていこうとする態度で自他未分の人間関係を作ること」を、ユング心理療法の基本姿勢と説き、第三章では、その姿勢と整体指導との共通点について述べました。

 そして、ユングは日常とは異なった意識状態に相手と共に入って行くことで心的エネルギーの流れを活性化させる自身の心理療法を、西洋における瞑想法であると考えていたのです。

 師野口晴哉は「心理療法は心を動かしていく技術であるから…動かされて動いている心を持ってはその技術は使えない…」と、心理療法を行う者に対する至言と言うべき言葉を遺しています。

 これは、心理療法と構えて言わなくとも、一般の人が愉気法を行なう場合においても同様である、と私は思います。人の「身心」に向き合う人においては、先ずは心が静かなことです。

 私が子どもの頃、お祭りの時の夜店などで使われていた照明器具「アセチレンランプ」というものがあります。この明りはとても明るいのですが、光の性質が激しく揺らぐものであるため、文字を視認することができないのです。ちょうど、これと同じように、揺らぐ心では相手の心を捉える(観る)ことはできません。

アセチレンランプと文字の視認」の経験がない人のために、水面に例えますと、波立っている水面には景色が正しく映りません。この正反対に「明鏡止水(註)」という言葉があります。このような心境であれば、自身の(明るく澄みきった)心に自ずと相手の心が映ってくるというものです。

(註)明鏡止水 心にわだかまりがなく、安らかに落ち着いた心境(一点の曇りもない心境と、静かで澄んでいる水の意から)。

  これが、心(潜在意識)のはたらきで相手の潜在意識を捉えることなのです。

 ここで、ともに潜在意識という言葉を使っていますが、大切なことは、指導者は、潜在意識の方向性として「明鏡止水」であることです。

 長年整体指導を行ずる者においても、心が、外から全く動かされないということはあり得ないと思うのですが、指導を行なうに当たっては、「動かされない心」を以って行なうことで可となるのです。

 一般に「不動心」、また、禅では「定」と言いますが、このような心を、行法と思想を以って養うことが「修養・修行」ということになります。

 愉気法は行う人の瞑想状態によって開かれる能力ということができます。

 瞑想とは次のようなものです。

 瞑想の訓練は、雑念をなくして、心が澄みきった「三昧(瞑想がしだいに深まって雑念が消えていき、心が澄みきった状態)」を経験することを目指します。いわゆる「無心」とか「無我」、自分という意識が消え去った状態です。

 瞑想は深層心理学の立場からみると、意識の表面にはたらいている抑制力を弱め、その下にかくれている無意識のエネルギーを活発にする訓練です。

 瞑想に入り、外からくる刺戟を遮断すると、外へ向かう心のエネルギーが弱まるので、訓練を続けていくにつれて、意識下に潜在している心のエネルギーが活発になってくるのです。

 瞑想は、無意識の領域に隠れた情動やコンプレックスを表面化させ、それを解消し、無意識のエネルギーを自由にコントロールできるようにする方法であるといえるものです。

(補)アセチレンランプカーバイドランプ)

炭化カルシウム CaC₂ と水を反応させ、発生したアセチレンを燃焼させる単純な構造のランプ。 機構が単純なため、小型化して手提げ式や、ヘルメットに装着する小型軽量のものを製作でき、かつて鉱山などで用いられていた。

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アセチレンランプ 分かりにくいが光が細かく動いている。