野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 序章一6

 中巻『野口整体ユング心理学』の序章 野口晴哉生誕百年―臨床心理による整体指導 では、上村浩司医師(1965年生)との対話を紹介しました。

 その冒頭で、上村氏は「西洋医学というのは、科学的な物の見方が中心なんです。科学とは目に見えるものを中心として、現実を認識していくやり方です。」と言っています。

 金井先生の兄上とほぼ同期で、同じ理論物理学の研究室にいたという益川 敏英教授(ノーベル物理学賞受賞)は、以前、TVのインタビューで「理論物理学の原理は私たち人間にも適用できるのかを尋ねられた時、「生命の原理はわからない…。物理学の原理と生命の原理は違うと思う」と答えていました。

 この答には、益川先生の東洋的な感受性の表れと思います。西洋では物理学者の多くは、生命と物質両方に適用できる原理を研究していると考えるのではないでしょうか。しかし、本当にそうなのでしょうか。野口整体に関心を持つ医療関係者の心の奥にも、同じ問いが隠されていたように思います。では今回の内容に入ります。

 

野口整体に関心を持つ医療関係者が増えている― 私が近代科学に取り組んだもう一つの理由

  今回これほどに近代科学に取り組んだのは、対外活動により現代人の身体性の衰退を知ったということの他に、近年、当会の活動に参加する「医療関係者」が増えているという、もう一つの理由がありました。

 野口整体が創立された昭和初期という時代背景には、明治以来の、政府による西洋近代医学の急激な普及がありました。

 江戸時代までの多元的だった日本の医療は、1874年(明治7年)の医制発布によって、西洋近代医学(ドイツ医学)に一元化されました。同時に、これまで独自の医学観や身体観の下で長い年月をかけて構築されたわが国の伝統医学は、代替医療に格下げされてしまったのです。

 しかし、当時の近代医学においては、病理学的研究は進んでいたものの、それを基にした診断による治療法は、実際的な治癒にはつながりませんでした。そんな中、師野口晴哉は当時の近代医学では救われない人々のために活動を始めた(大正15(昭和元)年4月)のです。

 こうした歴史的背景があり、野口整体と西洋医療の間には距離があったのですが、近年には、西洋医学を修めた人が野口整体に関心を寄せる傾向が表れるようになりました。

 私の道場が〈熱海・来宮〉という首都圏の端に位置しているという事情もあると思いますが、ずっと以前には今のように医療関係者が指導を求めて来ることはありませんでした。

 かつての西洋医学の医療関係の人々は、医療に携わる自身に権威とプライドを持っており、「整体」と名の付くようなものは「軽視していた」というのが、以前の私の印象でした。

 私の本(『病むことは力』)が出版されたことで、その内容に「臨床心理」面が多く含まれていることや、何より『整体入門』『風邪の効用』(野口晴哉 筑摩書房 2002年)『回想の野口晴哉―朴歯の下駄』(野口昭子 筑摩書房 2006年)が広く読まれるようになったことから、野口整体が正しく世間に伝わりつつあるようです。

 最近では、個人指導を受ける人の中に、代替医療を専門的に学んでいる医師がいたりします。これは一体、医師や医療に携わる人たちが、野口整体などに取り組むようになったのは、西洋医学がどのように受け取られるようになってしまったのか?ずっと以前には見られなかった、このような現象がなぜ起きているのかを考えるようになり、「西洋医療と人の心との関係」について知りたいと思うようになりました。

 それで、西洋医学を発展させた近代科学というものについて本格的に学んでみたくなっていたのです。

 こうして、現代の成り立ちを根本的に知る上で、科学について勉強し、「現代と野口整体」という関係性を諦観すべく勉強が始まったのです。

「科学という世界」の根本(=哲学性)について、私が理解する上での先達(せんだつ)(その道の案内人、)となったのは石川光男氏でした。

 石川氏の著作に出会うこと、そしてこれ以前から、湯浅泰雄氏の著作『気・修行・身体』(平河出版社)に取り組んでいたことから、「野口整体の世界はアカデミック(学究的)な世界とのつながりを持つことができる(=野口整体は一定の理論を持って説明し得るもの)」と確信が得られ、本書を著すことができました。