野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部第二章 野口整体の生命観と科学の生命観二1

二 閉鎖系の人間観・西洋医学と開放系の人間観・野口整体

 金井先生は、石川先生の著書を通じて「開放系と閉鎖系」という現代物理学の概念を知った時、「わしはこれが観えるぞ」と笑っていました。もっと前は「圏外」という言葉で「閉鎖系」の状態にある人を言い表したりしていましたが、「開放系と閉鎖系」は気で観る人間観によりフィットしていたようです。では今回の内容に入ります。

1 開放系の生命観である野口整体の気の人間観

 「開放系」は、二十世紀初頭に生まれた現代物理学(註)の考え方で、新しい自然科学の観方です(現在では複雑系と呼ばれる)。

(註)現代物理学

 量子力学以後の物理学のこと。観測という行為が対象物に何らの変化ももたらさない立場に立っている古典物理学(現代物理学以後、それまでの物理学に対する呼び名)に対して、量子力学は観測によって対象物の状態が変化するという立場をとる。

  外界と「物質・エネルギー・情報」の交換を行っているシステムは「開放系(オープン・システム)」と呼ばれます。これに対して、外界と「物質・エネルギー・情報」の交換をしないシステムは「閉鎖系(クローズド・システム)」と呼ばれます。

近代科学は、自然と社会を自己完結的な「閉鎖系」として捉え、本来、連関構造である生態系と文明系のつながり(両システムの物質・エネルギーは循環していて開放系であること)を捉えることができませんでした(古典物理学では、すべてが閉鎖系で考えられていた)。

 ここでは「閉鎖系・開放系」という概念を用い、体を自己完結したシステムとして見る西洋医学の閉鎖系思考と、野口整体の開放系思考の相違について考えてみます。

  西洋医学は病症を対象とし、それに対する療法を行うものですから、そのために病名の特定が第一となります(病気中心主義医学)。

 こうして概念化された病名を通して、医師は患者に、患者は自身に向き合うことになり、特定された病名は固定観念化されていきます。こうしたあり方は、実は「観測によって人に影響を与える」ことなのです。

 師野口晴哉の態度は、生きている人間の全体を捉えるもので、野口整体では、人を「生活している人間」として観、「関係性(どうつながっているか)」の中で「身心」を扱うものです。

 その第一は、自身の「心と体」という関係です。また体の中での部分と部分の関係、さらに自分と家族や、会社での人間関係、地域社会との関係というものです(例・第一章一 1 病症観には文化的背景がある)。

「関係性(つながり)」において物事を考えるのが東洋思想で、これは「気」を本(もと)にしているのです。

 そして、人間関係の中における個人として捉えようとします(全体性・関係性 → 開放系(複雑系))。

 関係性において重要なのが「気」なのです(気で観ることで、「個人の内側に潜む力の開花」を目的とする)。

 身心一元つまり「心と体は一つ」であるには、「気」は欠かせないものです。師野口晴哉は「気は心と体をつなぐもの」と繰り返し語っていました。気は、古代ギリシアの医聖・ヒポクラテス(前460年頃~前370年頃)の時代には「プネウマ」の語で呼ばれており、この時代の医療基盤には「自然治癒力」がありました。